今年はブログがあまり更新できずに申し訳ございません。
大河ドラマ「おんな城主直虎」、視聴率が低いなどと言われて、あちこちで dis られているようだが、私は名作だと思う。(少なくとも第17話まで見る限りにおいては)。登場人物たちの個性もはっきりしていて、生き生きと描かれている。小野政次など、その人の描き方の脚本も、それに応える役者の演技力もすばらしい。
また時代背景の描写として、戦国期の百 . . . 本文を読む
明治維新150周年である2018年大河ドラマは「西郷隆盛」に決まったと報道された。
事前には、外国人主役でアーネスト・サトウは?、五代友厚なら「あさが来た」の視聴者をそのまま獲得できて視聴率アップ間違いなし・・・・など、さまざまな噂も飛び交っていたが、NHKは変化球を投げてくることなく、日本史上もっともメジャーな人物を主人公にすることによって王道ともいえる路線を採用したわけだ。
しかし明 . . . 本文を読む
西郷隆盛は国民主権を前提とした国民議会政治を支持していた。つまり赤松小三郎が島津久光に建白し、小松帯刀が積極的に推進し、薩土盟約にも盛り込まれた、国民議会の開設と新憲法の制定という路線を支持していた。この時点では、まだ西郷も赤松の考えに感化されていたのではないかと思われるのだ。注目すべきは、アーネスト・サトウが、西郷の国民議会論を「狂気じみた考え」として退けていることである。イギリスにとって、自らの言いなりになる独裁者が支配している傀儡政権が日本に樹立されることが、もっとも国益にかなうからだ。 . . . 本文を読む
過日、薩長公英陰謀論者さんがハーバード・ノーマンの『日本における近代国家の成立』(邦訳、岩波文庫)を検討の上、追加の投稿をいただきました。紹介いたします。
ノーマンの歴史観は、日本の左右の長州史観(講座派史観と長州=靖国史観)の明治維新賛美論と親和的なようにも見えるが、「人民民衆の生活への身の丈目線での共感」という点で、長州史観とは根本的に異なるのではないかという論点です。
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りくにすさんから、明治7(1874)年8月に、民主主義的な内容の憲法構想を建白した宇加治新八(旧米沢藩士の置賜士族)の紹介をいただきました。いわゆる「民撰議院設立建白書」が提出された半年後に提起された非常に民主的な憲法構想です。恥ずかしながら、私も全く不明な人物でした。これだけの人物が歴史の闇に埋もれているのですから、日本の近代史の闇はまだまだ深いといえそうです。
長州=靖国史観系の人々は、左派史観を批判しながら「汚辱の近現代史」とかおっしゃいますが、実際には左右両派の双方の史観がともに結託して、当然に光をあてるべき人物をに光を当てないまま、非常に偏った歴史観を日本人に押し付けてきたように見えます。「パンドラの箱に封印された闇の中の近代史」とでも言うべきものがありそうです。 . . . 本文を読む
ノーマンは日本生まれ日本育ちのカナダ人歴史家で、同時に外交官としても活躍、戦後はGHQのメンバーとして日本の民主化にも尽力しました。昭和天皇とマッカーサー会談のGHQ側通訳を務めるなど数々の歴史的な舞台に立ち会った人物です。日本人でも忘れていた大思想家・安藤昌益に注目し、昌益の思想を世界に向けて紹介した歴史学者としても知られています。GHQの一員として戦後の日本民主化計画にも携わったので、「日本国憲法も戦後の民主化もGHQの押し付け」と主張する安倍晋三首相からしてみたら、「(長州的な)日本を(長州的な)日本でなくした、日本の(=長州の)仇」の一人と思うかもしれません。しかし、信州で生まれ育ったノーマンは、自己アイデンティティーの形成を日本の文化と風土の中で行っており、その考え方も、濃厚に欧米的価値観というよりも、日本的な内発的な左派思想だと思います。それゆえ安藤昌益にも注目できたのでしょう。
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私が以前に投稿した「西洋学問の受容と西周と赤松小三郎」という記事のコメント欄で、renqingさんと薩長公英陰謀論者さんがすばらしい対話をしています。そのまま再掲させていただきます。西周という明治を代表する日本の知識人の精神分析を通して「明治とはいかなる時代であったか」という点についての本質的な議論が展開されています。
***以下引用******
http://blog.goo.ne.jp . . . 本文を読む
赤松小三郎の建白書を下敷きにしたと思われる「薩土盟約」の段階では、西郷隆盛は議会政治の導入を受け入れていたようにも思える。その後、西郷は、国民議会論を捨て、武力討幕路線へ転換し、赤松小三郎を暗殺し、王政復古クーデターを断行した。この背景に何があったのか?
薩長公英陰謀論者さんより、これらの問題についての興味深い仮説が投稿されてい参りました。全文を再掲させていただきます。
***以下引用* . . . 本文を読む
江戸末期から内発的に自生しつつあった、日本型の民主主義への発展径路が、明治維新によって強引に捻じ曲げられてしまったと私も思います。日本は古来から象徴天皇制であり、それが正しい姿でしたが、天皇を「主権者」と錯覚する水戸国学の誤った歴史認識を敷衍させることによって、天皇の名の下の官僚独裁権力が生み出されてしまいました。「彼ら」は、「主権者」であるはずの孝明天皇が、「彼ら」の意図に反して王政復古に反対すれば、暗殺して取り除くことも辞さなかった。結局のところ、彼らは天皇など、自らの独裁のための道具としか考えていなかった。安倍政権もそうでしょう。今上天皇は、日本は古来より象徴天皇制だとおっしゃり、天皇を「元首」と規定する自民党改憲案に反対しておられます。「彼ら」の思想が、いかに危険か、そして天皇制そのものも危うくするものであるということを、天皇陛下はよく認識しておられるからだと拝察します。 . . . 本文を読む
薩長公英陰謀論者さんから、歴史に関する仮説の問題、また歴史認識に関する非専門家の役割について、長大な論文をいただきました。コメント欄にとどめておくのはもったいないので、そのまま新記事として転載させていただきます。比叡山焼き討ち事件を例にとって、この問題を掘り下げて下さっています。
*****以下、薩長公英陰謀論者さんのコメントの枢要部分を転載*******
転載元の記事は以下
http: . . . 本文を読む
本日(2013年3月29日)は、八ッ場ダム住民訴訟の東京高裁控訴審判決である(於:東京高裁101大法廷)。これから傍聴に出かける。絶望して帰ってきて、今晩は何も書く気力もなくなるかも知れない。
日本の「貿易の父」
一つ前の記事で横浜開港時に生糸貿易の半分を担っていたといわれる豪商・中居重兵衛と、中居屋の最大の取引先であった上田藩の生糸の関係について触れた。
中居屋重兵衛は上州嬬恋村の出 . . . 本文を読む
このブログでたびたび紹介してきた信州上田藩士・赤松小三郎の記念館が来月開館するという記事が本日(2011年11月13日)の東京新聞の特報面に載っています。「竜馬に先んじた兵学者 赤松小三郎に光を -来月、長野上田に記念館」という小倉貞俊記者の記事です。
赤松小三郎記念館は今月11月20日に開館の予定だったそうです。ところが大変にショッキングなことに、赤松小三郎記念館ができる丸山邸が火災で焼失 . . . 本文を読む
赤松小三郎の構想は、「議会→内閣→官僚」であったが、実際に起こったことは「官僚→内閣→議会」であった。順番が真逆なのである。はじめに官僚政治ありき。内閣や議会は、維新志士による官僚独裁政治の本質を隠し、偽装するための外皮として後からとってつけたものなのだ。
議会を無視して維新志士たちが独走した23年の間に、官僚たちの「我は国家なり」の傲慢不遜な意識が形成された。その意識が後輩たちに連綿と引き継がれて現在にいたっている。後からできた内閣や国会なぞ、各省の官僚たちはそもそも「お飾り」程度にしか考えていなかった。今でもそうなのである。
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年末に書いた記事で八ッ場ダム予定地を国有の戦国村にして、ダムを中止した残金で戦国時代の山岳城郭と城下町と農家などを再現し、「時代劇版ハリウッド」にすべきと論じました。以下の記事です。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/e1c594a81caa64a4d9485f101593d508
昨日放映された大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を見て、やはり戦国村は . . . 本文を読む
前の記事の続きです。私が勝海舟を一万円札の肖像としてふさわしいと考える理由を書きます。これから書くことは、前の記事で紹介した板倉聖宣氏の本に依拠しているわけではなく、あくまでも私の考えです。
それは、今後の日本が、東アジア共同体の構築を経て脱米を実現する上で、勝海舟の考え方に学ぶべき点が大きいと思うからです。
まず勝海舟は、日清戦争に反対して下記のように主張しています。
***<引用開始> . . . 本文を読む