イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

望み叶え玉枝

2012-01-21 01:09:09 | 朝ドラマ

「言いない。」のきっぱりと、殺気さえ漂わせた遮り方からすると玉枝さん(濱田マリさん)は相当、泥水のんでますな(@『カーネーション』16日放送=第86話)。

 自分は体を売った女だから、もうオモテの世界では生きられないと言う奈津(栗山千明)の唇に指を当て「金輪際言いない」、思えば玉枝さんは、童顔若声であまりそう見えませんが、髪結いの細腕で泰蔵(須賀貴匡さん)・勘助(尾上寛之さん)、二人の息子を育て上げて来た根性と辛抱の人です。

勘助(尾上寛之さん)が最初の召集時へこんで「父ちゃんも青島(チンタオ)で赤痢で死んだわし」と糸子(尾野真千子さん)に泣き言言っていましたが、日英同盟に基づくドイツ領青島攻略戦は191410月~11月ですから、この最中か直後に死んだとするなら、大正2年=1913年生まれの糸子と同級生の勘助はまだ満1歳になったかならないか。泰蔵兄ちゃんがやっと4歳か5歳ぐらいでしょう。こんな幼い子らを抱えて、手に職有りとは言え若かったであろう玉枝さんはたいへんな苦労をしたに違いありません。子らに満足に食べさせられるだけ稼ぐ自体が大仕事だし、女ひとりとなれば良からぬ誘惑も多かったでしょう。結髪美容業だけに、苦界に身を沈める女性も多く見てきたでしょうし、彼女らが舐める苦汁も他人事ではなかったはず。女にとっての“オモテ”と“ウラ”もしくは“闇”の世界、そこに横たわる深い淵をイヤというほど熟知しているからこその奈津への「金輪際言いない」だったのだろうと思います。

 必死に育ててやっと一人前にした息子が二人とも戦争に取られて死んでしまい沈鬱のどん底にあった玉枝さんでしたが、八重子さん(田丸麻紀さん)に「糸ちゃんに仕事用の服作ってもらい」と言ったとき、もう大丈夫!と思いました。糸子が「奈津を助けてほしい」と手をついてくれたことでわだかまりが晴れた、と言うより、玉枝さん自身、誰かを助け、役に立てる、自分の出番を待っていたようでもありました。玉枝おばちゃんが「糸ちゃん」と呼んだらもう安心です。

奈津もめぐりめぐって初恋の泰蔵兄ちゃんの遺影のそばで働き、泰蔵兄ちゃんの家を自分の帰る場所にすることができた。太郎くん(倉本発さん)以下3人、泰蔵兄ちゃんの遺児たちの成長も間近で見守れる。夜逃げの後亡くなったと思われるお母ちゃんの小さな骨壷があばら家にありましたが、これで地元岸和田に埋葬することもかなうのではないでしょうか。黒眼鏡の人買いに拾われて、顔見知りの多い地元でのパンパン稼業は、跡取り娘の自負の強かった奈津にはどれだけ耐えがたかったかと思いますが、せめてお母ちゃんの骨だけは岸和田の土に帰してやりたかったのでしょう。

晴れて“安岡美容室”の看板のかかった日、リニューアルの功労者である糸子の手を玉枝さん八重子さんとともに「入り!」と引いて記念撮影に加わらせる姿は、女学校時代からの本領発揮を思わせました。若女将時代はパリ!シャキ!ポンポン!ときっつい感じだったけど、一度底辺を舐めたことでしっとりと、月影のような憂いのあるいいオンナになりましたなあ。手を使う仕事で袖口が邪魔にならない、糸子製の五分袖白衣ユニホもよく似合う。めっきりお父ちゃん=泰蔵さんに似てきた太郎くんも眩しそうです。

ヒロイン糸子のメインロードに比べると、奈津のパートは実在人物の実人生モデルがないぶん、なんだか昼帯ドラマのような浮沈テイストになっていますが、与えられた環境で精一杯まじめに生きてきたのに、戦争に振り回されて奈津にやや近い人生迷走を経験した女性は多かったことでしょう。奈津が近くで奈津なりに頑張ってくれることで糸子の、糸子フィールドでの頑張りも輝きを増す。期せずして、ともに女性を美しくするお仕事です。小学生坊主の頃から、「色の白いほうが別嬪さんに見える」「料理屋の女将は別嬪さんやないと」と日傘を手放さなかった奈津の努力も、回り回って無駄にはならなかったわけです。

いつか糸子と奈津が、女学校時代のようにああでもないこうでもないと言い合いながら、髪型とドレス、一緒にモードをデザインするような場面があると楽しいですね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ちょっと何言ってるかわかんない | トップ | 周囲を防ぐ男 »

コメントを投稿

朝ドラマ」カテゴリの最新記事