世良公則さんは、ツイストで♪アンタに あげぇぇぇた~って歌っていた頃は、“プロ歌手にあるまじき汚声”に聞こえて、それがユニークで売れたと思うのですが、改めて俳優としてセリフ言ってるの聞くとどうしてなかなかの良声ですな(@『梅ちゃん先生』)。お店などであの声の世間話が背中から聞こえたら、どんな二枚目かと確実に振り返りますぜ。
演技しているところをちゃんと見るのは『太陽にほえろ!』のボギー=春日部一刑事役以来かもしれないので、ちょっと看過してました。やはりあの、カンフー風ともカツアゲ風ともつかない独特のアクションつきで腹式呼吸の場数踏んできただけのことはある。
そう言えばツイストが売れた1970年代末~80年前後は、世良さん以外にも、もんた&ブラザースのもんたよしのりさんとか、女性の葛城ユキさん、はたまたRCサクセションの忌野清志郎さん、そしてもちろんサザンオールスターズの桑田佳祐さんなど、もうひと昔前なら「歌手の声じゃないだろこれ」という悪声汚声濁声、異声怪声の人が次々ブレイクしていたような。ちょうど居酒屋やスナック、宴会場にカラオケ一気普及の頃で、歌うということの敷居がシロウトにもガツンと低くなった時期です。
それはさておき6月29日(金)放送回の世良さん扮する坂田先生、いいセリフだったではありませんか。「医者が人を助けてやってるなんて思い上がりだ」「医者は、ただ“そこにいる”だけでいいんだよ」……ううむ深い。一聴、謙遜過ぎてネガティヴなメッセージのようですが、坂田は大戦末期に大陸の病院にいて、敗戦近しの情報に怖気づき患者たちを放棄して帰国した自分をいまも悔いている男です。「そこにいるだけ」は、“生死の局面から逃げない”意味でもあるし、“患者から視線をそらさない”“疑問質問や不安にいつでも答える”ことも含まれている。
実際、平成の日本では、人口密集大都会以外のあらゆる地方で、拠点病院にすら医師数が不足し、診断能力や検査・治療設備のどうこう以前に「お医者さーん(泣)」と捜し求めたとき誰も“そこにいない”という状況が出来しています。
また大都会の大病院の、輝かしいキャリアを持つ評判有名医が、苦労して長期間待ちの予約を取って受診してみたら、パソコン上のデータばかり見て患者の顔色肌ツヤすら直に見ようとしない、患者の切実な症状の訴えを「必要なことはこっちが訊くから」と無愛想に遮る…なんてムナクソ悪い話もよく聞きます。
難しい診断や高度な治療を求められる症例ももちろんあるけれど、まずは何より「そこにいること」。そこにいて、患者を見て、話し、触れることからすべては始まる。人の命に接し取り扱う、重く大袈裟に考えていけば果てしなく重くなる仕事の本質を、この上なく謙虚で平易な表現で切り取った素晴らしいフレーズでした。
なんだか医療ドラマを見ているよう…って、コレ最初から医療ドラマか。
いま放送は設定昭和30年時制なので、だいぶ遠い話になりましたが、終戦間際に戦死した松子お姉さん(ミムラさん)の婚約者・智司さん(成宮寛貴さん)は軍医で、空襲の中入院患者たちを全員避難させ、自分は逃げ遅れて命を落とすという、坂田とは真逆の顛末を迎えてしまった人。“医師と命”という、医師を主人公に据えるなら避けて通れない大きなテーマの2大典型例が、ドラマ本編ストーリーに入る前に終わっているという脱力感がまた『梅ちゃん』らしいのですけれどね。
あとね、最近朝ドラを、朝8:00~の本放送枠で見ると、なんか『あさイチ』MCメンバーが、ラストシーンに対して必ず所感やツッこみを入れてませんか。今日(6月30日)など、週一土曜だけの『週刊ニュース深読み』の3人までがマジ顔で何か言ってたし。
だからね、もうこの流れを既定にして、脚本家さんが登場人物の役名を、『あさイチ』のレギュラー・準レギュラーの名前にしちゃったらどうでしょう。クチうるさくてワキ汗っかきのオールドミス“ユミコ”とか、恐妻家で無線オタクの上司“ヤナギサワ”(祝解説委員長ご昇進)とか。お笑い顔だが私服のセンスが良くてなぜか嫁が美人女優の中間管理職“イノハラ”とか。
…………そのまんま過ぎるか。
とにかく、「つづく」の後スタジオに切り替わったとき「“ユミコ”がまたキレてますね~あれじゃまだ当分結婚できませんよ」「“ヤナギサワ”課長もいい加減オヤジギャグ浮いてるの気づけよ、って話ですよね」「ってか“イノハラ”くんばっかりモテるの絶対おかしいよ」といった会話で盛り上がるような作りにすればいいのにね。
………盛り上がらないか。直前まで他局見てるか。