昨日、以前の会社の仲間と連れだって、
8月16日に亡くなったKさんの家に行った。
(思えば去年の8月16日に、
田舎の友人Hが死んでいる。やっぱり49歳)
7時頃だったか、家に着くと明かりが消えていた。
留守だった。
持っていった果物にメモをつけて、
玄関のところにでも置いていこうと
準備しているところに、お母さんが帰ってきた。
久しぶりに銭湯に行ってきたという。
われわれがいてお母さんは恐縮していた。
家の中に私たちを入れ“仏壇”のある部屋に通して、
80歳を3、4年過ぎているお母さんは、
ビールを出したり、つまみを準備して大変だった。
私たちは、亡くなった友人を拝んだ。
あとで知ったのだが、その家は神式なのだそうだ。
線香がなかったのでへんだな、とは思っていた。
神式では“仏壇”をなんというのだろう。
しかし、榊がなかったので私は神式とは考えなかった。
だれも事前に教えてくれないので、分からなかった。
へんな拝み方をしてしまったようだ。
しかし、どうなんだろう。
もし私が、クリスチャンの葬式に行ったとしても、
十字は切れない。
自分の拝み方ですれば、それでいいのではないか。
なんて思ったりした。
私は、思い出させてはいけないかなと思いながらも
お母さんにKさんがどうして亡くなったか訊いてみた。
夜中の12時頃、
2階にいたKさんが階段から落ちたという。
寝ていたお母さんは、
Kさんが救急車を呼んでくれというので電話した。
病院で傷の手当をして深夜の2時頃帰ってきて、
普通にねていたそうだ。
翌日、Kさんの具合が悪くなり、
救急車で入院した。
そして亡くなってしまった。
心不全だったそうだ。
最初に救急車で運ばれたとき、
脳を詳しく診察していたら助かったかも知れない。
階段から落ちたとき頭を打ってしまったのか?
これまで母子ふたりで暮らしてきた。
12時頃、いつも2階から降りてきて、
お母さんの枕元に立って、しばらく見ていたらしい。
それをお母さんは知っていたそうだ。
おそらくその日も、
お母さんの様子を見に行こうとしたのか?
お母さんは80歳のとき胃癌の手術をしてから、
躰の具合が悪いそうです。
やさしいKさんらしい。
自分の家の階段から落ちるということは、
そうとう酒を飲んでいたのではないかと思う。
最近、足下がおぼつかなくなるほど飲んだことはないが、
私もそろそろ酒の飲み方を考えよう。
と書きながら、昨夜は何年ぶりかの友人と会い、
痛飲してしまった。