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吉田修一の本は、過去に短編集を2冊読んだことがある。
芥川賞受賞作「パークライフ」を収録した同名の短編集と「最後の息子」。
本作は長編。
とは言っても、主人公・駿の成長(小学校一年生から青年になるまで)に合わせて、章ごとに時代は不連続に移り変わっていく。
父を亡くした駿と悠太の兄弟は、長崎にある母の実家・三村家で暮らす。
母の二人の兄は田舎のやくざに身を落とし、三村家には、日々刺青を背負ったやくざ者の若い衆が集い、酒と色欲にまみれた饗宴が繰り広げられている。
時代設定は明確には語られないが、昭和40年代だろうか。
作者がどのような境遇で育ったのか知らないが、実体験をベースにしているに違いない、と思わされるくらい、この三村家最盛期の描写は生き生きとしており、リアリティーに溢れている。
そして、このような異常な境遇に置かれて育つことになる駿。
幼い彼がどんな影響を受け、どのように成長していくのか。
そこに、男なら誰しも少年期に抱いたことのある、好奇心と冒険心をくすぐられる。
第1章「正吾と蟹」の終盤、駿とクラスメート・梨花の関係、二人が三村家の離れで正吾を相手に体験したこと。
このあたりの展開と描写には、ぞくぞくとさせられるものがあった。
が、読み進めていくうちに、作者の関心がそこには無いことが明らかになってくる。
作者が描きたかったのは、あくまで三村家、そしてそこに集っていた男たちの盛衰の物語なのだ。
そのことはラストシーンで明白になる。
自分が読みたかったことと、作者が描きたかったことの間にあるズレが次第に広がっていく感じはした。
特に、それまで駿を追って進められていた物語が、最終章で突然、弟・悠太の目線に切り替わってしまうあたりはやや肩透かしだった。
それにしても、これは間違いなく長崎出身の作者の実体験が滲み出ているのだろうが、風景や地理の描写がとてもノスタルジックで良い。
例えば、
…この辺りは不思議な地形で、下からまっすぐに上がってくることができない。一旦、別の坂道を上がってきて、そこから少し石段を下りて行かなければ三村の家にも、駄菓子屋界隈にも辿り着けないのだ。
こんな何気ない描写が、堪らなくいとおしいのである。