この1週間、庭仕事で変な姿勢を取って、腰痛に悩まされている(1回、自転車乗っているけれど)。特に今日は天気も良いのに、常時痛く、家でじっとしていた。脊柱管狭窄症で腰部、頸部は鬼門だ。
この間、図書館で借りてきた写真の本を読了した。江戸時代12回の朝鮮通信使を、回ごとに朝鮮の使行録(復命書のようなもの)等で朝鮮の考え・立場と幕府や市井の考え・状況を研究し解説しているので、双方のものの見方が判ってこの通信使の事が深く理解できた気がする。
そもそも、朝鮮通信使は室町時代に3度、秀吉時代に2度派遣があった。足利義満は朝鮮と同じように明(中国)の冊封を受け、対外的安定と政権の威信を高めようとした。その後「倭寇」などで途絶え、秀吉の天下統一祝賀と秀吉の侵略後の和議で2度訪れている。
その後、徳川の世となり、江戸時代は幕府の威信を高めるために朝鮮に通信使の派遣を要請した。間に入ったのが対馬藩で、秀吉の時もそうだったが政権の希望する「入貢」を「祝賀」に書き換えて要請している。 徳川の要望に対しては、当初は懐疑的であったが、受け入れ、状況視察と文化使節を兼ねて再開となったようだ。幕府は将軍が代る都度来訪するように依頼している。
江戸時代、鎖国と言われているが、朝鮮との関係では貿易は対馬藩を通じて行われており、釜山には日本人館もあり、日本からも対馬藩を通じて使節が送られていた(朝鮮の防衛上、釜山まで)。
この本の著者は、広島大学に日本古典文学を研究するため留学しており、韓国の日本文学の大学教授。著者は「朝鮮通信使を見ると、。両国間の関係を好転できる「温故知新」の知恵が隠されている。私は「求同在異」の知恵で未来を開いていくことを願う」と、あとがきで書いている。
通信使の事について、双方の立場、考え等を研究した本書は大変興味深かった。良い本だ。
(写真の本の後ろ側は、江戸時代最後の通信使(12回目)の場所となる対馬での日本側接遇マニュアル「四度御礼式書」写本;これが家に伝わっていたので、通信使について調べた。四度とは「客館への出迎え」「国王文書授受」「饗応」「返書渡し」の場面での対応マニュアル)