最後の大舞台

2002年08月02日 | 落語

7/30 の深夜、NHKスペシャル
「桂米朝 最後の大舞台」の再放送があった。

正月に、大阪のサンケイホールで
毎年独り会をやっている。
そのときに七番弟子の桂歌之助が死んだ。
枕にそのことを話そうかよそうか迷っていた。
正月のめでたいときに
人が死んだ噺はよくないのでは…。
噺が始まったら、歌之助のことを話していた。
独り会が終わってそのことを訊かれたとき、
「われわれは、自分のことも話すのが芸、
 不自然さを感じさせたら客は離れる」
といった。

前座が15分の噺を
客に受けていたので20分やってしまった。
それを桂ざこばが若い前座に怒っていた。
むかしは、米朝が怒ったらしい。
「師匠は、甘なってきてる」
とざこばは尖っていっていた。

米朝は、歌舞伎座で独演会を最後にするという。
一番弟子の桂枝雀をなくして三年。
自分の体調が悪かったら、
枝雀に代わりをやってもらえると思っていた。
それを亡くし、独り会をやめることにしたらしい。
最近は、めまいがあり、夜ねむれない。
眠るために焼酎の助けを借りるそうだ。
私と同じだ。

「百年目」を演(ヤ)る。
途中、あるところを飛ばしてしまう。
弟子の吉朝がそれに気づく。
客に分からないように米朝は巧みに噺を戻す。
これが“芸”だな、と感じた。

しかし、米朝はすごい。
自分の失敗を取材されて、
それを放送することを許している。
隠そうと思えば隠せる。
なにしろ人間国宝なのだ。
55年も噺家をやっている。
えらいな。

しかし、米朝がヘビースモーカーとは知らなかった。
インタビューを受けていたとき、
ほとんど煙草を吸っていた。
苦しそうに吸っていた。
あれは吸いたくて吸っている感じがしなかった。
やむにやまれず煙を吸っていた。
私も煙草を吸っていたとき、
そういうときがほとんどだった。

あの煙草を吸う姿を見ていて、
米朝がよけい好きになった。
ちょっと見には大学の教授のようで、
近寄りがたかったが、
あの苦しそうに煙草を吸っていた米朝が好きだ。

1ヶ月ほど前かな、
永六輔が土曜ワイドラジオ東京で、
高石友也とナターシャセブンの京都でやった
「よいよいやまコンサート」のことを話していた。
そのとき桂米朝が来ていて、
「歌で、客席と掛け合うのがあるが、
 私もああいうのをやってみたい」
そういって、
「向こうの丘に囲いが出来たってね~」
と米朝が大声でいうと、
「へエー」
と3000人の客が応えてくれたそうだ。
また米朝が、
「向こうの丘に、塀が出来たそうだ~」
というと、
「カッコイイ」
と客席から返ってきた。
それが絶妙なタイミングで永は感動したという。
そういうところに私もいたかった。
米朝の落語、機会があったら聴きたい。

 

コメント
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