何年か特撮ウォッチャーを続けている中でも、“入れ上げる作品”と、“入れ上げない作品”が出てきます。
好きで、ファンで、毎週楽しみにしていて、週間も暇さえあればリピートしているだけでは飽き足らず、放送中も放送終了後も、関係グッズ、CD、(月河の場合特に)紙媒体の雑誌や書籍などの情報を知るか、あるいは店頭で出会いがしら、当該作品タイトルが表紙目次のどこかに載り、キャラ画像の二つ三つもついてれば何でも手に取り買い集めずにいられない作品。積極的にフトコロをいためたくなる作品。
入れ上げない作品というのは、好きで楽しく視聴することにかわりはないものの、放送番組外の“別売り関連商品”にまで食指が動かない作品です。
それでも「新品あるんだけど、いらない(読まない)からあげよっか」と言われたら速攻食いつくんですけどね。まぁ、“自腹で(総体では安からぬ)カネを出す”という行為をボーダーラインとして、その線の上に出る作品と、下にとどまる作品がある、くらいの意味と思っていただいて結構。
作品の出来・不出来感とは必ずしも相関しません。脚本も映像も高品質にまとまっていて「いやぁPも監督さんも大したものだ」とTVの前で最敬礼する勢いで視聴した作品でも財布を刺戟されないものはされないし、逆に、シロウトが観ても凸凹穴だらけ、低予算ショボ感まる出しのジャンク作品でも、いやーくっだらなかったなーと思い出すたび苦笑しながら、気がつけばべろべろ支出してたりする(まぁ世間の評価があまりローだと、いかに支出する気満々でも、関連商品書誌自体ほとんどリリースされないわけですが)。
近年の例で言えば、とことん入れ上げた自覚があるのが『龍騎』『デカレンジャー』と『剣(ブレイド)』、次いで『超星艦隊セイザーX』。特にデカと剣は04~05年の同クールの作品でしたから、この期間はもう完全に“財政破綻”を覚悟した場面が一度ならずありました。何と言えばいいのかな、“特撮貧乏”?“ヒーロー破産”?“東映さん救済しろ”?
対極の、そこそこ快適で充実した視聴だったわりには入れ上げスイッチ入らなかったのが『カブト』『アバレンジャー』『マジレンジャー』辺り。『ボウケンジャー』はその中間で、放送中と直後は比較的淡々としていたのが、時間経過とともに逆にボルテージ上がってきた感じ。
今年度は、『ゴーオンジャー』に全面降伏と言っていいと思います。…“いいと思います”なんて余裕かましてる場合ではないのでありまして、1日放送のGP‐49、蛮ドーマ大量攻撃を利してヘルガイユ宮殿の在り処を特定、生き残ったレッド・ブルー・イエローが断崖に並び、早輝「片道切符の出撃じゃないよね?」から、3人がボンパーにスカウトされた場面の回想が出た時、もう今年前半の可処分所得はぜんぶこのコたちに注ぎ込んで悔いなし!と思ってしまいました。いまの熱帯果実風シルエットじゃない髪型の走輔(古原靖久さん)はそこらの軟派な学生みたいだし、立ち売り店員ユニフォームの早輝(逢沢りなさん)は年齢詐称してバイトにありついた中学生みたい。唯一スーツネクタイの連(片岡信和さん)だけ、ゴーオン入り後よりオトナ…っていうより老けてる。
毎週観ていると顕著に感じませんが、EDに炎神ファーストラップ映像が流れると、特に初期メンバー5人の現時点までの成長ぶりがやはり目覚ましいんですね。マジレン、ボウケン、ゲキレン等と比べると、準恒例となっている強化変身“+α”フォームがなかったこともあるし、秋以降後半戦のストーリー上での“右肩上がり感”“核心到達間近感”が少なく、都度放たれる敵を、都度倒して行っただけのように見えたけれど、武器やフォームに表れない、内面の強化が著しかった。
入れ上げる/入れ上げない、どこでその差がつくのか、しかとは言えないのですが、作り手の一種のストイシズムというか、ある時点まで“手元だけ見てものも言わずに、息するのも忘れてガーッと作り倒してる”感が入れ上げスイッチを押す気がする。
『ゴーオン』は一見明るく屈託なくシンプルな物語世界で、キャラも敵味方ともに陽性・放出型でおもしろいヤツばっかり、ストイシズムなんて言うと真逆のようだけど、作り手、送り出し手の側に立って見ると、とにかく炎神12体、遮二無二企画、造形、投入、そぉりゃあーー!!っていうシャカリキ集中力はものすごかった。
ものすごすぎてゴローダーGTに指挟んじゃった(関係ない)。
『龍騎』も同様、SP、劇場版込みで13人のライダーの造形と変身ポーズ考えるだけでも青スジ立ててる感じで、脚本家さんたちも「とにかく落とさないで脱稿すっからキャラ立てとかそういうのは現場で監督さん役者さんが頑張ってよ、コッチはそれどころじゃないからさ」という手一杯さの“表面張力”で終盤まできたことがスイッチにつながったと思う。
反対に、構想にも製作にも遊び十分というか、キツキツ感がなく、「こんなの出来ましたよ」「いいねワハハ」「どうボクたち?お母さんはいかが?」「カッコいいでしょ?」みたいな、周りをゆったり見回して反応を窺うような余裕がちらつく空気感の作品は、結果めでたく完成度が高くてもあまり“フトコロに来ない”。
特撮ヒーローの場合“戦闘”“殺るか殺られるか”がベーシックの世界であることも関係しているかもしれない。発信側のいい意味の余裕のなさ、背水感が、受信側の視聴者の心の、或る琴線を震わせ、“一期一会”感をつのらせるのでしょうね。
“でしょうね”なんてほざいてる場合じゃ本当にないのでありまして、今週発売のキャラクターブックを始め、来月にはまたまたCDリリース。琴線震わせるのも大概にしてほしい…と言うより、みだりに震えてはいかんでおじゃる!我が琴線。
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