先月から火~金再放送の『その灯は消さない』を録画視聴のたびに、南沙織さんの『愛は一度だけですか』を聴いています。
ドラマ本放送が96年1月ですから、たぶんリリースもその頃のはず。さすがに古い。
阿久悠さん作詞、都志見隆さん作曲の楽曲は昼下がり向きのバラードでさほど時代遅れ感はないのですが、78年に引退して結婚、91年に紅白歌合戦で復帰してから休み休み、媒体に露出することなく新曲リリースだけしていた南さんの声、節回しがいかにも70年代な上、“片手間感”…と言って悪ければ“現役感の薄さ”にあふれている。
♪ 耳飾りをはずして そっと握らせ/思い出の代わりに これを大切にしてねと
あれはいつのことかしら 遠いけれど/目を閉じるたびに あざやかに思い出される
……リリース当時41歳という年齢を考えると、かなり優秀な高音も出ているものの、「あァーンれは」というもたれた引っ張り方は、オイルショック後の70年代なら若者の心をくすぐる甘さに満ちていたでしょうが、やっぱりいま聴くとさすがにキツい。
96年と言えば、邦楽シーンは小室哲哉さんのTKサウンドに席捲されていた頃ですから、当時聴いたらいま聴くのと違った意味で、やはりきつかったことでしょう。
70年代初頭、いまのように“アイドル”という商品ジャンルがあらかじめセパレートされていなかった頃、南沙織さんの曲が好きでポスター類を部屋に貼っていることは、若者男子には天地真理さんや、ちょっと遅れてデビューした麻丘めぐみさん、桜田淳子さん、浅田美代子さんなどのそれを愛好している仲間より、ちょっと鼻高々で“恥ずかしさが少ない”誇らしさがありました。
いまTVや映画で活躍しているオキナワン・ビューティ仲間由紀恵さんや国仲涼子さん、貫地谷しほりさん辺りとは違った、わかりやすいエキゾティシズムの浅黒南国美人。若者男子を意識した、ビーチや水着を連想させる楽曲を歌いながら、“芸風”が賢そうで実際アメリカン・スクールに通うバイリンガルでクリスチャン。特に戦後生まれ日本人青少年のコンプレックスを甘く刺戟する要素を全身に散りばめ、かつ歌唱力も確かで文化人・アーティストにファンが多いのも“高級感”の源になっていました。
やはりいま思えば70年代の“時分の花”だった。南さん個人の歌い手としての生涯能力の総量がどうこうではなく、時代が南さんを必要とした時間は意外に短かったのです。短かった分、惜しみなく咲き誇った。
大学に専念するために惜しまれて引退、翌年電撃結婚、やがて3児の母に。身の丈に合った、正しい道を選ばれたと思います。
放送中の『白と黒』は第4話。第1週通過前に早くも中休みモードか。礼子(西原亜希さん)のあてどない不安を軸に、カマかけては→正答なしの繰り返しではいつまでたっても話が広がらない。
聖人(佐藤智仁さん)のスケッチブック妄想ヌードの件では、礼子は気が利かないというより、無意味に意地悪に見えた。事故救出の件に昨日のタオルの件が重なっても、聖人に恩を感じていないのか。同じ女性として珠江(斉川あいさん)の身になったらいたたまれないだろうに。“所長の子息の、東京から来た婚約者はわけわからない行動する厄介者”と所内で礼子が孤立するような流れにしたいのかな。
第1話のブローカーたち、猛毒夾竹桃、所長の婦人像の件も、こうしている間にひとコマぐらいずつ進めておかないと、早晩、木に竹を接ぐような話になりそう。
ここらで唯一の大人担当・桐生所長(山本圭さん)が化学・植物学の、物語のキモを象徴するような薀蓄をひとくさり披瀝したり、家政婦・路子(伊佐山ひろ子さん)と大人の意味深な会話をしたりするシーンが入ればぐっと奥行きが出るのに。この2人、どんな料簡で20年からの歳月雇い雇われてきたのか。
嘴の黄色い若者同士のハラの探り合いに終始しては、若手男優の半裸や付け焼刃見え見えのフェンシングシーンをおかずに挿入したぐらいでは客が惹き込まれないと思いますが。
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