イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

夢みて愛して

2012-03-31 00:25:59 | 朝ドラマ

マギー審司さんの〆フレーズ「あっと言う間の2時間30分でしたけども」じゃないけど、本当にあっと言う間の6ヶ月でした『カーネーション』10月第一週、「もう向こう半年は、週6回“今日のカーネーション”だけ書くブログにしてもいいな」と思ったのがつい昨日のことのよう。何を思い上がってたんだか。.寝ぼけてたんだか。本当に魅力のあるドラマ、惹きつけるドラマというものは、観る人を決して饒舌にはさせない、むしろ黙らせるものだということを教えてくれた作品でした。職場や電話で「ねえ今日の見たー?」どころか、人知れずやってるこんなブログ書きですら黙らせる。今日の『カーネーション』、昨日の『カーネーション』、今週アタマからの『カーネーション』録画をエンドレスで流しながら、好きな台詞、好きな場面、好きなカットのつど「ここが好き、さっきのあそこも好き、これから何分ぐらい後に出るアレも好き」と思い続けていたい、「好きだ」と感じるその感覚にずっと浸り続けていたいと、何度思ったことか。観る→好きになる、以外の、たとえば感想を書くとか、どうして好きになったかを分析するとかいう行為に割く時間が「惜しい」と思うのです。

ドラマにはまると、放送中何度かは、あれば番組公式BBSや、巷のレヴューサイトを探して覗いてフムフム見るのですが、『カーネーション』に関しては一度もしなかった。覗いてみようかという気にすらならなかったものです。人の感想や意見に接して、賛同したり異論抱いたりする時間も、それで多少なりと消耗する感性のエネルギーももったいない。自分が感じればいい。人がいなくても、人っ子ひとりいなくても、世界じゅうに自分と『カーネーション』だけあればいい。

観ること、見つめること、すみずみまで見て、また見返すことの快楽を、こんなに惜し気なく提供してくれたTVドラマを知りません。セリフのないシーン、BGMさえ止まった瞬間にも、隙間なく快楽が詰まっていた。糸子(二宮星さん→尾野真千子さん→夏木マリさん)が大切な人との永訣に泣いたり、夢のかなわぬ悔しさを味わうくだりでも、視聴がつらいと思うことはありませんでした。せつなさのみならず、悲しみや苦ささえも快楽に変換するのが優秀なフィクションというもの。『カーネーション』は劇中に流れるあらゆる感情ばかりか、置いてある小道具、そこに差し込む照明のつくる影さえも快楽にしました。

そんな『カーネーション』もあと、ひと桁時間で最終回。もうこれで“『カーネーション』の未視聴の部分”が無くなってしまうという胸締めつけられる感覚も、快楽のうちと思って粛々と。

んで、観尽くしてから、一転、思うさまぐたぐた書き散らすとしましょう。

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