そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

「確率的発想法」 小島寛之

2010-01-23 21:53:18 | Books
確率的発想法~数学を日常に活かす
小島 寛之
NHK出版

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確率理論の解説書、というより、広く人間の意思決定について論じた本といった方がよいかもしれません。

最初にまず基礎的な確率理論に関する説明があり、次に大数の法則に基づくフィッシャー流の統計的推定との対比で、ベイズ理論が紹介されます。
また、ギャンブルを事例にして、人間の経済行動を期待効用基準で説明する考え方に触れられます。
ベイズ理論と期待効用基準に踏み込むことにより、客観的な統計的概念に閉じていた確率理論が、主観の世界へと展開されます。

そしてここからが本論。

確率計算が可能な「リスク」と、確率分布さえ不明な「不確実性」を区別して考える、ナイトの不確実性の世界へと踏み出すことで、不確実性の中で、人間がどのように意思決定し、どのように社会を選択するのかについて、数学的に証明しようとする様々な試みが披露されていきます。
人々は不確実性を回避する性向を持ち、マックスミン原理(最悪の数値が最大化されるような行動を選ぶ方法)に従うとの説が紹介される一方、コモン・ノレッジ(ある情報を双方が知っており、且つ、「双方が知っている」ことを双方が知っている状況)という概念が解説され、個人がマックスミン原理に従い行動を選択することと、集団がコモン・ノレッジによる合意から行動を選択することの同質性が指摘されます。

次に、ちょっと意外なんですが、「平等」に関する議論へと論旨が展開されます。
平等と確率って、すぐには結び付かないように思いますが、個人的には次のように消化しました。

不確実性に支配された世界において、人間は誰もが不幸な境遇に陥るリスクに晒されている。
不確実な要因により、結果的に幸福な人と不幸な人に分断されるような「不平等」に苛まれる可能性があり、だからこそ「平等」が目指されるべき規範たり得る。
平たく言えば、世の中が不確実だからこそ「平等」であることに価値があるのである。
不確実性下における個々人による行動の決定が、集団としての社会選択にどのように作用するのか、そのメカニズムを解き明かすところに確率論の出番があり、目指すべき規範たる「平等」を達成するために確率論による分析が有用なものとなる。

ロールズの正義論において提唱された格差原理において、「もっとも不遇な人々の利益を最大化することを目標とし、その目的の限りにおいて不平等は是認される」との命題が提示されますが、このマックスミン原理が、前述した個人の不確実性回避行動におけるマックスミン原理と重なることに気づかされます。

さらにここからが佳境になりますが、不確実性下における推測と行動決定のメカニズムに「時制」の概念を当てはめる試みが論じられます。
即ち、人間は「過去の経験」を基に推測を行ない、行動を決定するという当たり前の現象です。
重要なのは、個人がそれぞれ内面に持っている「公理系(=原則、ルール)」は、その公理系を揺るがすような新たな経験をすることで自己修正され、最適選択を可能にする公理系に接近していくということ、そして、社会に硬直性が存在するとそうした公理系の自己修正システムがうまく働かず最適選択に近づくことができない人々が出現してしまうということ。
それゆえに、教育制度や医療制度などの公共財が重要な意義を担うことが論証されます。

そして、最終章では「時制」に関わるアイデアをさらに発展させ、「そうであったかもしれない世界」に思考を向けます。
人間は、現在を起点に、「もしあの時このような別の選択をしていなかったら…」というように、現在たまたま実現していないが実現してもおかしくなかった事象についても自身の責任の範囲内にあると感じる性質をもっている、という指摘です。
人間の行動決定はかくも複雑なものであり、確率理論はそこまでを射程に入れるべきではないかという問題提起です。

…と、備忘も兼ねて長々とサマライズしてしまいましたが、単なる数学理論の披歴に留まらず、経済社会に対する興味深いアプローチまでをも包含している内容で、たいへんに知的刺激を受けることができました。
自分は、著者の著作では「容疑者ケインズ」を読んでいますが、ケインズ同様、専門家の間ではすでに様々な反論・否定が為されて、過去の遺物となっているロールズに対する熱い思いが伝わってくるのが面白いところです。

著者は、この本の中でしばしば「市場主義」に対する批判的な見解を述べています。
「自己責任」論に対しては、効用の完全知、選好の完全知といった前提条件を見落としている、と。
「構造改革」論に対しては、経済参加者に不確実性回避の行動があると、いくら公の障壁を取り除いても自律的に効率化されるとは限らない、と。
「民営化」論に対しては、上述した公理系の自己修正システムが働かない状況では、教育制度を公共財として提供することの必要性が見落とされている、と。

現在、巷で流れている感情的な反「市場」的言説と異なり、モラルやヒューマニズムに留まらず、数学的理論的見地からの市場主義への反論というスタンスは、とても興味深いと思います。
この本は2004年に書かれたもので、出版からかなり時を経ていますので、こういった観点での研究成果がどこまで進んでいるのか、関心を持ちました。
コメント
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