平成3年生まれ26歳。たとえば芸能有名人女性と、一般男性のカップルだったら何の問題もないんでしょうけどね。
むしろ「彼女度胸あるな、オットコマエじゃん」「彼氏もがんばれ」「司法試験ぐらい突破しろ」「マンションぐらい買え」「借金BBAなんか施設入れちまえ」・・ってそこまではなくても、結構、もっと応援の声のほうが多かったんじゃないでしょうか。
・・・あ、秋篠宮家眞子内親王と婚約者さんの話です。
正確には婚約“内定”者さんと言うべきかな。婚約式に当たる“納采の儀”が未了でしたし。
世の中が「大丈夫か」「ホレ言わんこっちゃない」という空気になりかかっているということは、つまりはそれだけ皇族の子女が国民から愛されているということでしょう。
若い男女なんだから、“婚姻は両性の合意によってのみ成立”で基本的にはオッケーなはずなんですよ。当人同士が同体温で好き合って結婚したがってるんなら、好きなタイミングですればいい。学生(院生)同士だろうが、新郎がアルバイト君だろうが、親御さんに金銭トラブルがあろうが、親や勤め先や雇用形態と結婚するわけじゃないんだから、それ自体で致命的な障害になる道理はないんです。
でも、国民は、眞子さまを愛娘や孫娘や妹や教え子のようなつもりで、幸せを祈りつつハラハラ見守っている。どうしたって婚約者さんのほうには「この人でいいの?」という視線になってしまう。
若い男女が合意のままに結婚を望むのはすこぶる健康的ですが、家族、特に向こう側に我が子を送り出すほうの家族が、向こうの親族の人品や資産状態、本人の年収や社会的地位を気にするのも、これまたきわめて真っ当で、ひとつも理に合わない事ではありません。「本人同士が良ければ、どんな家族の居るどんな家でも職業でも構わないよ」「貧乏家でも借金があっても、こっちの持参金をアテにしてても全然気にしないよ」というほうがよほど頭おかしい。
「すべて国民は法の下に平等」「人種信条性別・社会的身分または門地(=家柄・血統)によって、政治的経済的及び社会的関係において差別されない」と日本国憲法第四条に明記されています。
親族にいかがわしい人がいるから、家族に借金があるからという理由で就職面接ではねたり、学校に入学させなかったりはできません。差別になるからです。相手が泣き寝入りしてくれれば別ですが、出るところに訴え出て争うぞと言われれば敗訴します。憲法違反だから。
ただ、21世紀のこの世で唯一“身分・門地による差別”がまかり通っても許されるのが“娘を嫁に出す親の視点”なのです。若い二人が健康的に民主的、現代的なら、娘の親は健康的に保守的、健康的に封建的なのです。それを世間は許すのです。
皇族子女は、日本国民を「若い人同士がいいならいいよ」で済まなくさせる、健康的な保守主義の最後の砦かもしれない。自由にくっついたり離れたりの芸能有名人たちの噂話や、自分の娘たち息子の彼女たち、娘の女友達たちの有り様を見ていて「本当は言いたいけど、時代が違うから」と思って呑み込んでいることを、皇族子女の話なら堂々と言える。「あんな人でいいの?」「男は資格のひとつも持って定職に就いてなきゃ」「あんなお母さんと同居でいいの?」・・・
若いお二人にはもちろん頑張って初志貫徹してほしいですが、“一億総娘の親”化している現状もまた必然で自然。自然ほど手ごわいものはありません。自然の裏には正義がありますから。国民に愛されているという、まことにありがたい“自然”を、若い二人のパワーでぶっ千切れるでしょうか。二年延期で、若干長期戦になりました。
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