私は20歳の頃、本郷三丁目にあった会社から駒込のアパートに帰ると、毎日のように「のみたや」に通った。
行く時間はいろいろです。
食事をしてからのこともあるし、銭湯に行ってからという日もあった。
ただ、「のみたや」に行くと、たいがい朝までいることが多かった。
その店は朝まで営業しているのです。
「のみたや」で私が飲む酒はおもに焼酎だった。
その焼酎は、I さんが店とは関係なく私のためにボトルを置いてくれた。
「のみたや」に私が行くと、最初はビールを飲むが、あとは裏ボトルの焼酎を飲んでいた。
ほとんどお金を使わないですんだ。
だから毎日のように私は「のみたや」に行けたのです。
「のみたや」に I さんが勤めるようになって客が増えた。
それまでの「のみたや」の常連も来ていたが、I さんのアパートに来ていた友人も来たのです。
関西に行っていた龍彦も東京に帰ってきて、I さんが「のみたや」に勤めたことを喜んだ。
また龍彦も東京の会社に就職して「のみたや」に通うようになった。
龍彦はギターを持ってやってくる。
そうすると「のみたや」で龍彦のライブ、そしてみんなの大合唱になった。
しかし、龍彦はふらっと再び関西に行ってしまう。
私の高校の同級生のKが、板橋の会社を辞めて駒込に来た。
彼は建築設計事務所にいて夜間の建築の専門学校を卒業したのだが、
大学に行きたいと駒込の私のアパートに転がり込んできた。
それまでは会社の寮だったので、会社を辞めていられなくなったのです。
すぐアパートは見つけたが仕事がなく、「のみたや」に勤めることになった。
I さんとKの2人が「のみたや」にいるようになった。
もう毎晩、ドンチャン騒ぎのようだった。
いや、毎晩ということはないですね。
たまたま人がたくさん集まったときだけです。
いつもは静かな「のみたや」でした。
その頃、ミッシェル・ポルナレフの「愛の休日」が流行っていた。
「のみたや」のジュークボックスにもその曲が入っていた。
ミッシェル?ポルナレフ 愛の休日 Michel Polnareff Holidays
「のみたや」に週に3・4日来る女の子がいた。
本名は、知らない。
「のみたや」でみんなが呼ぶニックネームはあった。
「かげろう」とみんなから呼ばれていた。
どこかの女子大の学生らしかった。
背は高くなく、綺麗というより可愛い顔をしていた。
黒い長い髪が魅力的だった。
いつも黒い服を着ていた。
そういうことから「かげろう」というあだながついたのかも知れない。
そのコが来ると必ずジュークボックスの「愛の休日」をかけた。
「かげろう」には好きな男がいた。
駒込駅前にあるレモンというスナックのバイトのバーテンだった。
はじめの頃は、そいつとよく「のみたや」に来ていた。
「かげろう」が1人で来ていて、仕事を終えた男があとから来るということもよくあった。
しかし、そのうち男が来なくなった。
「かげろう」1人だけになった。
その頃から、彼女の酒を飲む量が多くなった。
おれともよく話すようになった。
素敵なひとだったが、おれは恋はしなかった。
2人でいても会話は弾まなかったし、なんといっても性格が暗かった。
そのおれとは相性のよくない「かげろう」がある日、おれのアパートに泊まることになった。
どうしてそんなことになったのか今のおれは覚えていない。
でも、「かげろう」はおれの部屋に泊まっただけだった。
そりゃおれも男です。スケベゴコロはありました。
だけど、なんのこともなかった。
おれが布団に寝て、彼女は横で朝まで起きていた(と思う)。
朝、おれが起きたときにはいなかった。
置きメモがあった。
「泊めてくれてありがとう。挨拶しないで帰ります。」
そのようなメモだったと思う。
そのあとの「かげろう」のことは覚えていない。
いつしか「のみたや」に来なくなった。
そのあと彼女のことで知ったことは、
「かげろう」のお父さんは千葉のほうの高校の校長をしているらしい、ということだった。
「のみたや」に一度その父親が訪ねて来て、I さんと話していた。
行方不明の娘を父親が捜しているようだった。
「のみたや」でのエピソードも山ほどあります。
いつか小説に書きたいです。