日本経済新聞2月25日付の日曜版“名作コンシエルジュ CINEMA”(芝山幹郎さん)を読んで、キャロル・リード監督『ミュンヘンへの夜行列車』(Night train to Munich)をレンタルしてみました。
1940年イギリス製作。前年にイギリスはナチスドイツのポーランド侵攻に対応して宣戦布告しており、本編も「この映画の舞台は第二次大戦前夜と1939年9月3日である」と冒頭に宣言して始まりますから、性質は純然たる反ナチス映画なのですが、そこは紳士の国らしいというべきか微妙に余裕ぶっこいた、ユーモラスな諜報サスペンス映画です。
話が脱線しますが、アメリカ映画『カサブランカ』は1942年製作、日本で公開されたのは当然戦後の昭和21年=1946年です。月河の実家母はそれからさらに3~4年ぐらいたってから地方の町の映画館で伯父に連れられて見たそうですが、軍隊経験ありの伯父が「俺たちが麦飯やイモ食わされてた頃、こんなロマンチックな映画を作ってたんだから、アメリカと戦争やったって勝てるわきゃなかったな」と笑ったのが忘れられない・・と言っていました。映画は国の文明度、民度を表すサンプルでもある。
『カサブランカ』が、あくまでアメリカハリウッドらしいヒーローとヒロインの物語なら、こちら『ミュンヘン~』はジェントルマンとレディの物語とでも言いましょうか。
ナチスドイツがチェコ進攻に先立ち市民に第三帝国服従を求めるビラを撒く。プラハのチェコ人科学者ボマーシュ博士は、研究が装甲材に最適なことからナチスに狙われ、連合軍は娘のアンナとともに博士をイギリスに亡命させようとするが、間一髪でアンナはナチスに身柄を拘束される。博士はギリギリまで搭乗口で娘の到着を待っていたが追手がかかり、やむなく一人で先に渡英。
アンナは収容所で医務室の助手をさせられる。ナチスはなんとしても博士の技術が欲しいので、愛娘は人質に使えるから他の被収容者より待遇がいい。
アンナはナチスに反抗的な態度で拷問されているカール・マーセンという男と知り合う。国境地区の学校教師でドイツ語での授業を強制され拒否して逮捕されたという。学者の娘であるアンナは好感を持ち、父が先に亡命し自分も後を追いたいが・・と苦境を打ち明ける。監視兵にかつての同僚がいるというマーセンは脱走を持ちかけ、夜間探照灯にトラブルを起こさせて首尾よく鉄条網を破り、貨物船に密航して見事、イギリス上陸に成功する。アンナの表情は目に見えて明るくなる。次は何とか父と連絡を取り合流したい。マーセンは先に渡英している友人に協力を仰ぐからと、アンナを郊外の眼科開業医の家に連れて行く。
アンナを待合室に置いてマーセンが診察室に入る。ここからマーセンの正体を観客に知らせるくだりがなかなかの手際。友人だという眼科医が禿頭丸眼鏡のいかにもドイツっぽい風貌なのでまず一抹不安が兆すのだが、マーセンは視力検査表を差されてまったく違うアルファベットと数字を暗唱し、眼科医がファイルロッカーを探すとその文字番号のカードにマーセンの姓名が載っている。文字番号はファイルコード兼合言葉で、マーセンはナチスの諜報員だったのだ。友人どころか覆面工作員だった眼科医とともに暗室でハイル、ヒットラー!の唱和。もちろん待合室のアンナは知らない。観客はヒヤヒヤする。志村後ろ後ろ―!お嬢さん早く気がつけ、逃げろー!
しかしマーセンも慎重だ。眼科医の指示通り新聞広告を出させ反応を待つ。深夜、広告に応じた英国情報部らしき匿名の電話がアンナ宛てに来る。マーセンは階段の上で聞き耳を立てる。ここで観客が少しホッとするのだが、アンナは電話で聞いた接触の方法を「誰にも言うなと言われたから」とマーセンに漏らさない。マーセンは若干失望の色を見せつつもここで焦っては元も子もないので「心配なら言わなくていいよ」と泳がせる。
アンナに送られてきた切符は海浜の保養地へのもので、会うように言われた男ガス・ベネットを訪ねると、何だか浮ついた、カンカン帽に蝶タイで観光客相手に歌う芸人だった。アンナは半信半疑で父親との現況を相談するが要領を得ないので立ち去ろうとする。そのとき「あれ?」とベネットが沖を指さすと、魔法の様にモーターボートが現れ、護衛のついたボマーシュ博士が乗っているではないか。待ちわびた父娘感動の再会。ベネットという男、軽薄そうな歌い手はカムフラージュで、なかなかデキる本物らしい。
博士とアンナはそのまま保養地の店の二階に潜伏するが、実はあの眼科医があとをつけていた。この時点ではアンナはマーセンを疑っておらず、むしろまだ信頼している。ベネットはマーセンへの郵便物を転送させ、こっそり開封して彼の正体を知るが、アンナたちに告げる前にイギリス提督の使者を装った二人組に隙をつかれて昏倒させられ、父娘は連れ出される。
提督が晩餐を共にという旗艦まで父娘はボートに乗せられるが、イギリスの海岸、霧が深い。なかなか旗艦の灯りが見えないので父娘は疑念が兆す。やっと輪郭が見えた船影は、接近するとUボートで、砲塔に思いっきり鉤十字の記章がある。いけない、罠だった・・とアンナが痛恨の思いで甲板を見上げると、見下ろすナチス軍服軍帽の将校姿はマーセンだ。霧に腕章のハーケンクロイツが浮かび上がる。
ここからスッと場面が変わりイギリス情報部らしきオフィス。ベネットの本名はランドール、せっかく身柄確保に成功した父娘を奪回されて悔しくてしょうがない。上司は「マーセンを見くびっていた、君の落ち度ではない」と慰めてくれたが、ランドールは独自に再奪回計画を立てた。自分はベルリンに3年駐在し土地勘がある、博士父娘がミュンヘンに尋問に送られるまでの四十八時間以内に接触し連れ出そう。ドイツ軍はすでにポーランドにも侵入しており奪還は難しかろうと上司は難色を示すが、「一週間ぐらい療養休暇でも取れば」と暗に支援してくれることになった。
かくしてガス・ベネットことランドールは勇躍ベルリンに潜入。ナチスドイツ陸軍将校の軍服軍帽とアルセーヌ・ルパンばりの片眼鏡で変装し、ヘルツォフ少佐と名乗って、いざ父娘が軟禁されているドイツ軍司令部へ。伊達男らしく軍帽がちょっとアミダかぶりになっているのがナチス将校としてどうなんだと観客は心配だ。大丈夫かな、頼むぞ。
上司は博士に接近できるよう紹介状を偽造してくれたが、その紹介状を見せる文書室に入るための通行証がない。この辺り上司も大概だなと思うが、ここらへんからイギリス流ユーモアが徐々に全開し、マーセンとのくだりのピリピリしたダークな空気は一旦後退して、ヒッチコックともちょっと違うキャロル・リード印の軽妙なスリルへと変わって行く。
玄関ロビーの身分証チェックラインで機会を窺ったヘルツォフ少佐、文民の老職員がうっかり失言で守衛と揉めている隙にちゃっかり守衛の背後に回り「職務熱心でご苦労」といけしゃあしゃあと身分証無しで潜り込んでしまう。紹介状を改める、頭の固そうな文書将校が「署名が読めない。陸軍の何と言う将軍からの紹介?」と質問すると「いろいろ回されたので覚えていないが、キミの事を優秀だと褒めていたよ」とおだてて、なんだかんだで博士が軟禁されている部屋にまんまと取り次がせる。
部屋ではアンナがマーセンに憤懣をぶつけている。収容所で拷問の傷を手当てしてあげた時点からずっと自分をはめる芝居だったのだ。「哀れ過ぎて憎しみも湧かない、間違った思想を吹き込まれて洗脳されているなんて」とバリバリナチス批判を述べ立てるので、マーセンの上司は呆れて「博士が我が軍に協力を決めて下さるまで娘さんは強制収容所に行っていただこうか」と脅し、博士は「娘は関係ない」と慌てる。チェコ人だから祖国を侵略するナチス軍にくみしたくないが学者として研究は続けたい、しかしそれ以上に一人娘の命が大事だ。
そこへヘルツォフ少佐が入って来る。がっつり軍服でもアンナはすぐに気づき父の手に触れて合図する。博士も気づいた。まさかあのベネットさんまで罠?ヘルツォフはきびきびと軍隊式の挨拶をする。「博士、私をご記憶でしょう、ここで会えるとは」、どういうこと?どうすれば・・と反応しあぐねているアンナには「アレから・・四年ぶりですね」。目が合って、アンナはここでハラを決めた。罠じゃない、ベネットさんは私に演技を求めている、助けに来てくれたのだ。このアンナというお嬢さんは要所でなかなか勘がよく度胸がすわっていて、本編のさくさくテンポに貢献している。
父娘が別室に移されるとヘルツォフ少佐は「博士の協力取り付けに手間取っているんなら、少し痛めつけたらどうだ、工兵隊は急を要するんだよ」とマーセンたちに揺さぶりをかけたあと、「私はプラハで何度も博士に会っている、アンナとは“親密以上”の仲だった」「私なら少し時間をもらえれば博士を協力させるようアンナを説得できる」と自信満々で持ちかける。マーセン君はイギリス情報部を出し抜いた功労者だが女性の扱いには長けていないようだ、コツがあるんだ私に任せなさい。偽造の紹介状に騙されたハシンガー将軍という上官が結構その道に理解のある人物で、「キミは隅に置けん男らしいからな、目を見てわかった」「数時間で説得できるのか?」→ヘルツォフ「四年のブランクは長いから、なんならひと晩」。傍らでマーセンは憮然としている。イギリス上陸でアンナの心をつかんだと思ったのに、保養地に出向く際何も告げずに消えられた。“女の扱いは無能”呼ばわりされて、見慣れぬ工兵隊少佐に対し闘争心が湧いている。
この後ヘルツォフはアンナの寝室に入り込んでラブラブ芝居を続けるが、総統本部からの指示で博士父娘は急遽ミュンヘンに護送されることになり、舞台はタイトル通りの“夜行列車”に移る。ベルリンから南ドイツのミュンヘン、欧州大陸の奥深くに入って、果たしてヘルツォフは正体が露見しないうちに父娘を逃がせるのだろうか?というスリルでラストまで突っ走る。また全然露見しなければスリルも中ぐらいで終わってしまうので、そこはいい具合に列車内でランドールを見知るおとぼけイギリス人旅行者二人組に声をかけられて絶体絶命の危機も来る。ついにはミュンヘン駅からまさかの大芝居で軍用車を乗っ取ってアルプス国境に到達、中立国のスイスに渡る山岳ロープウェイで追手に追いつかれ銃撃戦に至る・・
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スパイスリラー、“脱出サスペンス”の定石を過不足なく押さえながら、気がつけばドキドキハラハラの合間にクスッと笑いも絶えない、ナチスドイツの脅威が迫る1940年当時の世情でもイギリスの映画界で求められていたのはこういう味だったんだなあと改めて思います。余裕ですね。
俳優さんに目を移すと、クレジット上の主役はアンナ=マーガレット・ロックウッドとランドール=レックス・ハリソンの二枚看板になっていますが、敵役マーセンのポール・ヘンリードの印象が別格に独特です。ハンサムで柔和だが妙に冷やっと、ヌメッとしていて、ランドール役ハリソンのサバサバした剽軽さと好対照。
日本ではそれこそ『カサブランカ』の、イングリッド・バークマン扮するイルザの夫であるレジスタンス運動家ラズロ役がいちばん有名でしょう。この人は戦前のオーストリア=ハンガリー王国領の貴族の生まれで、舞台俳優としてウィーン劇場でデビューしてから映画に転じイギリスに渡った人で、第二次大戦が勃発しドイツが敵国となってからは何度も微妙な立場に立たされたようです。本編でもOPクレジットでは“Paul von Henreid”と、オーストリア貴族の冠号つきの芸名になっていて、これはこの作品の中での、ナチス情報将校という、当時のご本人としてはあまり気持ちよくはなかったであろう役柄に寄せたものだったのかもしれません。収容所でことさらに反ナチスを唱えて拷問されて見せたり、紳士的な態度で亡命者の令嬢を安心させたかと思うと冷徹に本性を現し、挑戦的なヘルツォフが現れるとまだ敵のスパイと判らないうちから粘っこい敵愾心をのぞかせる。この人の“端正な不気味さ”が無ければ、本編の持ち味の飄々とした、根アカな娯楽性も空振りに終わったでしょう。
イギリス情報部が反ナチスの科学者を奪還するのに“ミュンヘンへの”列車に乗られてはドーバー海峡を離れ敵のふところのますます奥深くになってしまう・・と思いきや、アルプスを突っ切れば天下の永世中立国=スイスというフリーポートに着ける。ナチスドイツがいくら第三帝国だなんつって欧州をのして歩いても、どっこい悪が栄えたためしはないんだよ、俺たち民主主義の連合軍には必ず味方が居るのさ・・と、時流に乗った反ナチス広報宣伝映画として見ればなかなかの“上から目線”も感じる。
この映画の公開後、約五年にわたる欧州での数々の悲劇を途中で止めることができなかったわけですから、イギリスでこういう余裕な映画が作られていたことを無心に喜んでもいられませんが、平和になって結果がわかってから観る戦争スリラーとして、後味が良いことは残念ながら(?)認めざるを得ない一編でした。レンタルして良かった。
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