ここで書こうかなと思うと、見澄ましたように決まって本編がとんでもない唐突展開になって、「これこれこんなになりましたねー」と書こうと思っていたことがあらかた書けなくなるのがつねの『おひさま』。先週も来ましたな、唐突爆弾。
和さん(高良健吾さん)陽子(井上真央さん)、まさかの“夫婦の危機”。おしどり夫婦ライフには浮気“疑惑”→雨降って地固まるエピの1回ぐらいはないと、やはりいかんのでしょうか。一児(=日向子ちゃん)を成した健康な若夫婦にしてはあまりにオスメス臭がないので、終盤、少しは帳尻合わせの意図か。
同隊でいちばん気が合った戦友が、肺を患い死の床にあるという。実家が多治見の美濃焼窯元である友は、「生きて帰れたら、おまえ(の実家の蕎麦屋のため)に、どんぶりと蕎麦猪口を焼いてやる」と約束してくれていた。果たせそうもなく逝くのは無念であろう、せめてひと目見舞いたい………ベタですがいい話です。人の家の嫁となってもやたら独身時代の友人・教え子付き合いこまやかな陽子に比べ、男同士の付き合いらしきものがほとんどなさそうだった和さんの“侠気”を見せるエピに仕立ててもよかったし、昔からよく欠けたどんぶりを接いでいた和さんがモノづくり=陶芸に目覚め、「蕎麦屋として親父にはできない、オレだけにできることがひとつ見つかった」と、店で使う器のすべてを手づくりで焼き上げるまでに至るプチ成長小説にしてもよかったのに、ひたすら“亡き友の未亡人に情がうつったか?夫婦の危機疑惑”で塗りこめてしまいました。
どうも、このドラマの作家さんは、和さんを、ヒロインから見ての“理想の夫”であるにとどめ、男として陰翳がある、味があるとか、学問や人生経験に裏打ちされた人間的な深みがあるというふうには描写するつもりがないようです。高良さんの和さん、ルックス的にはもちろんカッコいいし、やることなすこと性格のよさはにじみでているんだけれど、なんだかどっかから降って湧いた様な、天使のようなカッコよさ、性格のよさなんですよね。こういう環境で育ったから、こういう書物を読み、こういう人たちとこんな交流をして来たからカッコよくて性格が良いんだろうなという、拠って立つもの、原因や根っこが見えない。ただただ自然発生的に、あらかじめ、性格がいいのです。
“茂森宏介”とフルネームの役名がつき、どんなにいいヤツで妻子を愛していたかを、和さんからウル目で語らせたわりには、この戦友さん回想でも一度も画面に登場しませんでした(9月20日現在)。こういう、台詞内の説明でしか存在および言動が語られない(しかも説明自体は妙に具体的・個性的だったりする)人物が、何人いたことか。この茂森さんのほか、丸庵ご近所でいちばん陽子と年が近かった啓子さん(初音映莉子さん。懐かしかった)の夫=建造さんも、和さんを「弟みたいに、良いことも悪りいことも教えてくれた」そうですが一度も登場なく戦死公報が届き啓子さんが泣き崩れたのみ。あと育子(満島ひかりさん)の実家=本屋の父ちゃん、東京大空襲の日列車に乗っていて犠牲となった杏子ちゃん(大出菜々子さん=国民学校当時)のご両親も。
桐野のお祖母さま(渡辺美佐子さん)のご主人にして紘子お母さん(原田知世さん)の実父=故・桐野子爵などは、陽子からも立派に血のつながったお祖父さまであるにもかかわらず、育子勾留の件で陽子がはるばる上京しお祖母さまに頼みごとをしたときにも、仏壇にお線香を手向けるシーンもなく遺影すら出ませんでした。紘子さんが良一お父さん(寺脇康文さん)と駆け落ち同然に結婚してから親子の縁を切って一度も会わずにいた子爵さまですから、陽子的にも他人でオッケーということなのか。畏れ多くも華族で、格式もプライドもあったはずの旦那さんが幻のような存在のせいで、お祖母さまの妙にイビツな寛容さ、勧められれば疎遠にしていた孫娘の嫁ぎ先に長逗留さえしてしまう、鷹揚を超えた図太さにも、根っこや原因が見えず“降って湧いたよう”です。
和さんが“天使のよう”になったについては、陽子と同い年で、6歳で病没してしまった妹・雅子の存在がかなり影響があるのではないか(当時和さんは9歳)と思うのですが、これまた遺影すら見せていただけません。徳子さん(樋口可南子さん)が自転車女学生姿の陽子を記憶にとめたきっかけも、雅子ちゃんの追憶からきていたはずなのですけれど。
まぁ、人物のクチから語られるすべての人物を、回想フラッシュ作ったりして顔出しで見せる必要はありませんが、たとえば和さんという人物の“性格の良さが自然発生的”であることと、“語られるのみで顔かたちが提示されない人物の多さ”とは同じ地平でつながっているような気がします。
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