共喰い

2012年02月23日 | 健康・病気

本日、第146回芥川賞の受賞作「共喰い」(田中慎弥著)を読了した。
先週の木曜日に新所沢のパルコで文藝春秋を買ったのに、今日まで時間がかかってしまった。
読み始めるたびにそれまでのことが記憶になく、何度もページを戻って読みなおした。
まわりくどい文章表現が、アホな私の頭になかなか入ってこないのです。
昨日から休日の私は、しおりを挟んだところから読んだが、やっぱり最初から読みなおした。
今日は、昨日読み終わったところから続きを読み、なんとか読了した。

17歳の高校生篠垣遠馬が主人公なんだが、こいつセックスのことばかり考えている。
私も高校生のときはそうだったけど、彼は異常だ。
昭和63年の高校生はああだった、といわれれば私はシュンと黙ります。
そりゃ、私もいつも女のことは考えていましたよ。
でも、あれほどは…。

父親がこれまたセックスが大好きな男で、その行為のときは、必ず女を殴った。
そうしないと興奮しないようだ。
遠馬の母親の仁子さんはそれが嫌で、遠馬を生んでから、
<篠垣を出、その頃は前の店主から完全に譲り受けていた魚屋で一人暮らしを始めた。>
私は思うのですが、仁子さんという母親が家を出てから遠馬はどうして育ったのだろう?
遠馬が生まれて1年たった頃に家を出たと小説には書いてある。
父親は怪しげな仕事をしている。
子育てをする時間などあったのか?
セックスをするときに女をぶん殴る男に1歳の子育てが出来るのか?
あちこちの女と寝ている男なんです。
このへんをいいかげんにしていいのだろうか?
(こんなことを書いているから私には、小説が書けないのだろう)

遠馬は1つ年上の会田千種という女性とセックスをしている。
会話を楽しむということはなく、会うといつもセックスだ。
こんなところもこの小説の寂しいところだ。
人生ってそんなもんか!!あまりにも狭い世界を書いている。

<海に近い飲み屋街の店に勤めていた琴子さんは、
 いまから一年ほど前に、篠垣の家に住むようになった。>
その琴子にも父親はセックスするときに殴る。
高校生の遠馬が便所に行きたくなって、階段の上から父親と琴子のセックスを見る。
初めてではない、これまで何回もあった。

ここまで書いてきてこれ以上書くことがバカらしくなった。
こんな小説、私にはどうでもいい。
読まなきゃよかった。
読了して私が思ったことは、私には芥川賞は関係ないということでした。
昨年の受賞作を読んでも同じことを思った。
私は小説を書きたいと考えているが、私にはかかわりのないものだなと思ってしまった。

コメント
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