イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

レゾリュシオン(覚悟)

2016-01-15 02:20:46 | 朝ドラマ

 「いつも見てる夢は わたしがもうひとりいて やりたい事 好きなように 自由にできる夢」

・・現在放送中の『あさが来た』OPテーマ曲『365日の紙飛行機』の一節です。

 これを聞くたびに『あさが~』がどれだけ朝ドラとして鉄板で恵まれているかを思う。

 なにしろ封建主義社会の江戸幕末から、文明開化・富国強兵の明治維新時代ですからね。伝統ある京都の豪商の次女として裕福に天真爛漫に育ったヒロインが“やりたい事を、好きなように、自由にやる”だけで、反対だらけ障害だらけ、前例ない、お手本いない、山あり谷あり艱難辛苦でドラマになってしまう、できてしまうのです。

 「女子(おなご)に学問は要らん」「何も知らなくていい、ただお嫁に行けばいい」という時代ですからね。あさ(鈴木梨央さん→波瑠さん)が「パチパチはん!」と愛してやまない、商人の必携=ソロバンを習わせてもらうのすらひと騒動です。嫁ぎ先の両替屋の、返してもらえない前提だった大名貸しを突撃回収し、通貨切り替え取り付け騒ぎで揺れるさなかに経営再建、明治政府の殖産興業政策に先駆けて九州の炭鉱も、蔵を売ってまで金策して買い上げる猛進ぶり、現代に舞台を移し替えたとしても『プロジェクトX』級の注目を集めたでしょうが、幕末明治の因習が根深い大坂の商業界でこれをやるわけです。何処へ行っても叱られ嘲笑され好奇の目で見られ浮き上がりまくり叩かれまくり、それでもNHKヒロインらしく、設定どおりの押しの強さと根性のふとさ、根の明るさで、周囲を説き伏せ薙ぎ倒し、みるみるうちに味方を増やして戦果をあげてゆく。極端な話、演出も何もしなくても、普通に実写映像化するだけで、見るたび溜飲が下がって次回が見逃せない、教科書的な朝オビの連続ドラマに自然とできあがります。

 しかし、これが現代の日本を舞台となるとどうでしょう。女性が“やりたい事を好きなように自由にやる”について、何も文句がありません。全方位大歓迎、夢を持ちなさい、夢に向かって頑張れと、満面の笑みで応援ムード一色です。

 そりゃ日本のことですから、まだまだ根強く偏見も差別も残ってはいます。女性がちょっと本気出すと「女のくせに」と眉をひそめる年寄りもいれば、女と見ると「いいカラダしてんな」「酌をしろ」「オトコはいるのか」と別方面に前向きになるおっさんたちもバリ健在。

 しかしながらなんたって現政権が"女性が輝く社会"推奨です。“一億総活躍社会”押しです。女性が夢を持ち、男性限定だった分野に切り込み参入することに政府保証が付いているのです。同じ戦線で同じ能力の男と女が居たら、女のほうを先に役につけろという"逆差別"すらはたらいている。実態はわかりません。そんなに甘いものじゃないかもしれない。ただ重要なのは、世間がそういう空気の中で回っているということです。女性が夢を持ち夢に邁進することを、カッコいい、進んでる、歓迎し応援すべきこととする同意が、“公的”に取りつけられている。

 いまや女性のサッカー選手もラグビー選手も、ダンプカー運転手も宇宙飛行士も、高級官僚も大臣もいる。女性が何であれやりたい、なりたいという夢を持ったとして、達成できなかったら“能力(適性)不足”か“よっぽど運が悪い”しか理由がない。

 こんな時代背景で、おメメキラキラ新人女優さんの「ワタシ〇〇になりたい!」から転がり始めるドラマを見せられても、その女優さんのあらかじめファンか、“〇〇”の業界関係者やOBででもなければ「あっそ」「やれば?」としか受け止められようがないでしょう。世間が、内閣総理大臣の旗振りよろしく「夢を持て」「輝け」と応援しまくりムードなのですから、何も自分が心をこめて温かく見守る必要はないし、一緒になって悩んだり、うまく事が運べば喜んだりしてあげる必要もないわけです。

 朝ドラ現代ものが概して「まだるっこしい」あるいは「ウソくさい」としらけて見られ、内容も人気も低調に終始しがちなのは、“夢を持つヒロインの向上発展に感情移入する”という、朝ドラの根幹の地合いが作りにくい時代が現代だからです。安倍政権は「デフレ脱却」をしつこいくらい謳い続けましたが、そのおかげというわけじゃないけど“夢に向かって頑張る”という、前近代~昭和前半に輝いていた価値観はインフレ化して紙くず同然になりました。

 「夢に向かって頑張るヒロイン」でドラマが立ち上がらないというジレンマに悩み抜いた結果、『まれ』はヒロインにのっけから「私は夢が大嫌いです!」と言い放たせる暴挙に出ました。

 「夢を追いかけることは家族を不幸にする事」「人生は“地道にコツコツ”です」とも言わせた。ヒロインにまず夢を持たせ、夢実現への努力を描くことで、長年月、何十作にもわたってお話を紡いできた朝ドラが、ヒロインに夢を否定させたのです。注文過ぎる注文相撲です。

 結果、希(土屋太鳳さん)は、夢を追う者のネガティヴな部分だけを具現化したようなキャラの父親(適役すぎる大泉洋さん)と対立→和解→離反とあきらめ・・を繰り返し、本来ならまっしぐらに進んでいいパティシエへの道に背を向けて地方公務員になり、ふとした事件から思い直して辞表を出しやっぱりパティシエを目指し・・と、爽快感・達成感をことさら避け視聴者の共感意欲をわざわざ削ぎに行くような、ねじれ迂回した人生ストーリーを余儀なくされました。

 『まれ』の最大の功労のひとつは、現代もので“ヒロインの夢”を軸に据える事の難しさを、このうえなく端的に、赤裸々に示してくれたことです。「夢が大嫌い」と、日本語的におかしな宣言までさせないと、“夢”で話が作れない。作った結果があの通りです。

 「無理筋を選んだにしてはよくもたせた」とも言えるし、「無理を通して道理をへこましたからあんなことになった」とも言える。将来にわたって朝ドラが続いてほしいと思い、できれば良作を輩出し続けてほしいと願うなら、『まれ』のこの蛮勇は買ってあげなければいけないと思います。

 (この項続く)


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