しばらく遠ざかっていたNHK朝ドラに、昨年からなんとなく戻ってきていました。
朝起きる、行動開始するルーティンに噛み合うと、結局、おもしろいかおもしろくないかとかはあまり気にしない、引っかからないで、すんなり継続視聴しますな。このへんは、いまは無き昼帯ドラマ、高齢家族の好物=民放BSの韓国イルイルドラマと一緒。
んで、継続すると、あなどれずおもしろいんだこれが。
昨年4月~9月期放送された『らんまん』は主人公のモデルが明治~昭和にかけ、大学や学術団体に常勤せず在野で日本の近代植物学の礎を築いた牧野富太郎博士、現在絶賛放送中の『ブギウギ』は同じく戦中~戦後の歌謡界の“ブギの女王”笠置シズ子さん。
でも、劇中ではそれぞれ役名が“槙野万太郎”(演・神木隆之介さん)、“福来スズ子”(演・趣里さん)。
団体名、店名など固有名詞はもちろん、主人公の出生や来歴、人間関係も細かく変えたりズラしたりして、“実在人物の再現”ではないようにしてある。あくまでフィクション。
・・でも、ドラマ内で起きた事をモデルの人生年表に照合すると、「あ、アレはこの件の事だな」「ってことはあの人物は、牧野さんの、笠置さんの〇〇に当たる誰某って人だな」とわかるようになっている。
ハーフフィクションとでも申しましょうか。この、もってまわった感じというか隔靴掻痒感というか、楽屋落ち感というか・・「わかる奴だけわかりゃいい」、もしくは、“わかろうとしなきゃわからない”感じが、継続視聴しているとなんともクセになってくるんです。
同じNHKの看板枠でも、大河ドラマとはここが根本的に違うんですよね。大河は、どんなにアホでもガキでもスカでも徳川家康っつったら家康だし、ノッポでも羽柴秀吉だっつったら秀吉でしかないし、チビでも織田信長だっつったら信長だと思って見なきゃならない(特定の年度の、特定の作品を念頭に書いてはいないので悪しからず)。
さりとて、まったくのオリジナルの、ゼロから立ち上げた架空の物語のような、どっちへ連れて行かれるかわからない寄る辺なさは無い。“晩年はああいう風で一生を終えた人だから、だいたいそのへんに着地して完、だろう”という、七~八掛けの安心感がずっとある。
なんか自分トシとったなーと思う。こういう“ほどのよさ”をこそ、ドラマ視聴の快適さと感じるようになったわけです。
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