先月21日に山梨県のキャンプ場で行方不明になった小学一年の女の子の件、手掛かりがさっぱり見つからないまま捜索が捜査になり、大勢の素人ボランティアまで参加して、それをまた取材する報道陣に(たぶん)野次馬も集まって、今度はそのボランティアさんや報道カメラマンが山道から滑落したりして、プロの捜索救助を仰いだりもうてんやわんや。幼いお子さんの命が危ぶまれる事態だからあんまりおおっぴらに不謹慎な喩えも使えませんが、まさに木乃伊(ミイラ)とりが木乃伊、コントみたいなことになっています。
不本意にも“現場”となってしまったキャンプ場のある同県・道志(どうし)村、調べてみたら人口1600人少々です。山梨県の東側県境で神奈川県と接し、“キャンプ銀座”とも称される、大小のキャンプ場が密集する所だそうですが、たぶん騒動のピーク時には、善意の人、そうでもない人とり交ぜてネイティヴ人口の5倍くらい動員したのではないかと思われます。トイレとかシャワーはどうしたんだろう。ボランティアさんも日帰り手弁当で来られるかたばかりではないような気もします。コンビニやごはん屋さんはあるのかしら。あったら特需で消費税率上げ前の駆け込み消費どころじゃない、一年分を二週間ばかりで売り上げて、今年の残りは寝てても遊んでてもいいくらいのウハウハ左団扇で「店休んでキャンプでも行くか!紅葉だし!」「・・ここキャンプ場だよ?」なんて・・・・・なってないかな。
『いだてん ~東京オリムピック噺~』ウォッチャーとしては、ストックホルム大会のマラソンに日本代表として初参加したときの金栗四三選手のように、ゴールしてない?途中棄権もしてない?金栗どこ行った?どこにいる?と、代表チーム(とはいえ金栗入れて二名)の監督・団長たち異国の地で右往左往大騒ぎして見つからず、とりあえず全員宿舎のホテルに戻ったら、アラ不思議本人が部屋で寝てた・・みたいな、脱力だけどホッとする結末を期待したんですが、収穫なく迷走のままのようです。
「事件性は薄い」とされていた早い段階から、警察が警察犬を伴って山道を探る場面もTVで見ましたが、訓練され鍛えられた警察犬くんが臭跡もたどれない、遺留品も、血痕のひとつも発見されないとなると、クマその他の野生動物に襲われたでもなかろうし、もう限りなく白旗、お手上げ状態に近い。
月河家はかく申す月河本人、非高齢家族、高齢組および高齢組の高齢でなかった時代も含めて、「山があったらよけて通る」精神の、平坦舗装道路大好き軟弱者の集まりなので、キャンプ場なる施設の空間的・施設的常識がさっぱりわからないのですが、離れた都会からキャンプを楽しみに来るお客さんはほとんどそれ用のマイカーで訪れるのだろうし、そういう大きめの、多人数が乗れる車がずらっと並ぶ駐車場がほど近い所にありそうな気がするのですけど。
車がからめば、空間は容易に飛びます。わずか数分から10分間ぐらい人目につかない場所を、身長125センチの華奢でおとなしい女子小学生が独りで歩いていたら、同じキャンプメンバーの一人の親をよそおった悪い人が、「こっちこっち」と手を引いて車列の合間を縫って、わーっと乗せて発進して走り去ってしまうなんてことはできないロケーションなのかしら。いかに小村でも観光客の集まる駐車場と名がつけば、車上荒らしや接触事故にそなえて、防犯カメラの1台や2台くらい装備してそうなものなのに。
もちろん警察や自衛隊など捜索・救助のプロの皆さんがこれだけ長期間駆り出されたのだから、手掛かりの可能性のありそうな場所やモノはすみずみ洗い済みでしょうな。当初一緒にキャンプする予定だったご家族の私物のスマホ携帯などに撮られた動画も、所持していただけぜんぶ集めてチェック済みでしょう。たまたま近隣にいた別のグループのそれも調べられたはず。
行方不明判明直後ドアタマの「事件性は薄い」「道に迷ってここらのどこかで動けずにいるはず」と、“7歳女児の足の推定行動半径”にとらわれた動きが、あとあと禍根を残さなければいいがなぁと思います。
ちなみに『いだてん』の金栗選手は、本番当日のストックホルムの異常な猛暑に、いまで言う熱中症になって意識が混濁し走路を間違えてしまい、お茶会中の民家の庭に迷い込んで倒れたところを当家のご家族や来客たちにレモネードやらシナモンロールやら介抱されたものの、自分がオリンピックの日本代表でマラソン競技中だということは言葉の壁で「あいどんのー(I don’t know.)」しか言えず、とりあえず木陰で上着をかけてもらい爆睡しているところを現地の通訳たちに見つけられて、監督・団長が知らないうちに宿舎に運ばれていた・・という結末でした。
実際、当日の暑さは金栗さんだけではなく他国代表選手(当時のオリンピックは欧米の白人選手がほとんどで、いま陸上界を席巻しているアフリカ系勢は皆無)にも厳しすぎるレベルだったようで、参加選手の半分が完走できず脱落、ドラマにも登場したポルトガル代表の選手は搬送はされたものの、意識が戻ることなく翌日死亡しています。
金栗さんは期待されたメダルはかないませんでしたが、現地の名も知らぬ人たちの思いがけない善意のおかげで命拾いしたのです。
この後、金栗がリベンジを期したベルリン大会は第一次世界大戦のために中止になってしまいますが、8年後のアントワープ大会、さらには12年後のパリ大会にも、漸く育ってきた日本陸上界の後輩たちを率いて出場した金栗、いよいよ現役を退き帰郷する際「三度のオリンピック出場でいちばんの思い出は?」と尋ねられ、じっと考えた末に「紅茶と、甘いお菓子がおいしかった」と答えます。
三回出場して、アントワープの16位が最高、あとの二回は完走できずですから、記録だけ見たら悔しい、苦しい思い出しかなさそうに思いますが、その中で“行きずりに救護してくれた異国の人たちの優しさ”が、レモネードとシナモンロールの味になって、十数年の苦しさ辛さを突き抜け最後に金栗に残った。
道志村から消えた女の子も、悪いほうに想像をめぐらすと、どうしても「悪い人が何処かへ・・」となってしまいますが、“いい人”の善意がなんらかの形で割って入って、いい方に状況を転がしてくれている可能性も皆無ではないはず。人探し・人命救助のプロアマ問わずこれだけの人数の熱量を集めたことがからっきし無駄になるとはとても思えません。いいほうのニュースを待ちたいところです。
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