昨日は私が入っている「わいわい雑俳塾」の投句締め切り日でした。
兼題は、「寒卵」「初不動」「“明”しばり」です。
私は、日曜日あたりから俳句を考えた。
この句会の締め切りが月末と分かっているのに、投句し忘れるときがある。
私としてはどうしても九想話に力が入っているので、つい忘れてしまうということがある。
29日に「あ、もう月末だ」ということに気づいた。
気づかなかったら俳句は作らなかったでしょう。
ところが、俳句を作ろうと心に決めてもなかなか句が浮かんでこない。
「寒卵」なんて、意識して生活したことがない。
まして、「初不動」なんて私の暮らしの外の言語という感じです。
「“明”しばり」、これは「明」という字を句の中に入れるという“しばり”です。
「寒卵」…寒中の卵をいう。(合本 俳句歳時記 新版 角川書店編)
「初不動」…一月二十八日、不動尊の初の縁日。(同上)
いろいろ考えましたよ。
でも、これがいい、という句はめったに浮かびません。
いや、ほとんどないです。
寒卵さわってみればあったかい
私が子どもの頃、生家では鶏を飼っていた。
朝、鶏が生んだ卵を採りに行くのが私の仕事でした。
どんな寒い冬の日に行っても鶏が産んだばかりの卵はあったかいのです。
しかし、歳時記にこんな句があった。
手にとればほのとぬくしや寒玉子 高濱虚子
こんな句があってはいけません。
私の句は似たようなもんです。
しかも、虚子の句は私のと比べものにならないくらいいい。
「初不動」には、苦しみました。
なにしろ私の中に「初不動」という言葉がないのです。
ですから、そんな単語で作ってまともな俳句が出来るのかと、自分に疑問をもった。
しかし、なんといってもどうしょうもないのが「“明”しばり」です。
どうしろっていうのか?
そして頭に浮かんだのが落語の「明烏」、「明烏」といったら黒門町(八代目桂文楽)です。
「明烏」という落語のことはこのサイトに書いてあります。
私の大好きな噺です。
私は、ネットの動画で桂文楽の「明烏」を聴いた。
ユーチューブにはなくて、ニコニコ動画でした。
文楽、いいですね。
次の三句を、今回私は、わいわい雑俳塾に投句しました。
寒卵醤油一滴飯(メシ)の上
古女房恋は遠くに初不動
初笑い黒門町の明烏
さて、この句たちは選句されるのでしょうか?