そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

喜寿CEO

2010-01-14 23:16:49 | Economics
3人の財界人が語る「稲盛日航」が危ういこれだけの理由(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

ずーっとグズグズしてた日航問題。
ここにきてドラスティックに動いてます。
いったんぶっ潰れて再生した方がいいんじゃないか、とか外野にいると勝手なことをつい考えてしまうのですが。

CEOを引き受けた稲盛さん。
いくらカリスマ経営者とはいっても、上にリンクした記事にあるように、京セラと日航ではあまりに企業文化が違うんじゃないかという心配は当然頭に浮かびますが、それより何より77歳という年齢。
先日財務大臣を辞めた藤井さんと同い年の生まれ。
77歳といえば喜寿、ちょうど日本人男性の平均寿命と同じくらいでしょうか。
普通に考えて、激務をばりばりこなせるような気力・体力があるとはとても考えられないんですが。

老人社会の象徴、などと腐すのは簡単ですが、若い世代の端くれにいる者としては、お爺ちゃんに頼らざるを得ない世の中を恥じなければならないのかもしれませんな。
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長寿大関

2010-01-13 21:50:54 | Sports
千代大海が引退=大関在位65場所、優勝3回-大相撲(時事通信) - goo ニュース

大関在位最長記録保持者・千代大海が引退を決めた相撲は、長年の盟友・魁皇の幕内史上最多808勝目を献上するものでした。
同時代に、彼らのような「長寿大関」が生まれたのは、既に引退した栃東も含めて、同じようなポジションの大関が併存することにより、結果的に星を分け合うような関係が構築されたことも大きな要因になったのではないかと思います(必ずしもいわゆる「八百長」の存在を指摘しているわけではありません)。
仮に、魁皇や千代大海が全盛期に一気に横綱まで上り詰めていたとしたら、斯様な大記録は実現しなかったことでしょう。
年6場所すべて8勝7敗だったり、一場所おきに負け越したりしてたら、横綱だったらとっくに引退に追い込まれてたでしょうからね。

…と揶揄するようなことを書いてしまいましたが、ピークをはるかに過ぎた年齢になっても怪我と闘いながら、幕内最上位の地位を保ち続けることは容易いことではなく、称賛に値するのは間違いありません。
お疲れ様でした。
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平成人の日

2010-01-11 21:05:29 | Diary
成人の日がハッピーマンデーになって以来、三が日後最初の週末は三連休になるようになりましたが、毎年この三連休の頃は何故か必ずといっていいほど体調を崩します。
去年は熱出して三日間寝込んでたし、今年は先週の後半から喉が痛くなり咳が出て、発熱はしなかったものの土曜日はだるくて一日寝てました。
今日になって回復してきましたけど。
正月の疲れが出てしまうのかな、と。

さて、今年の新成人は平成元年から2年にかけて生まれた世代だそうな。
ついにそんな時代になったんですね…
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「幻想の島・沖縄」 大久保潤

2010-01-08 23:13:19 | Books
幻想の島・沖縄
大久保 潤
日本経済新聞出版社

2005年から2008年まで日本経済新聞の那覇支局長を務めた著者(現在は社会部デスク)が、本土人として沖縄に暮らし記者生活を送る中で見聞き知ることとなった、一般に信じられているイメージとは異なる沖縄の現実。
これを読めば、今まさに問題となっている普天間基地の移設問題も、まったく違うものに見えてきます。

何より、衝撃的に沖縄への見方を変えられたのは、沖縄における「革新」と「保守」の在り様。
「格差社会」である沖縄において、相対的に所得の高い公務員や学者、マスコミなどの知識層が革新系を支持し、建設・土木や観光・サービス業などの低所得の民間が保守系を支持する構図があるとのこと。
しかし、彼らの間にイデオロギー面での対立があるわけではない。
本の中で紹介されている、元沖縄大衆党書記長・比嘉良彦氏による解説が簡潔にまとまっています(以下引用、74頁-75頁)。

 「本来、沖縄の保守と革新の間にイデオロギー対立はありません。何が違うかというと、革新は理想論を主張し、保守が現実論を言う。そして沖縄全体で政府から振興策を引き出す役割分担が続いてきました。1972年の本土復帰も、運動を主導したのは教員ら官公労です。『本土並み』を目指して公務員の給料は、ほぼ本土並みになりました。復帰で一番恵まれたのが公務員だったのです。公務員は県内の勝ち組になり、同時に革新勢力の担い手でもありました。」

さらにショッキングなのは、著者が実際に取材するなかで体験した以下のエピソード。
沖縄における革新と保守がイデオロギーではなく、役割分担だということがよくわかります(以下引用、193頁-194頁)。

 沖縄に赴任して驚いたことはたくさんありますが、その一つはあまりにもセレモニー然とした反基地の抗議行動です。例えば、普天間基地の県内移設に抗議するため、市民団体が県庁を訪ねる、といったことがよくあります。私も赴任した当初は、こうした日常的な抗議行動も取材に行っていました。ところが、何回か行くとわかるのですが、だいたい抗議するメンバーは同じ顔ぶれで、対応する職員も顔なじみです。お互い談笑したりして緊張感はまるでありません。
 ところが、いざ抗議文を手渡す場面になり、テレビカメラが回りだすと「あんたねえ、沖縄の心がわかっているのかあ」みたいなことを大声で言い出し、職員サイドも神妙な顔つきに変わり「米軍にしっかり伝えます」などとうやうやしく受け取るのです。
 お互いに決められたセリフをしゃべっている感じで、ドラマの撮影現場に居合わせているような錯覚にとらわれ、私は思わず「カーット」と言って茶化したい衝動に耐える努力が必要でした。わずか数分の抗議が終わると、市民団体の代表者は「あんなんでよかったかね」とか照れくさそうに言い、職員の方も「いい感じでしたよ」などと応じています。そして、抗議する方とされる方の緊張感のなさ以上に私が驚いたのは、それを取材しているマスコミの様子です。反対派にも当局にも質問することもなく、毎度おなじみのセリフのようなやり取りをメモし、抗議場面が撮れたらさっさと引き上げてしまうのです。

結局、沖縄における反基地運動とは、普遍的な平和や反戦を求めるものではなく、被害者沖縄を理解せよと、加害者たる日本政府に対して抗議する性質のものであるとのこと。
ただ、これを茶番だと切って捨てればよいかといえばそういうものでもない。
沖縄における米軍基地の駐留負担が突出しているのは事実だし、過去において日本政府が沖縄を捨て石としてきた歴史があるのも確か。
そのような負い目があるからこそ、それを振興策という形で日本政府は沖縄に対して償ってきた。
一方で、その手厚い振興策に頼り切ってきた沖縄は、援助漬けで自立心を失い、それが沖縄の経済社会における様々な面で悪影響を生ぜしめている。

著者は、沖縄から米軍基地は無くしていくべきだ、それと引き換えに日本政府からの援助も減らして、沖縄は自立していくべきだ、と主張しています。
現在の在沖縄米軍の主力は海兵隊だそうです。
地上戦部隊である海兵隊が沖縄にいる強い理由はない。
また、普天間移設問題にしても、米国の極東における軍事戦略的な意味や、安全保障上の意義があるわけでもない、と。

今現在の普天間問題は、いったん日米間で合意され、米軍の再編成計画にすでに組み込まれた移転先を、民主党政権がこの期に及んでご破算にしようとしているかのような動きをしている点についての米側の不信感という形で現れているわけですが、上記のような視点でみるとまた見え方が違ってくる。
そのあたりのことも小沢一郎は分かった上で動いているのかもしれません(鳩山首相や福島みずほは分かっちゃいないでしょうが)。
この辺はこの本の守備範囲ではないですが、別の機会に勉強してみたいと思います。

沖縄の抱えるあらゆる問題を、沖縄の人の「気質」や、援助漬けによる自立心の欠如に結び付け過ぎのような気もします(特に、経済にかかわる問題は地理的条件とか、もっと他の要素も考慮すべきじゃないかと思う)が、沖縄に対して我々が一般的に抱いているイメージに虚構の部分が多いことを知ることができる、目から鱗の一冊であります。


<追記>
上記において「地上戦部隊である海兵隊が沖縄にいる強い理由はない」と書いた部分については、異なる見解(=沖縄に海兵隊がいることの安全保障上の意義は大きい)も有力のようです。

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二重被爆者

2010-01-06 21:56:02 | Society

広島・長崎で二重被爆、山口彊さんが死去(読売新聞) - goo ニュース

 広島、長崎の両方で被爆し、「二重被爆者」として平和活動を続けていた長崎市の山口彊(やまぐち・つとむ)さんが4日午前5時38分、同市内の病院で胃がんのため死去した。93歳だった。

 告別式は親族で営まれた。

 戦時中、長崎市の三菱重工業長崎造船所に勤務。1945年8月6日、出張先の広島市で直接被爆し、長崎市に戻って9日に再び被爆した。被爆者健康手帳には長崎での被爆しか記載されていなかったが、2009年3月、長崎市が広島での被爆を追加記載した。同年の長崎原爆忌前日の8月8日、吐血して同市の病院に入院した。

まったく知らなかったけど、このような方がいたのですね。

考えてみれば、広島も長崎も造船所など軍需工場があったからこそ投下地に選定されたわけで、造船つながりで二重被爆された方は他にもいたのかもしれません。

それにしても二重被爆しながら93歳の大往生とは…

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国民新党に集結せよ

2010-01-06 21:45:58 | Politcs

山崎前副総裁、国民新から出馬か 参院選へ自民離党も検討(共同通信) - goo ニュース

昨年の衆院選で落選した自民党の山崎拓前副総裁(73)が6日までに国民新党幹部と接触し、今年夏の参院選比例代表への国民新党からの出馬も含め検討していることが関係者の話で分かった。山崎氏は6日、自民党の谷垣総裁と会談し、参院選比例代表での自民党の公認を求めたが結論は持ち越された。自民党公認を得られない場合は離党し、国民新党からの出馬に踏み切ることが念頭にあるとみられる。

おおっ、これはわかりやすい!
いっそのこと森サンも青木サンも加藤サンも、古い自民党の方々は国民新党入りしては?
そのほうが本人たちも気心が知れてて幸せなんじゃ…

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「マークスの山」 高村 薫

2010-01-05 22:05:57 | Books
マークスの山(上) 講談社文庫
高村 薫
講談社

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マークスの山(下) 講談社文庫
高村 薫
講談社

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久々に臓腑に沁みわたるような読み応えのある小説を読んだ思いがします。

まず状況設定の重厚さが尋常ではない。
発端となる事件の舞台となる南アルプス・北岳の登山道や山麓の情景の描き込みにしても、或いは、警察組織の一筋縄ではいかない人間関係の中で捜査を進める過程の描写にしても、どれだけの取材と準備を下敷きに書かれているのだろうと思わされる厚みがある。
さらに、平成に入って書かれた小説ではあるものの、そこに流れる昭和の香り、どす黒い、昭和の闇の部分が全編から立ち上っているのがまた堪らない。

ミステリではあるものの、仮に結末を知って読んだとしてもこの読み応えは変わらない気がします。
個人的に、伊坂幸太郎のようなストーリーテリングの巧みさだけで引っ張る薄っぺらいミステリは評価する気になれないのですが、この小説はそれと対極にある。
今回読んだ文庫版は、当初の単行本版から全面改訂されており、ネットで両方読んだ方の感想をいくつか読んだところでも、登場人物の印象などにかなり相違が生まれているとのこと。
単行本版もぜひとも読んでみたいと思わせられます。

ところどころ冗長な心理描写があったり、主人公の同僚刑事のニックネームがアナクロだったり、少々首をかしげるところがないわけではありませんが、これは文句なしの傑作だと思います。
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2年前

2010-01-04 22:03:24 | Economics

年末から年始にかけて目にしたジャーナリズムの論調では「日本悲観論」がおそろしく目立ちます(特に日経系のメディア)。
年始からの株価続落がさらにその悲観ムードを拡大させている感も。
内田氏の書いている通り、米英流の新自由主義的構造改革をそのまま日本社会に当てはめようとしても巧くいかないというのはよく分かります。
ところが一方で、安倍政権から福田政権へと移り変わる中で、小泉構造改革路線が目に見えて後退するやマネーは一気に海外へ流れ、日本取り残されムードが本格化しているのもまた事実なわけです。

先日読んだ佐藤優の
「国家の罠」では、鈴木宗男が国策捜査のターゲットとなった背景として、日本社会がケインズ型分配経済からハイエク型自由主義経済へと方向を変えたことを挙げていました。
確かに小泉政権の登場は時代の要請だったと自分も感じています。
が、その改革路線を受容するだけの基盤が日本には十分存在していなかった。
それは、小泉改革路線を受け継いで完成させる強力なリーダーシップを持った後継者の不在という形で明らかになっています。

日本が何をやっていようと、世界全体でのグローバリゼーションの流れが止まることはないでしょう。
今のまま内向き議論に終始してれば、国際社会における日本の相対的な地位が下がっていくことは避けられないと思う。
地位が下がるとどんなことが起きるのか?
実はその点についてのイメージが共有されていない、というのが現状のような気がする。
とんでもないことになる!という人もいれば、別に下がるなら下がってもいいんじゃない?という人もいる。
この点についての具体的イメージが明確に見えてくるまで、分配か競争かという逡巡は終わらないんじゃないんだろうか。
そんな気がします。

上に引用したのは、今からちょうど2年前、2008年1月8日に「オバマ優勢と日本悲観論」と題してこのブログに書いた記事の一部です。
読んで気づかされるのは、2年経っても、政権が替わっても、日本の置かれている状況がまったく変わっておらず、相変わらず暗澹とした悲観論が蔓延していること。

2008年1月といえば「いざなぎ超え」の長期好景気がようやく後退し始めたタイミングで、サブプライム問題は表面化しつつはあったものの、ベア・スターンズもリーマン・ブラザーズもまだ健在だった。
その時期にすでに悲観論が語られていたということは、現在の日本経済の閉塞感は、決して今回の金融危機によってもたらされたものではないということ。
アメリカの強欲資本主義がバブル崩壊を招き、そのアメリカとつるんで市場原理主義を持ち込んだ小泉・竹中路線が日本経済を破壊した、といった分かりやすい構図が世間では結構信じられているみたいだけど、今の日本の不況は「百年に一度」ではなくバブル崩壊以来綿々と危機が続いているだけのこと。
別に小泉・竹中を全面的に支持するわけじゃないけど、彼らをスケープゴートにして「友愛」だの何だのと言っていても、根本的な解決にはまったくつながらないのは間違いない。

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MJな年末年始

2010-01-01 23:42:09 | Diary
新年あけましておめでとうございます。

年末からヨメの実家に滞在し、本日帰京しました。
冬型で日本海側は猛吹雪との予報に危険を感じましたが、実際にはそれほどのものでもなく。

年末はコドモを預けて、ヨメと映画へ。
ヨメは一人目出産前以来なんと4年ぶり!の映画。
「THIS IS IT」のアンコール上映。
地方のシネコンは客席もまばらで、噂に聞く劇場を渦巻く熱気は体験できませんでしたが、今更ながらMJの天才ぶり(と演出家としての意外な常人ぶり)を堪能してまいりました。
考えてみれば、自分の世代といえば、MJが「スリラー」や「BAD」で超スーパースター化する時代を、小中学生の自分に共有していたはずなのですが、なんだか晩年は化け物をみるような目でしかみておらず、死して初めてその超絶的な歌の巧さ、尋常ならざる身体の動き、楽曲の秀逸さの価値を実感するとは皮肉な話です。

当日夜は、NHKのBSハイビジョンで9年前のMJのステージ映像を鑑賞、紅白ではSMAPのオマージュ・ステージ(がんばってはいたが、本物と比べちゃうとやはり…)を眺め、そして帰宅した今またYouTubeで「Smooth Criminal」のクリップを観ちゃったりして、にわかにMJづいております。
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