年末から年始にかけて目にしたジャーナリズムの論調では「日本悲観論」がおそろしく目立ちます(特に日経系のメディア)。
年始からの株価続落がさらにその悲観ムードを拡大させている感も。
内田氏の書いている通り、米英流の新自由主義的構造改革をそのまま日本社会に当てはめようとしても巧くいかないというのはよく分かります。
ところが一方で、安倍政権から福田政権へと移り変わる中で、小泉構造改革路線が目に見えて後退するやマネーは一気に海外へ流れ、日本取り残されムードが本格化しているのもまた事実なわけです。
先日読んだ佐藤優の「国家の罠」では、鈴木宗男が国策捜査のターゲットとなった背景として、日本社会がケインズ型分配経済からハイエク型自由主義経済へと方向を変えたことを挙げていました。
確かに小泉政権の登場は時代の要請だったと自分も感じています。
が、その改革路線を受容するだけの基盤が日本には十分存在していなかった。
それは、小泉改革路線を受け継いで完成させる強力なリーダーシップを持った後継者の不在という形で明らかになっています。
日本が何をやっていようと、世界全体でのグローバリゼーションの流れが止まることはないでしょう。
今のまま内向き議論に終始してれば、国際社会における日本の相対的な地位が下がっていくことは避けられないと思う。
地位が下がるとどんなことが起きるのか?
実はその点についてのイメージが共有されていない、というのが現状のような気がする。
とんでもないことになる!という人もいれば、別に下がるなら下がってもいいんじゃない?という人もいる。
この点についての具体的イメージが明確に見えてくるまで、分配か競争かという逡巡は終わらないんじゃないんだろうか。
そんな気がします。
上に引用したのは、今からちょうど2年前、2008年1月8日に「オバマ優勢と日本悲観論」と題してこのブログに書いた記事の一部です。
読んで気づかされるのは、2年経っても、政権が替わっても、日本の置かれている状況がまったく変わっておらず、相変わらず暗澹とした悲観論が蔓延していること。
2008年1月といえば「いざなぎ超え」の長期好景気がようやく後退し始めたタイミングで、サブプライム問題は表面化しつつはあったものの、ベア・スターンズもリーマン・ブラザーズもまだ健在だった。
その時期にすでに悲観論が語られていたということは、現在の日本経済の閉塞感は、決して今回の金融危機によってもたらされたものではないということ。
アメリカの強欲資本主義がバブル崩壊を招き、そのアメリカとつるんで市場原理主義を持ち込んだ小泉・竹中路線が日本経済を破壊した、といった分かりやすい構図が世間では結構信じられているみたいだけど、今の日本の不況は「百年に一度」ではなくバブル崩壊以来綿々と危機が続いているだけのこと。
別に小泉・竹中を全面的に支持するわけじゃないけど、彼らをスケープゴートにして「友愛」だの何だのと言っていても、根本的な解決にはまったくつながらないのは間違いない。