今年前半、同時期に視聴していたドラマの中で『ウンヒの涙』(BS日テレ)だけ、1月から4月上旬まで完走できたのは、録画がほかの番組と重ならない真っ昼間(12:00~)、且つ、提供スポンサー名ベース画面などがなくて録画編集のしやすい枠だったこともありますが、途中、全70話の40話過ぎあたりから、1月末に一足先に完結した『私の心は花の雨』(BS朝日)と、アレ?なんだか似た話になってない?と気づいて、逆に興味津々になってきたんですね。
もともと、この2作は韓国KBS“TV小説”という同枠で、『ウンヒ』は2013年、『花の雨』は2016年に放送されたものです。
どちらも、お話の芯は“わけあって実の両親から離され自分の出自を知らずに育ったヒロインが、荒波を乗り越えて幸せをつかみ、本当の家族のきずなを取り戻すまで”ということになっているのですが、冒頭で“何故ヒロインがそういう気の毒な境遇になったか”“何が起き、誰が張本人なのか”がねっちり描かれるので、視聴者も、ヒロインを応援目線で見守るのと同等の体温で、“張本人”の動静、一挙手一投足に目が離せないように出来ている。
そういうわけで、『ウンヒ』も『花の雨』も、ある時点からは逆境ヒロインの起業や恋模様などのけなげな幸福追求物語は脇に押しやられ、“悪いヤツの偽装、隠蔽シラ切り大作戦&雪だるま式巨悪化顛末記”に変貌していきました。
かの国の脚本家さんやプロデューサーさんの擁護をするわけではありませんが、これは50話から100話を超える長尺の場合、流れ上やむを得ないというか、自然と言えないこともない。
名もなく貧しいながら人の道を守り、人を愛して勤勉に生きる善人が身の丈の幸せを願う熱量よりは、悪事と欺瞞で財をなし地位や名声を得た悪人がなんとしても逃げきって栄華を極めようというエネルギーのほうが熱っつく、切実で、ドラマチックに決まっているからです。
現に、両作とも「アレ?なんか違う話になってない?」「主役こっちだったっけ?」と気がついた辺りからのほうがずっと面白く、次回が見逃せないテンションになっているのです。
『花の雨』の良家のなりすまし偽嫁イルランと、一度は彼女を棄てた元・情夫でイルランの生んだ娘の実父でもあるスチャンが、かつては“色”で結びついていたのを一旦封印して、いとこ同士と周囲を偽りひたすら事業乗っ取りの“欲”に深入りしていくさまは逆に危うい色気があったし、『ウンヒ』でヒロインの父親に(最初は心ならずも)殺人の罪を着せて被害者一族の養子に入り、事業を成功させ社長になったチャ・ソックが、ウンヒと母ジョンオクを遠ざけるためデマを流し、当時の目撃者が現れるとヤクザを使って追い払い、真相を知られ恐喝されると自ら手にかけ死体遺棄し、ついには過去を握りつぶすため権力志向となり、国会議員に献金しまくって国政選挙出馬を画策、資金作りに裏帳簿、原材料偽装、恩人たる義母から権利書を盗み出して闇金から借金、金塊密輸・・と急坂を転げ落ちるように悪の倍々ゲームにはまっていく過程は、特にウンヒの出生を実母・養母・ウンヒ本人、全員がそれぞれ別のタイミングで知ってしまい、誰からも言い出せず三すくみで膠着してからの41話以降は、独走で物語を引き回す圧倒的な驀進力でした。
そして、これだけのパワーで欲と保身に突っ走る悪の張本人が、無欲で無力で私心のないヒロインに“なぜかいつの間にか負けてしまう”のも不思議な見どころです。概ね、重ねた嘘が、重ねワザであるがゆえに思いがけないところから剥がれてきたり、ヒロイン側にひょんなことから強力な味方がつき、彼女を援助する、守るためにしてくれたことが、期せずしてピンポイントで張本人の痛いところを突いたりする。かの国製に限らず、主人公が都合のいい人に都合よくめぐり会うのはドラマのつねですが、必ずしもヒロインが悪人の存在に気がつき、自分の境遇との因果関係を認識していなくても、そこに存在してまじめに生きているだけで勝手に悪が追い詰められていく。悪のほうは自覚があるから、「彼女がいずれ事態を察知したら、こっちは必ず暴露され失脚する」という予測を立てることができ、それを防ぐべく次々と画策するのが、ことごとく躓きのもとになる。自分で自分の墓穴を掘る、自滅スパイラルに陥るわけです。
一方、そんなことはつゆ知らぬヒロインのほうは何の計算も予測もなく、目の前に起きていることに対処しながら、日々の無事を願って淡々と暮らしていくだけ。このへん、イソップ寓話風というか、“無私無欲が最終的には最強”という価値観を端的に表現しているようで興趣深いところです。
『ウンヒ』と『花の雨』、前後して続けて視聴して共通に気がついた点、もうひとつあるのですが、次の記事で。
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