私は、どっちかといえば、
あまり髭が濃くない。
それでも毎日髭を剃らなければならない。
不精者の私にとってこれはめんどくさい。
最近、イチローの影響かと思うが、
無精髭のような髭を
“おしゃれ”に伸ばしてる若者が多い。
私もあんなふうに髭をはやしたいと思うが、
自分には似合わないと思い、
しかたなく髭を剃っている。
私が愛用している
ブラウンのシェーバーの刃が切れなくなったので、
1ヶ月前ほどから買おうと思っていた。
ところが近所の電気店に
私の機種の替え刃が置いてなかった。
日曜日、新宿に行ったとき電気量販店に入った。
目当てのシェーバーの替え刃はあった。
3,200円だった。
その横に沢山いろんなシェーバーが陳列されていた。
1,000円から3,000円ぐらいのものもある。
私の買おうとしている替え刃が3,200円。
替え刃を買うより、安いシェーバーでいいかな、
なんて思ってしまう。
どうせ私は髭が薄い。
安いシェーバーでも用は足りる。
若い店員が来たので訊いてみた。
安い価格帯のものは電池式だった。
充電式のものは5,000円前後から上だった。
今の高級機種は、洗浄するものが多かった。
ちょっと憧れる。
煙草をやめたぶんで買おうと思えば買える。
結局私は、替え刃を買った。
本体がちゃんと動くのに使わないのはもったいない。
それだけの理由です。
やっぱり切れるシェーバーはいい。
しかし、自然というものは、まったく不自然だ。
だって、植物であるランがなんの意思で、
花びらを雌バチの形に変形し、
なんの罪も無い雄バチを誘い
花粉を運ばせるという巧妙なことをするんだ。
それもある1種類のハチだけをターゲットにしている。
このハチにしたらたまったものではない。
冗談じゃない。
まるで“結婚詐欺”ではないか。
これは「ハンマーオーキット」というランです。
もっとおれを混乱させるランがいた。
「アンダーグランドオーキット」というランだ。
よりによってなんで花を咲かす植物が地下にいるんだ。
植物は光合成によって生きている、
なんてこたァー、アルコール依存症(関係ないか)
のおれでも知っている。
光合成なんてものは太陽の光があってこそ成り立つ。
その植物がなんで“日陰”の人生を歩むのだ。
ランの種は栄養分をほとんど持たないという。
それでほこりのように小さくて、
風に飛ばされどこへでも行く。
国を越える種もあるという。
地面にたどり着き、芽を出した種は、
地中からラン菌というものを取り込んで、
それを栄養にして育つ。
普通のランはそこまでなんだが、
「アンダーグランドオーキット」は
人生すべてラン菌にすがって生きていくという。
それで太陽の光が必要でなくなり、地下にもぐった。
まるでおれの人生のようです。
ああ…、おれだって太陽の光が欲しい。
それにしても、こいつだって植物だ。
種族繁栄のため種をばら撒かなくてはならない。
地下ということは果実も土の中だ。
それをどうするかというと、
あるねずみの大好きな味に進化させて
種を運ばせることを考えた。
いや、考えるわけはないな。
じゃ、どうしたんだろう。
しかし、このランたちに知性がなかったら、
こんな進化はなかったろう、と思う。
でも花に知性があるのか。
今夜観たテレビ「地球・ふしぎ大自然」(NHK)
でこんなことを考えた。
大木ユリ フラメンコ教室
「パティオ・セビージャ」発表会 Vol.2 が、
新宿のエル・フラメンコで行われた。
昨年まで女房がいたスタジオ・トゥリアーナは
大きなステージでやっていたが、
やはりフラメンコは小さいステージがいい。
ましてエル・フラメンコは、
フラメンコ専用の空間だ。
お酒を飲みながら観られるのもいい。
今の私には無用なんだが、
テーブルには灰皿もある。
誰も煙草を吸う人はいなかったが、
煙越しにフラメンコのダンサーを観るのもいい。
私は最初に用意されていた赤ワインを飲み、
ビールを頼んだ。
会場は満員で立ち見もいた。
カンテ(歌)、ギターは日本人だった。
トゥリアーナではスペイン人だった。
当然本場の演奏者のほうがいいのだが、
生徒たちの経済的負担を考えたら
日本人でも充分だと思った。
今日のギターはよかった。
カンテは、主宰者の大木ユリ。
彼女は踊りよりカンテが本業なんです。
女房はトゥリアーナにいる頃、
カンテを大木ユリに習っていた。
そういうことから教室も移ったのだが。
女房の踊りはうまくなっていた。
踊りに余裕があった。
私は恥ずかしいのですが、
あいつの踊ってるのを観ていて、
涙が流れてしようがなかった。
日々の辛い暮らしの中で、
フラメンコに喜びを見いだし、
必死になってうまく踊りたいと
がんばってる女房。
その姿を見ているので、涙がとまらない。
終わって、会場の外の狭い通路で
人がひしめき合っている。
息子と恋人が女房と話している。
デジカメを向ける。
女房の前の職場の人たちも撮る。
「九想庵いつも見てますよ」といわれた。
これは感激でした。
今日なにが一番よかったかって、
九想庵を見てるといわれたことが最高。
しょせん私は自分のことしか考えてない…のか。
もうライブの日から1週間たってしまった。
あんなに楽しみにしていて、
自分なりに一所懸命練習したのに、
自分のそそっかしさから指を怪我して、
墓穴を掘ってしまった。
うまく演奏出来たら、
ぜったい気持ちいい夜だったのに…。
心の小さい私は今でもうじうじ考えています。
女房は明日、フラメンコ教室の発表会だ。
何かしていて、ふと静止して考え込む。
「ああ…、だめだ。うまく踊れない」
なんて呟く。
あいつなりに本番前の緊張感で苦しんでいる。
テレビで
映画「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」
を観ているとき、
何回も「G線上のアリア」が鳴る。
これは女房のケータイのメールの着信音だ。
彼女の友人からの「がんばってメール」が
沢山来ていた。
人前で何もしなければ恥をかかなくてすむ。
分かっているけど、何かして目立ちたい女房と私。
明日新宿に行って、
女房の成長を確認してきます。
今日で、煙草を休んで1ヶ月たった。
といっても、3/21 と 3/30 は吸ってしまった。
(くわしくは、休煙日記に書いてあります)
それにしても、よく続いているなと思う。
今でも、煙草はいいものだ、と思っている。
煙草を吸う暮らしに憧れている。
なにしろ、会社での休憩時間に煙草を吸わないのは、
どうも休んだ気がしない。
酒を飲んでるときに吸わないのも、さびしい。
でもそんなことは、
煙草を吸わないことの素晴らしさに比べたら、
ささいなことだ。
ここ何年か、私は喉がおかしくて、
よくせきをしていた。
黒~い痰もしょっちゅう出ていた。
なにが苦しかったって、
夜、蒲団に入って、すべてから解放されたときに、
喉が詰まっているような気がすることだった。
べつに詰まっているわけではないのだが、
そんな気がした。
毎日のことなのでつらかった。
休煙してつまんないことは、
女房と、台所の換気扇の下で煙草を吸いながら、
世間話が出来ないことだ。
今でもあいつは煙草がやめられず吸っている。
私に負い目を感じながら吸っている。
3月はじめ、
駅前にドトールが出来ることを知った。
「スターバックスでは煙草が吸えなかったが、
ドトールでは煙草が吸えるからいい。
開店したら行こう」
なんて女房と楽しみにしていた。
開店は 3/9 だった。
私は 3/5 に休煙している。
女房と1回ドトールでコーヒーを飲んでから
休煙してもよかったかな。
計画性のない私です。
「あんたが煙草をやめるなんて、あんたらしくない」
とメールと電話で
“温かい言葉”をかけてくれる友がいる。
彼のいうことはとても分かる。
出来たら私も、休煙なんてしたくない。
彼と痛飲するとき煙草を吸いたい。
しかし、今は“休煙”です。
去年の4月4日の深夜、九想庵を立ち上げた。
4あわせの深夜です。
去年の3月、自分のホームページをつくろうと、
必死になっていた。
その船出の日にこだわった。
そして「4あわせの深夜」にした。
それがどうしたといわれれば、何もないのですが…。
漠然と、九想話を毎日書こうと思い、九想庵を始めた。
過去に、ASAHIネットのパソコン通信の会議室の
「かしの木亭談話室」に3ヶ月ほど
九想話を毎日書いたことがあった。
「今日は酔っ払って書けない」なんてことを書けば、
なんとか続けられそうだと考えた。
それが甘かった。
1行でも書くことは書けても、
HTMLの文章にしたり、他のページにリンクさせたり、
それを保存してサーバーに送信したり、
ということがけっこう大変でした。
いえ、普通の状態の私でしたら
なんてことないのですが、
飲みすぎて家に帰ってきたときとか、
睡眠不足のときには、
パソコンの前で自分が何をやっているのか
分からない、状態なのです。
書いた九想話をどこに保存したか分からなくなったり、
ホームページ・ビルダーの操作を間違えたりとか…。
そんなことより、九想話を書くことすら忘れて、
気がつくとコタツで朝4時頃目が覚めて、
「寝ちゃえ、寝ちまえ」という心の誘惑に逆らい、
意地になって九想話を書いて、
ASAHIネットに送信して
九想庵を更新したこともあった。
われながらよく続けてこられたものだ、と思っています。
夕食のとき、ビーシュのあと、
かねか亭さんからいただいた
「百年の孤独」の封を切った。
息子にも飲ませた。
いい香りが「九想庵1周年」を祝ってくれました。
かねか亭さん、ありがとうございました。
明日からも毎日書いていきます。
よろしくお願い致します。
息子の付き合っている女性は、
この春、看護学校を卒業した。
しかし、1ヶ月前ぐらい息子がいうには、
彼女の話では、
「今年から看護婦の試験が難しくなり、
合格するのが大変になったらしい」
なんてことをいっていいた。
「だから**(恋人の名)は今年、『看護婦浪人だ』」
と話していた。
その彼女が、試験に合格して、
今週から寮に入って、
清瀬の国立病院に勤めているという。
今日は会社から帰ってきて、
先週怪我した指の治療に行ってきた。
労災の書類も渡して、
預けていた1万円も返ってきた。
家に帰ると、息子が出かける仕度をしていた。
「どこに行くんだ?」
と訊くと、
「**が勤めている病院」
という。
恋人の働く病院を見に行く息子。
ほんとうに息子は、**ちゃんが好きなんだな。
ところで息子は、留年しそうだといっていた。
(1年生のとき、あいつはサボっていた)
そんなこといわずに来年卒業して欲しい。
阪神が27年ぶりの開幕3連勝をした。
どういっていいか分からない複雑な心境です。
阪神が12年ぶりの開幕戦勝利をしたことがよかった。
桧山、アリアスの一発で先行し、
井川がほぼ完ぺきな投球を見せた。
23年ぶりの開幕2連勝。
6回に片岡の適時二塁打で追いついた阪神は7回、
赤星の右前適時打で勝ち越した。
そして3連勝
00年6月以来の白星を完投で飾った薮を祝福したい。
私がライブをし、それで落ち込んでいたときに、
阪神はやってくれた。
星野監督の熱い気持ちが“3連勝”になったのかな。
やはり人間燃えてないとだめですね。
星野監督には学ばなくてはならない。
先週から生産管理になった私は、
慣れない仕事で右往左往している。
もともと生産管理として入社した私ですが、
そのときは生産計画を立てるのが仕事だった。
いつもパソコンとにらめっこしていた。
今回、生産管理に戻ったが、
やることは製品の出荷と製造の仕事の段取りです。
ほとんどフォークリフトに乗っている。
まだ始めたばかりでよく分からないので、
不安がいっぱいだ。
しかし、製造よりは性格に合っている。
星野監督を見ていて思う。
前向きに、“攻め”の気持ちで生きようと。
どうしても後ろ向きの守りの姿勢で生きてる九想は、
いざというときに力を発揮しない。
この性格にはもううんざりしていて、
ずいぶん前から捨てようと思っているが、
どこかに、この“後ろ向き”の性格に愛着があり、
この歳まで付き合ってきた。
なんにつけても阪神の勝利は、
阪神ファンをいい気持ちにさせてくれる。
ねッ、とらとら♪さん。
「阪神」が春の季語になっているという。
今年は、ちがう。
今年も花見の季節がやってきました。
しかし、今年はちょと早かったようです。
わが愛する楽家の花見も、
その影響はまぬがれません。
予定どうり本日「楽家の花見」を行いました。
花は半分は散り、葉っぱもかなり出ていた。
それでも「楽家の花見」はやるのです。
美味しい酒はあり、
つまみも揃っている。
会話に長けた人格者はいる。
世事に詳しい人間もいる。
あと不足なものといえば、………。
それを書いちゃあいけない。
とにかく私は酔ってしまいました。
(今年は、ギターもケーナもなしでした。
ライブでSさんも私も疲れていた。
デジカメも持っていかなかった。
すべてライブでエネルギーを使い果たしました。
そのくせ、カラオケで盛り上がってる私は
なんなんですかね)