★昨日は、NPO The Good Times の理事会だった。
山本隆君がこんなレースの旧い写真をいっぱい持ってやってきた。
そんな写真の中から、私にとっても懐かしい写真の何枚かをご紹介して、その想い出を語ってみたい。
●カワサキのレースのスタートは、
1963(昭和38年)5月19日の青野ケ原だと一般にはいわれている。
確かに、明石の工場の人たちがレースに関わって参戦したのは、その通りなのだが、
カワサキ自販ベースのレースはもっと古くB-7時代から自販の小野田滋郎さんや川航の井手哲也さんたちが三吉一行などとやっていたし、三橋実を契約したのは小野田滋郎さんのはずである。
先日東京でヤマハの本橋さんから、B-7のエンジン貰って、三室などとカワサキに乗っていたなどと聞いたし、その時本橋さんから井手さんの名前が出たりした。
当時、私は直接レースには関係していなかったが、小野田さんからはそんな話を何となく聞かされていたのである。
●明けて1964(昭和39年)春 第1回MFJ 日本グランプリが相馬が原で開催されたが、その成績は散々なものだったのである
★カワサキがモトクロス界にホントにデビューしたのは
1964(昭和39年)10月10日 東京オリンピックの開会式の当日伊豆丸の山高原のMCFAJ全日本で山本隆が久保和夫(スズキ)荒井市次(ヤマハ)の両雄を下して優勝を果たしたその日からだと思う。
その1カ月後のスポニチ主催の西日本モトクロスの紀の川モトクロスで、星野一義が初めてレース場を走ったリしたのである。
これは、その翌年
1965(昭和40年)4月、 MCFAJ 全日本の朝霧大会の時のメンバーである。
20番台のゼッケンが契約ライダーたちである。
右から梅津、岡部、山本、歳森、三橋、安良岡、
54番が星野一義だが多分未だこの時は契約はしていないがカワサキコンバットのチーム員だったのである。カワサキコンバットは三橋実が主宰し、毎月運営費契約で、全国の有望ライダーを育成していたのである。星野以下は、野島、堀、三橋弟。
山本隆、歳森康師の二人は神戸木の実クラブ所属であった。
この大会で、星野は90ccノ―ビス で優勝を果たしている。
この年の5月3日
第1回ジュニアロードレースが鈴鹿サーキットで開催された。
トップが3位入賞の山本隆、ゴール直前の写真である。 その後ろがBSの滋野靖穂。優勝は神谷忠(ホンダ)2位もホンダ。
このレースがカワサキが初めて鈴鹿を走ったレースである。
会社からはロードレース参戦は許されていなかった。 青野ケ原のモトクロス同様、かってにマシンを作って、鈴鹿モトクロスに出場することにして、会社には内緒で出場したのである。
予想にもしなかったホンダに次ぐ成績で3位入賞を果たしたので、その結果を会社にも公表したら、
直ち『ロードレース参戦』の号令が下って、1ヶ月後の6月『鈴鹿アマチュア6時間耐久レース』に3台のマシンをエントリーさせることになったのである。
山本隆が既にジュニア資格を取っていたので、神戸木の実の歳森康師のパートナーとして無契約で登場したのが、金谷秀夫なのである。
そして、このレースではじめてカワサキに監督が登場した。
大槻幸雄監督、田崎雅元助監督なのである。
こんな経緯があるので、山本隆は、ロードレースのライダーたちに、カワサキのロードレースの道を開いたのは自分だと胸を張るのだがその通りなのである。
この時点、第4回MFJ 日本グランプリの大会後の福島オートでの記念撮影である。
1967(昭和42年)この年1月から私は東北6県担当に異動、この郡山のレース場はMFJに頼まれて中西社長と一緒に自衛隊にお願いに行き、その演習地を借りて行ったものである。
カワサキはF21M全盛期、確かヤマハがDT1を登場させた大会である。
この写真には私は写っていないが、殆ど全部顔見知りのメンバー達で懐かしい。
これはその翌年北海道ティネオリンピアで開催された第5回MFJ 日本GPである。
MFJの日本GP については第1回の相馬が原は知らないが、2回以降この第5回までは全て現地にいた。
星野も吉村ももうトップライダーになっていた。お二人はアマのデビュー時代のころからよく知っている。
一緒に走っている木村夏也は、第2回の日本GPでアマ優勝でデビューした時はカワサキにいたのだが、このころはスズキに移籍していたかも知れない。
カワサキ全盛時で、山本隆君はエ―スライダーであった。
★ご縁があってカワサキのレースにいろいろと関係した第一期は1963年から68年ごろまでの年間である。
後年もう一度レースに深く関係した時期もあるのだが、一番想い出の多いのはこの時期である。
そして一貫してカワサキのレースを支えてくれたのは山本隆君である。
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山本隆君がこのブログに寄せてくれたコメントです。
何故あんなに積極的になれたのか!
・コメント
私は元来石橋を叩いて渡る性分である。
二十歳前後に何故か積極的な行動をしている!
木の実クラブの片山学級生の歳森、金谷、村上、谷岡など六甲トレーニング組は、モトクロス専門だった私より遥かにロードの経験は多かった!あのプレイボーイの歳森でさえ、手を出さなかった85J-1を私はロード仕立てにしたのである。
木の実に加入して、師匠に六甲トレーニングを、日曜毎に特訓を受けたが、決してロードは得意では無かった。
なのに、カワサキを初めて鈴鹿サーキットのポーディアムに上げた男になった!
今あらためて思い起こすと感慨ひとしおである