会社勤めの最後の2年間を札幌で過ごした。
40数年間の勤めのなかで、はじめての単身赴任でもあった。
仕事の内容も単車やジェットスキーといったものから建設機械と様変わりしたし、北海道という広大な自然の中でのいろいろな体験は、いい思い出ばかりが残っている。
何故、このようなことになったのか、自分自身の人事のことなので推定も多く入るのだが。
建機事業は一時非常に悪かった。この事業の再建は大きな課題であった。
単車事業も苦難の時期があったが、それを乗り越えて安定期に入っていた頃、高橋鉄郎さんが建機再建の担当をされることになった。
単車と建機では異なることも多かったが、まず工場サイドに単車から藤浦さんや原田君が入って、製造方法やコストダウンに注力し何とか目途も立ち始めていたと思う。
私は国内販社を担当していた頃で、建機の営業の方に二輪やジェットスキーの販売のことを参考までに研修会で話をさして頂いたこともあったりした。
1997年3月19日、東京で松井田のサーキットの件で、経営会議の最終承認をもらった翌朝、
高橋さんと田崎さんと雑談をしていたら、「北海道川重建機のことで」と案件が入り、私はそれから飛行機で明石に戻ったのだが、その晩、高橋さんから家に電話が入った。
「北海道川重建機に2年ほど行ってくれないか」というものっだった。
突然だったし、答えは保留して電話を切った。
朝、建機の話のときは「人事」の話だということは解っていたのだが、その時は私の名前はまだ、無かったのだと思う。
「私の野球部の後輩でもある原田君が事業部長をするようなので、煙たがりませんか。」などと言っていたのだが、高橋さんからの直接の話だし、お断りすることは出来ないとは思っていた。
原田君からも直接「頼みます」という電話が入ったりして、3月21日には正式にお引き受けをした。
北海道川重建機は設立以来ずっと優良会社である。
今まで私が担当した販社の経営再建とは全然異なる課題が求められた。
全国に展開する建機の販売会社の中で、唯一「子会社でない」自前の販社である。
そこの経営はまた、違った面でいろんな難しさはあるのだが、若い頃東北での自前の地元販社とのお付き合いの経験がいろんな意味で役に立った。
そういう意味で、経営そのものも非常に面白かったし、特にメーカーのサラリーマンでない、独特の雰囲気をもつ地元出身の人たちと一緒に仕事が出来たのは、本当に良かったと思っている。
今年も、北海道川重建機の方から沢山の年賀状を頂いた。想い出を共有する仲間たちである。
「北海道&建機」というカテゴリーを新設してスタートしたい。
40数年間の勤めのなかで、はじめての単身赴任でもあった。
仕事の内容も単車やジェットスキーといったものから建設機械と様変わりしたし、北海道という広大な自然の中でのいろいろな体験は、いい思い出ばかりが残っている。
何故、このようなことになったのか、自分自身の人事のことなので推定も多く入るのだが。
建機事業は一時非常に悪かった。この事業の再建は大きな課題であった。
単車事業も苦難の時期があったが、それを乗り越えて安定期に入っていた頃、高橋鉄郎さんが建機再建の担当をされることになった。
単車と建機では異なることも多かったが、まず工場サイドに単車から藤浦さんや原田君が入って、製造方法やコストダウンに注力し何とか目途も立ち始めていたと思う。
私は国内販社を担当していた頃で、建機の営業の方に二輪やジェットスキーの販売のことを参考までに研修会で話をさして頂いたこともあったりした。
1997年3月19日、東京で松井田のサーキットの件で、経営会議の最終承認をもらった翌朝、
高橋さんと田崎さんと雑談をしていたら、「北海道川重建機のことで」と案件が入り、私はそれから飛行機で明石に戻ったのだが、その晩、高橋さんから家に電話が入った。
「北海道川重建機に2年ほど行ってくれないか」というものっだった。
突然だったし、答えは保留して電話を切った。
朝、建機の話のときは「人事」の話だということは解っていたのだが、その時は私の名前はまだ、無かったのだと思う。
「私の野球部の後輩でもある原田君が事業部長をするようなので、煙たがりませんか。」などと言っていたのだが、高橋さんからの直接の話だし、お断りすることは出来ないとは思っていた。
原田君からも直接「頼みます」という電話が入ったりして、3月21日には正式にお引き受けをした。
北海道川重建機は設立以来ずっと優良会社である。
今まで私が担当した販社の経営再建とは全然異なる課題が求められた。
全国に展開する建機の販売会社の中で、唯一「子会社でない」自前の販社である。
そこの経営はまた、違った面でいろんな難しさはあるのだが、若い頃東北での自前の地元販社とのお付き合いの経験がいろんな意味で役に立った。
そういう意味で、経営そのものも非常に面白かったし、特にメーカーのサラリーマンでない、独特の雰囲気をもつ地元出身の人たちと一緒に仕事が出来たのは、本当に良かったと思っている。
今年も、北海道川重建機の方から沢山の年賀状を頂いた。想い出を共有する仲間たちである。
「北海道&建機」というカテゴリーを新設してスタートしたい。