安倍政権の思想の鍵でもある「教育勅語」は、国家神道と儒教道徳の混成物で、どちらかというと神道色を薄めて、儒教道徳を前面に出したという点、水戸学的要素がみられる。吉田松陰は水戸学と本居学を折衷させて、自己の思想を確立する。そしてついには、「尊王攘夷」の四文字のお題目を唱えれば道は開ける、身は滅びても魂が残ればよいと、と玉砕テロリズムを鼓舞するようになった。水戸学の思想はテロにつながると危険視した横井小楠の危惧を、まさに体現したのが吉田松陰とその門下生たちであったといえるだろう。
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原田伊織氏の『明治維新という過ち ー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』(毎日ワンズ)に続いて、つぎつぎに明治維新批判本が出版されている。
鈴木荘一『明治維新の正体』
しかしながら、その主張内容には首をかしげたくなるものが多い。最近出された鈴木荘一『明治維新の正体 ー徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』(毎日ワンズ)は、徳川光圀以来の水戸学の思想が万民平等と議会政治を準備したのだと主張してい . . . 本文を読む
事態は「長州閥疑獄」と言うべき様相を呈してきた。
森友学園に国有地をただ同然で「売却」した当時の財務省・元理財局長の迫田英典氏は山口県豊北町(現下関市)出身、安倍首相から国有地売却が適正か審査をゆだねられている会計検査院長・河戸光彦氏も山口県の出身。
しかも、河戸会計検査院長はつい最近も安倍首相と会食しているという。これでどうやって第三者の立場で審査できるというのだろう?
昨日の「日刊 . . . 本文を読む
文科省の学習指導要領で「鎖国」という言葉が消え、「幕府の対外政策」に改められるという。私は基本的に、指導要領も教科書検定も廃止すべきで、どのような学術用語を使うかも各教科書執筆者の自主的判断に任せるべきだとは思う。しかし、「鎖国」が明治時代の言説であり、学術的な判断として、使うべきでないという点に関しては、至極同意する。
「鎖国」も「士農工商の身分制度」も、明治の長薩藩閥政権が、江戸時代を暗 . . . 本文を読む
亀井静香氏ら超党派の国会議員が、靖国(長州)神社に「幕府」軍や会津軍や西南戦争の西郷軍なども合祀せよという要望書を手渡す予定という。現在の靖国神社の宮司は、徳川慶喜の曾孫の徳川康久氏で、以前から「明治維新の過ち」という発言をしていて話題になっていた。徳川康久氏も亀井氏の提案に大いに乗り気らしい。それにしても長州神社のトップが、いつの間にか徳川家になっているというのは驚きである。この際、徳川宮司には、根本的に靖国=長州史観の見なおしを行なってほしい。
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「幕末」と呼ばれる時代に、立憲主義と議会制民主主義に向かう政治的な流れがあったのであり、それを断ち切ったのが、安倍首相の尊敬する長州「志士」たちが成し遂げた「明治維新」という名の反革命だった。 安倍首相の中では、改憲も、明治維新150周年記念行事としての、日本の長州化計画の一環なのだろう。伊藤博文や岸信介や安倍晋三など、彼ら覇権国の傀儡政治家たちに「日本の伝統」など語る資格はそもそもないのだ。
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明後日は憲法記念日。今夏の参院選で憲法改正が争点になることもあり、今年の憲法記念日は例年とは違った意味を持つ。私は必ずしも改憲に反対はしない。しかし、国家が国民を律し、国民を縛ろうとする内容の、立憲主義のイロハもまるで分かっていない、長州史観丸出しの自民党改憲案には大反対である。
前回の記事で紹介した大政奉還150周年プロジェクト。赤松小三郎や山本覚馬が紹介されていることが注目される。以下 . . . 本文を読む
「地球上のどこに持って行っても恥じることのない憲法を制定しよう」という慶応年間に掲げられたの崇高な理念を知って、翻って、それから150年を経た後の自民党政権の改憲構想を見るにつけ、日本人としてとてつもなく恥ずかしいと思うのは私だけではないだろう。自民党改憲案のような憲法を頂いてしまっては、日本人として、地球のどこに行っても恥ずかしい。先週の記事で「自民党改憲案は135年前の五日市憲法より後退している」と書いた。いや、150年前の慶応年間に模索された憲法理念よりなお後退しているといえるだろう。
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本日(2016年1月23日)の東京新聞の特報面は「忍び寄る『国家神道』の足音」。国民を改憲モードに突入させようと、神社本庁や神道政治連盟の働きかけで、各地の神社の境内で改憲のための署名活動が繰り広げられている様子が詳述されている。
「国家」神道とは実質的に「長州神道」である。日本最大の右翼団体「日本会議」は、「長州会議」と呼ぶべきであろう。
私は、今後、改憲を策動する神社本庁に所属するあらゆる神社に賽銭を投じることを拒否する。いつまで? 神道が、長州レジームのくびきから解放され、本来あった地域ごとに多様な信仰形態を取り戻すまでである。
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著者が、靖国創建の直接のきっかけとするのが、青山上総介らが文久3(1863)年7月に長州藩政府に提出した「神祇道建白書」であり、その翌年、元治元(1864)年5月25日の楠正成の命日に山口明倫館で斎行された楠公祭であったという。ここで青山らは、吉田松陰、村田清風ら長州志士17名を「招魂」する。著者は楠公祭を「北朝末裔・孝明天皇の否定であり、国家改造の危険な祭事だった。・・・・吉田松陰の遺志を継いだ楠公主義者たちは、北朝体制を根底から否定する国家改造論者になっていった。・・・・国家転覆の神事だったのである」と見る。この楠公祭に扇動されたのが、長州藩家老の福原越後であり、楠公祭直後の7月に、京都御所を武力で襲撃し孝明天皇を長州に拉致せんとする禁門の変を引き起こすのである。著者は何も述べていないが、もし禁門の変が成功していたら、彼らは何をしたであろうか? この過激な国家改造論者たちは、北朝の末裔を退位させ、南朝の末裔を皇位に就けようとしたであろう。
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考えてみれば英米の軍産複合体は、テロリストを支援し、戦火を煽って、手強い政権(=まともな政権)を転覆させようという作戦を、19世紀から21世紀の今日まで一貫して繰り返してきました。英国が、長州のテロリストに軍事支援をし徳川政権を転覆させたのもそうですし、米国が東條内閣の戦時閣僚だった岸を釈放して傀儡にし経世会や宏池会のような手強い相手に対抗させ、日本をコントロールしようとしたのもそうでした。海外に目を転じれば、インドネシアのスカルノ政権を転覆してスハルトを傀儡に据えたり、チリのアジェンデ政権を潰してピノチェト将軍を傀儡にしたり、アフガニスタンの親ソ政権を打倒してタリバンやアルカイダを生み出したり、アサド政権を打倒するためにISをつくったり・・・・枚挙にいとまがありません。明治維新も、その文脈の中で捉えなければならないということなのでしょう。 . . . 本文を読む
覇権国に従属しながら、国民や近隣諸国に対してはきわめて尊大で抑圧的にふるまうのは明治維新以来の長州レジームの特質である。現在、覇権国の指令が、長州神社への参拝を否定し、慰安婦問題での韓国への謝罪を促している。今日の日本にとって最悪の事態は、長州レジームが、松岡洋右的な転換を図ろうとすることだろう。今年は敗戦70年であると同時に、大坂の陣で戦国が終焉した元和偃武400年であった。元和偃武400年に関しては本年ほとんど語られることがなかったのは遺憾であった。今後日本が長州レジームから脱却して目指すべき姿は、松岡洋右的転回ではなく、元和偃武後の徳川政権が志向した内需志向型経済への転回なのだ。 . . . 本文を読む
60年安保の頃に「昔陸軍、今総評」などと言われましたが、企業のみならず総評に代表される労働運動も軍隊的規律と一枚岩の団結を持つ陸軍文化の延長にあったように思います。陸軍と総評を対比させるのは、核心をつく比喩でした。全学連なども、陸軍組織の延長上にあったように思えます。総評や全学連などが全国動員をかけ、隊列を組んで軍隊式に行進し、シュプレヒコールをあげた60年安保。「2015年安保」のデモは、組織的な動員もないのに、友達同士や親子連れなどが自発的に、好きな時間に集まって、好きな時間に帰っていきます。そこには誰の強制も、組織的な規律の強要もありません。糾弾文化は、運動の側の中からは少しづつ影をひそめつつあるやに思えます。ぜひこの流れを拡大させたいものです。 . . . 本文を読む
昨晩発表された安倍首相の戦後70年談話。その歴史解釈のウンチクの部分が、まさに「公式長州史観」に彩られたものだった。安倍公式長州史観の誤謬を指摘してみたい。他の箇所も指摘したい部分は多いのですが、とりあえず、何点か指摘しておきます。水色字が安倍70年談話からの引用。白地は、安倍首相が本当に不戦を誓うのであれば、本来口にすべきと思われる談話です。
× 植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し . . . 本文を読む
昨日(2015年7月26日)の『東京新聞』(29面)において、安倍首相が、吉田松陰の愛した孟子の言葉「自ら省(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人といえども、吾往かん」という言葉を繰り返し口にし、自己陶酔状態に陥っているようだと指摘する記事が掲載されていました。民意や憲法の制約も無視してでも、「私が省みてなお(主観的に)正しいと思ったら、千万人を敵にしても、絶対に突き進むのだ」などと主張されたら、立憲民主主義国家の指導者としては、完全に不適格と申し上げざるを得ません。孟子も吉田松陰も安倍首相もアスペルガー? 孟子や吉田松陰は一国の政治指導者になることはなかったからいいですけど、安倍首相はそうではありません。 . . . 本文を読む