イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

また一緒に楽しみましょう

2008-06-12 18:33:22 | ニュース

2年半以上ぶりの健康診断。前回は会社の自社ビル大会議室に、健保組合契約の診療所から医師・看護師・検査技師チームに出張して来てもらって、同じ会社の正社員さんたちと一堂に会してでしたからなんか照れちゃいましたけど、今回は個人で予約取って受診券を持って健診センターに行くので、顔見知りと顔を合わせずにすみちょっとリラックス。

別にワルいことしてるわけじゃないんだけど、あの検査パジャマ?作務衣?みたいのに着替えた姿を、日頃同じ職場でツノ突き合わせてる人に見られるの、妙に恥ずかしいんですよね。

…ツノって。いや、和気藹々とした、温かみあふれる職場ですけど。フォローフォロー。

計測で身長が1センチ縮んでました(嘆)。前回の結果は忘れたけど、20年このかた履歴書に書き続けてきた身長だったんで軽く膝カックンされたぐらいのショック。

体重は…現場でショック受けたくないので2日ぐらい前から入浴前に自宅でチェックしといたから、余裕でメーター乗ったら、余裕過ぎて、いつぶりか思い出せない30キロ台(軽倒)。

まぁ大台割れっつってもいつも400グラム~600グラムぐらいの攻防(攻防って)なんですが、今回は小さく出ました(出ましたって)。数字が出たあと計測担当の看護師さんに「…全体的に縮んでるような気がしますけど」って言ったら、鼻で笑われました。看護師さんにしてみれば前回のデータもないので「本当に縮みましたね」とも言えないし、「これからまだ成長しますよ」とはクランケの年齢的にもっと言えないし、そりゃ笑うしかないわなぁ。

あと腹囲測られて、胸の音聴かれて、甲状腺触診されて、血圧と採血。最後に骨密度検査。触診担当は健診センター副主任のネームプレートつけたお医者さんでしたが、心強いことに女性で、しかもどう見ても月河より若いのな(落)。血圧は高からず低すぎずまったく問題ないそうですが、血液検査その他の結果は二週間後。ううむ。心拍数上昇。「アルコールは控えて」って言われませんように。

…肝臓つながりじゃありませんが(←すでに「危ないなら肝臓」と自覚)水野晴郎さん亡くなられましたね。76歳肝不全。有名人、特に文化人系のかたの訃報に接すると、“かなりご年配とは思っていたけど、まだ亡くなられるほどでは…”と思うことが最近多い。

『報道ステーション』の回顧映像で「僕ら子供の頃は戦後間もなく、芝居はやっていないし本も焼けてしまった中で、映画だけが先生だった。映画だけが輝いていて、こんなに自由で素晴らしい世界があるんだよということを教えてくれた」と語っておられましたが、やはり環境の違いかな。月河の実家の親も同世代ですが、両親ともに戦中戦後は田舎の中学生だったので、映画に接する機会は少なく、もちろんTVの時代も未だし、もっぱら少年・少女雑誌やお兄さんお姉さん下がりの文庫本が娯楽だったと聞きました。田舎では何も焼けなかった。

配給会社宣伝マン時代の水野さんが付けた邦題のあざやかさはつとに有名で、「それに比べると最近は原語タイトルをカタカナ表記しただけの、愛想もなければ想像力も刺戟しない、芸のない日本公開タイトルが多い」と嘆く人も多いのですが、、“The Longest Day ”を『史上最大の作戦』62年)、“The Thomas Crown Affair”を『華麗なる賭け』68年)といった一連のタイトリングお仕事を見ると、やはり「いい時代だった」と思わざるを得ません。阿久悠さんが作詞、沢田研二さんが歌った『カサブランカ・ダンディ』じゃありませんが、何と言うか、“クサさ”“気障さ”と言って語弊があれば、“臆面もない夢々しさ”が真正面から通用する時代だった。

昨年木村拓哉さん主演でドラマリメイクされて話題になった山崎豊子さんの小説『華麗なる一族』雑誌連載開始が70年、すでに“華麗なる○○”という修辞は揶揄とシニシズムの反語として成立し得たし、そういうものとして週刊誌読者、大衆も受け容れていたのです。小説のストーリーが佳境に入っても「ドロドロと騙し合い・狡猾比べで、全然“華麗”じゃないじゃないか、もっと夢のある話を期待したのに」との真っ正直なクレームが殺到したなんて話は聞きません。

水野さんの『金曜ロードショー』も見なくなって何年経っていたか、終了していたことも知りませんでした。月河がレンタルビデオを利用し始めたのが、たしか8788年頃。旧作の目ぼしいタイトルはほとんどレンタルで観られることがわかって、TV地上波の、CMカットが入る名作劇場はソフトとしてまったく魅力がなくなりました。

さらにはインターネット時代となってからは、解説も批評もTVを通さず自前でいくらでも収集可能になった。

最近の水野さんはご自身の、念願の監督作『シベリア超特急』シリーズの話題が採り上げられるときしか名前もお顔も見なくなっていました。TVの映画解説者”という専業職が、言わば社会的使命を終えたのだとしか言いようがありません。

月河がいま、一篇エンドマークまで観たあと、水野さんの「いやー、映画って本当にいいもんですね」の名セリフが胸中に自然に浮かぶのは、CG・特撮特機縦横無尽の、特に21世紀に入ってからの超大型大作ではなく、まさに水野さんが宣伝マンとして、TV解説者として活躍されていた6080年代頃製作公開の作品に集中しているのが不思議だし皮肉でもあります。

でも、やっぱり映画ってホンットーにいいもんなんですよね。物故された大物映画人、“映画だけが輝いていて自由だった”頃のビッグネームたちと、彼岸でたくさんお話ができますように。現在進行形で斯界で活躍中の若い監督やプロデューサー、俳優さんたちも、それだけはむしろ羨ましがるかも。「あんたの時代は良かった」。

……ご冥福をお祈りします。

コメント
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