雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

2023鈴鹿8耐    雑感

2023-08-31 07:13:10 | カワサキワールド
★ KAZEの機関誌NO,289号が送られてきた。
 今月号の表紙は「2023鈴鹿8耐」である。

 現役時代はKAZE8耐も密接に関係があって、
 8時間耐久のある7月末の『8耐ウイーク』は毎年鈴鹿で過ごしていた。
 8耐の翌週が『全国安全運転大会』があってそれにも出席しなければならなかったのである。

 今年の鈴鹿8時間耐久ロードレース は第44回大会なのだが、
 今年の鈴鹿8耐にカワサキ系チームは、カワサキ プラザ レーシング チームやチーム をはじめとした6チームが参戦したようだ。
 
 最近は鈴鹿8耐にも全く疎くなってしまっていて、
 NST クラスがどんなクラスなのかもよくは解らないのだが、
 そのNST クラスで2位に入ったようである。



 



NSTクラスは、昨年優勝したので2連覇に期待が掛っていたようだが、
金曜日の予選でエースライダーの転倒があって、そんな状況下での2位は大健闘だと思う。


  


★今年は土曜日に「ニンジャチームグリーンカップ」開催されたようである。
このレースはレースビギナーに対してカワサキが企画している「Ninja ZX-25Rのワンメイクレース」で、
今年は鈴鹿8耐と同時開催ということで、実に贅沢な企画が盛り込まれたというのである。
その一つが表彰式で、鈴鹿8耐と同じ表彰台が使用され、
上位3人はその表彰台で賞品を授与されたり、
シャンパンファイトを繰り広げたりしたのである。


 


 これはワンメークレースだから、
 優勝もどんびりもカワサキだが、なかなかの企画だなと思う。
 こんなレースがあることも知らなかった。

 鈴鹿8耐も遠くなったものである。



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昨日は慶睦会だった

2023-06-08 06:24:28 | カワサキワールド

 「慶睦会」とはカワサキの国内販社・現在のKMJのOBたちのOB会である。
 昨日はその「第27回慶睦会」があって出席してきた。
 コロナがあって3年ほど開催がなかったのだが、
 会員の皆さんも高齢化して、この間に14名の方が亡くなられて、 
 コロナの影響もまだあるのか、
 今回は総勢14名と言うこじんまりとしたものになったのである。
 

 



 このKMJは旧くカワサキ明発工業がそのスタートで、
 今年は70周年と言う節目の年なのである。
 私自身もこの販社に現役時代3回の出向期間があって
 最初に関わったのは昭和36年(1961年)だから、
 62年も前のことでカワサキの二輪事業に関わったメンバーとしては最古参と言ってもいいのである。

 この会社の経緯はいろいろとあったし、この会社に関わった人たちは川重からの出向者は川重に戻ってしまうこともあるし、
 中途退職してカワサキの販売店を開設した人などいろいろで、
 普通の会社のOB会のように定年退職した人たちで構成するのとはちょっと違っていて、
 この販売会社に「1日でも籍を置いた人は権利あり」と言うOB会なのである。

★実はこの「慶睦会」は永年この販社社長を務められた田中誠さんの提言で、
 ちょうど私が販社出向時に創ったもので、
 東京と明石にそれぞれの会を創ったのだが、
 だんだんと年齢も高齢化して東京は何年か前に解散したようである。そんなことで今は明石だけになってしまった、
 
これは現KMJ桐野英子社長と現役時代カワサキのJET SKYの事業化をしたり、アメリカKMC社長を務めた鶴谷将俊さんと私のスリーショットである。





 女性の活躍がいろいろと言われる昨今だが、
 桐野さんは若いころはカワサキフランスの社長を務め、
 今は国内のKMJ社長を務めている才媛である。

 今回集まったメンバーは少なかったが、
 本当にカワサキの二輪事業スタートの時期からのメンバーが多数いたし、
 カワサキの会合にはどこにでも顔を見せる八尾カワサキの加藤ご夫妻も一緒だった。

 加藤紀さんは、カワサキの現役時代に85J1で富士登山に成功されている。
 ホントか?と思われるが、ホントの話で、
 その一行の費用の面倒をみたのは私なのである。
 私が広告宣伝課長時代で、
 オートバイ誌とサイクリスト誌にこんな広告を打ったのである。

  



 そんな昔話も出た楽しい「慶睦会」だった。


 


 ただこのようなOB会も会員の方たちが年々高齢化して、
 出席メンバーは激減したと言っていい。
 それなのに今回集まった人たちは不思議なほど事業スタート時にいた一番旧い連中ばかりだった。
 私自身も30歳代だった若いころのメンバーで昔話に花が咲いた楽しい時間だったのである。


 お土産に、こんな立派な70周年記念グラスを頂いた。

 

 

 
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最初の国内出向の10年間

2023-04-16 06:20:51 | カワサキワールド

★昨日まで運転免許を取ってからの「私の運転歴」をアップしてきたのだが、
 この運転免許を取ってからの10年間は、
 私の「国内市場出向」の最初の10年間なのである。
 
 現役時代の40年間のうち、ご縁があって国内市場には3度の出向をしているのだが、
 その最初の出向が昭和40年(1965)1月なのだが、
 その年の5月に運転免許を取っているのである。

 販売会社に出向になったから、免許を取ったと言えないこともない。

★この10年間は
 ● 最初の3年が広告宣伝とレース担当
 ● 次の4年間が仙台で東北6県の代理店担当
 ● そしてそのあとの3年間が第1線の販売店担当営業

 で、この10年間の経験が私のその後の仕事のベースになったし、
 もっと言えば、「私の人生」の「生き方のベース」になったと言っていい。

 年齢でいえば、33歳から43歳までの10年間なのである。
 新婚時代から始まって、子どもの小学校時代の頃で、
 会社の想い出も多いし、子どもたちの想い出も多い時代だった。

 カワサキのバイクでいえば、
 W1・250A1 の時代から、

  
  

 Z1・Z2 のカワサキの本当にいい時代に、
 本当に「いい経験」をさせて頂いたと思っている。


   

★ この10年間には、北陸や東北、九州などは二輪業界にまだ代理店制度が残っていて、
 末端の販売網を代理店が担当していたし、
 メーカーよりも販売第1線が格上の状態だったのである。



 その後は、末端販売網がメーカーに吸収されていって 
 今では末端よりメーカーが上位の状況になってしまっているのである。
 どちらがいいのかは「定かではない」が
 私自身は、その両方を経験できたことが、非常に良かったと思っているし、
 最初の「国内出向の10年間の経験」は今のメーカーの人達には経験できないことなので、
 そんな経験が出来たのは「運がよかったな」と思っている。


 
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カワサキZの源流と軌跡

2023-02-15 06:32:11 | カワサキワールド

★ カワサキZ1誕生50周年を記念して「カワサキZの源流と軌跡」の記念出版で、確か3回目の発刊である。



 


 当時のカワサキの単車事業を支えた浜脇洋二・大槻幸雄さんを筆頭に
 こんなメンバーたちが執筆をした共著なのである。
 
 私もこの本の最後の章を担当していたのだが、
 今回は記念出版でカワサキモータースの伊藤浩社長
 「名車からのエール そして将来への展望」と題して
 最終編を新たに執筆されている。

  



★こちらが「国内レースとZ2販売」と題した私の最後のページなのだが、
 NPO The Good TImes の話や個人ではFacebookで今でもお付き合いのある
 清水久美樹・北澤秀一さんや登山道夫さんの名前も登場するし、
 カワサキの現役時代結構密接なお付き合いのあった岩城滉一・北見紀生さんなども登場ししたりする。
 



 最後に触れているようにこの本が出版されたのは
 Z40周年だったのだが、それから更に10年の月日が流れて
 カワサキZはますます健在なのである。

 


 私はこの世にはいないが、
 ひょっとしたら「カワサキZ100周年」があるかも知れない。

 こんなカワサキZがどのようにして生まれたのか?
 当時の現役だった諸兄が色んな話を披露している。
 
 カワサキファンの方・二輪愛好者の皆さん
 是非、一度お読みになってみて下さい。


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博多イムズ    雑感

2023-01-30 05:20:31 | カワサキワールド

★ 博多にあったイムズは、「天神ビッグバン」により2021年8月31日をもって閉館したらしい。
天神ビッグバン」とは、博多の繁華街天神のビル群を2024年までの10年間に約30棟の建て替えを目標としていたが、
現在は目標を大きく上回る50棟あまりものビルが建て替え完了または進行中で、
博多イムズ」もその一環で生まれ変わるようである。

 



イムズ」がオープンしたのは、1989年なのだが、
 当時は天神地区でも最新のこんなビだった。
 外観は金色のタイルで装飾された八角柱。
 建物の中央を地下2階から地上8階まで貫く大きな吹き抜けが特徴で、
 12 - 14階も吹き抜けになっていた。
 4階は自動車関連の展示場で、
 そこにカワサキ車の展示スペースがあったのである。

  
  
  
   


★ 私は1988年10月から、3度目の国内市場担当となるのだが、
 その時与えられた目標が「国内市場7万台販売達成」というとてつもなく
 大きな目標だったので、
 単なる販売促進策などでは目標達成は到底無理だと思ったので、
 「新しいカワサキのイメージ創造」を骨子に、
 すべての施策の展開をスタートさせたのである。

 ユーザークラブKAZEもソフト会社を創って本格的に展開したし、
 九州・直入に国内で初めて、末端ユーザーが走れるサーキット「SPA直入」を創ったし、
 イメージ創造だから、末端の一般消費者をも目標に大都会の中心地にショールーム展開もしたのである。

 これは東京新宿の一等地に創ったショールームだが、
 全国に当時では珍しいほど立派なショールーム展開を試みたのである。



  
 
 
 
 その一環として博多天神に創ったのが「PLAZA IMS」なのである。
 当時はレースにも力を入れていて
 1993年には鈴鹿8耐でスコット・ラッセルとアーロン・スライトのペアが、
 カワサキに初優勝をもたらしたのである。
 その時のマシンが「伊藤ハムレーシング・カワサキ」の「ZXR-7」なのである。


  


  これがその優勝マシンだが、
  このマシンを展示していたのが、博多天神のIMSなのである。


  


★ なぜ、突然こんな昔話をと思われるだろうが、
 実は、2年ほどまえに書いたブログをご覧になった「藤村智宣」さんという
 ZXRのユーザーの方がそのブロブについ数日前にこんなコメントを頂いたので、
 簡単な返信はさせて頂いているのだが、
 私もこんなコメントを頂いて嬉しかったので、
 藤村智宣さんへの詳しいコメントのつもりで、このブログをアップしているのである。


藤村智宣
@rfuruya1さん
この仕様のZXRを当時購入し、現在もバリバリ現役で走っています。11万キロを越えました。私の大事な相棒です。当時、福岡に住んでいたのでイムズでこのマシンを見たことを思い出しました。 
たまたまこのブログを拝見し、思わずコメントしてしまいました。 
 素晴らしい企画をありがとうございました。

果たして、このブログ藤村さんの目に留まるだろうか?
それにしてもネットの世界はオモシロイものである。

 因みに「国内市場7万台販売達成」の目標は、見事に達成できたのだが、
 その主力車種となったのは、カワサキのスーパースポーツ車ではなくて、
 何の変哲もない「ZEPHRE400」だったのである。










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カワサキ・モータースポーツ&エンジン事業

2023-01-21 06:41:29 | カワサキワールド

★「かわさきの新年」が送られてきた。

 2023年度の年頭社長挨拶とともに、
 「グループビジョン2030」の進捗状況などが載っていた。



  
  


 2030年のグループビジョンは
 モーターサイクルやロボットなどのかっての川崎航空機の明石工場の部門が
 利益の8割を創出とある。
 カワサキの二輪事業のスタートは昭和35年(1960)だから
 もう60年以上も前になるのだが、幾多の難関を乗り越えて、
 モーターサイクル部門がまさに川重を支える事業にまで成長したことは、
 感無量のことである。




 そのモーターサイクルが中心のこの事業の名称が
 「パワースポーツ&エンジン事業」と変わったようである。
 二輪車がそのベースであることは変わりがないのだが、
 「4輪バギー車」の部門の倍増を意図しているようで、





 ずっとずっと昔の話だが、
 この「4輪バギー車」の開発は明石の技術部門ではなくて、
 百合草三佐雄さんがいたアメリカのKMCのR&Dでの開発がそのスタートで、
 リンカーン工場の主力製品だったのである。
 
 このバギー車は今年から国内市場でも逆輸入されて販売されるようで、
 世の中はどんどん変わるものである。


  

 いずれにしても素晴らしい事業に発展して、ご同慶の至りである。




 
 
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カワサキZ50周年祭   

2022-12-17 07:30:40 | カワサキワールド

カワサキZ50周年祭が開催されてからほぼひと月が過ぎた。

 この会の運営委員長をされた向笠暁彦さんから
 当日のこんな記念写真が送られてきた。


 



 この会の開催に関わった人たちの名前が記されていて、
 いい想い出になるだろう。


 この会では、二輪業界から
 このような殿堂入りをされた、大槻幸雄さん、山本隆さんへの
 お祝も行われた。

  
 

 ほぼひと月経ったいま、思い出しても本当にいい催しだったと思う。

 同時に Mr. Bike誌 が我が家に送られてきたのだが、
 そこにもこんな写真がカラーで2ページに亘って掲載されていて


    



 更に翌日行われた加西市の鶉野飛行場跡での行事と
 感想文が記載されていて、非常に感銘を受けたのである。



  

  

  今更ながら、カワサキだけにしか出来ないいい催しだったなと思うのである。


★ KMJより当日幹部が出席できないからと、祝い金10万円を頂いたのだが、そのまま剰余金となった
 ①今回の50周年祭開催は、NPO法人ザグットタイムズに参加するカワサキOBの方々の尽力があったので、NPOの活動資金として、ご活用いただきたく、寄付:5万円 
②加西市役所 加西市の平和学習施設「soraかさい」は、これまでにもカワサキZ1ファンクラブで訪問したことがあり、今回の50周年祭開催において並々ならぬご協力をいただきました。「soraかさい」の運営方針は我々としても大いに賛同するところであり、些少ながら寄付:5万円 
 と頂いた祝い金を寄付されたのである。


  

 

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城東カワサキの行方?

2022-12-04 05:16:54 | カワサキワールド

★今月号のカワサキバイクマガジンにこんな記事が載っていた。
 何度も国内の販売網を担当し、多くの販売店と関りがあったのだが、
 城東カワサキの高橋さんとは、結構いろんなことで密接に繋がっていたのだが、
 「城東カワサキの行方」と言われても解ってはいないのである。







 この記事にあるように70年代の後半あたりでは、
 日本で一番多くの販売を記録していた日本一の販売店だったかも知れない。
 
 当時はまだ二輪販売専門店などそんなになかった時代で、
 ホンダ・スズキ・ヤマハは全国に何万店もあった自転車屋さんに、
 50㏄中心にバイクを委託しての委託販売の時代だったのだが、
 カワサキの東京地区だけが「二輪販売専門店組織」が完成していて、
 『北多摩モータース』と『城東カワサキ』の両雄が突出した実績を持っていたのである。

 カワサキだけが「中型スポーツ車」を売るための販売網を敷いたのは、
 ちょうど川崎重工業・川崎車両・川崎航空機工業3社合併があって、
 「50ccの生産中止」が決定されたからなのである。


★ちょうどその頃、私は近畿地区を担当していて
 「二輪専門店の販売網=特約店制度」をカワサキとして完成しようと
 目論んでいたのだが、
 その中心となる大阪市場の販売網整備のために、
 北多摩モータース城東カワサキ研修会の講師として来て貰ったのである。

 それは1971年8月3日のことで、日記にこのような記述が残っている。
 日記の記事を見ると研修会も上手くいったし、当時の大阪の販売も好調のようで、
 この年の10月、この研修会の2か月後に「カワサキ特約店制度」がスタートしたのである。
 そう言う意味では「城東カワサキ」はカワサキにとって特別の存在であったと言えるのだろう。



      


 
 それからもう50年以上も経って
 城東カワサキの高橋さんを知っている人は数えるほどになってしまった。

 そう言う意味でこのカワサキバイクマガジンの記事を懐かしく読ませて頂いたのである。
 ホントに高橋さんも、北多摩モータースの根本さんも今はどうしておられるのだろうか?


 

 
 


 
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カワサキZ50周年祭  ビデオ

2022-12-02 03:03:36 | カワサキワールド

★先月11月19日に、
Zの発祥の地・明石で開催されたカワサキZ50周年祭のビデオです。
この会に参加された方が創られました。
素晴しい出来栄えだと思います。

3時間のイベントが1時間半に纏められています。
全国からZの各クラブのユーザー・カワサキ関係者・有名ライダーなど
170名が集まり、大成功のイベントとなりました。

 



  是非、ご覧になって下さい。







 



 


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昔の仲間たち  Kawasaki Let the Good Times roll !

2022-11-23 05:43:12 | カワサキワールド

★ 11月19日と20日の2日間にわたって行われた「カワサキZ50周年」は私にとっては「昔の仲間」との再会でもあった。

 今回のイベントは
 「日本二輪車文化協会会長」の吉田純一さん。
 元カワサキのワークスライダーで今回MFJの殿堂入りを果たした山本隆さん。
 それに私3人が発起人で、それぞれの関係から170人のメンバーが集まったのだが、
 私にとっては「カワサキの昔の仲間たち」に会えたのがホントによかった。


 Z50周年を祝う記念祭だから、
 大槻幸雄・稲村暁一のZ開発のお二人がメインゲストだった。
 大槻さんとは結構な頻度でお会いしているのだが、
 稲村さんとは久しぶりの再会だった。

 Zが世に出て50年なのだが、
 その10年以上も前からのおつき合いなのである。

 


 ちょうどZが国内に出たのは昭和48年春(1973)なのだが、
 その頃私は国内の近畿地区の販売担当で、
 新しい販売網・特約店制度をスタートさせたばかりの頃だった。

 その頃は現在とは全く違った販売組織で、
 全国に5万店もある自転車屋さんに、バイクを委託しての委託販売制度だった。
 これは当時のホンダ・スズキ・ヤマハが50㏄のモペットを主体に売る販売網だったのである。
 当時カワサキはその50ccの生産を止めて中大型のスポーツバイクを販売するという方針に転換した時代で、
 業界に先駆けて「二輪販売専門店の構築」を意図したのだが、
 なかなかそんなお店も少なくて「従業員のれん分け制度」などを創って、
 カワサキ従業員の中から「二輪販売専門店」を募ったりしたのである。
 吉田純一さんも、山本隆さんもそんな時期「二輪販売専門店」を立ち上げたメンバーなのである。

 今回のイベントに参加してくれたこんなメンバーは
 その当時の大阪・京都・兵庫の販売関係のメンバーたちで、
 この中の7人がカワサキ販売店を立ち上げてくれたホントに懐かしいメンバーたちなのである。
  
 


  こんな機会でもないとこんなメンバーは集まらない。
 ひょっとしたら、これが最後かも知れないのである。


 今回、あの星野一義も東京からやって来た。
 彼がカワサキに入ってきたのは、まだ17歳の頃だった。
 彼のいいところは有名人になった今も全くその頃と同じような星野なのである。
 当時は横にいる山本隆星野のお師匠さんだった。
 




 
 星野と村上力とのスリーショットである。

   


 そして翌日の加西では、
 加西市の副市長もされた佐伯武彦さんが歓迎スピーチをしてくれた。
 彼は私より5つほど後輩で、若いころはアメリカのリンカーン工場など 
 カワサキ独特の生産方式など創り上げた実力者で、
 後、川崎重工業の副社長もされたのだが、
 久しぶりにお会いして、昔の関係のままで半日をお付き合い頂いたのである。



 Zの取り持つご縁で、私にとってはなかなかの2日間だった。
 まさに Kawasaki Let the Good Times roll !
  カワサキに出会う人たちがハッピーになるそんな2日間だったのである。
 

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カワサキZ50周年記念祭 素晴らしい2日間だった

2022-11-21 06:44:01 | カワサキワールド

★ 大槻幸雄さんと山本隆さんの殿堂入りを記念し、
 カワサキZ50周年記念祭と銘打って、  
 西明石のホテルキャッスルプラザと加西市の鶉野飛行場跡の「Soraかさ」で開催された2日間にわたるイベントも成功裏に終わった。

 初日の参加者170人の記念写真である。
 ほんとに素晴らしいメンバーが集まった。

 


 参議院議員三原じゅん子さんも駆けつけて頂いて、
 殿堂入りされたお二人に花束贈呈をして頂いたのである。
 御年92歳のZの開発総責任者・大槻幸雄さん、まだまだお元気で、
 2日間の日程を、すべてこなされたのである。

 
 

 私自身は定年後も何となく「二輪仲間の方」とは繋がって、
 お集まりの170人のうち100人以上の方とは面識もあって、
 何よりもカワサキ時代の旧い仲間たちと会えたのがよかった。

 Zの発売時代は、私は近畿や中部地区を担当していたのだが、
 その頃の販売関係の仲間たちがこんなに集まって、
 まさにOB会のような雰囲気だったし、
 

 



 「日本一速い男」と称される星野一義
 このメンバーの中に入ると17歳の昔に戻って、
 ホントに気楽な時間を過ごされたようである。
 前列右がカワサキ当時の星野のお師匠さん山本隆




 左が星野一義、右は村上力さん
 二人とも若いころは「カワサキの契約ライダー
 私も当時レースに関係していて良かったなと思っている。



 



★2日目の加西市でも100人近いカワサキファンたちが集まったのだが、

 

 
 加西市の出身でかってカワサキの単車事業部でリンカーン工場などを担当し
 川崎重工業の副社長を務めた後、
 地元加西市の副市長もされた佐伯武彦サンが、
 歓迎挨拶をと出席されたのだが、

 現役時代は私よりは5年ほど後輩だったので、
 そんな昔の関係に戻っての半日だったのである。

 
 


 この時のご挨拶も二輪の生産管理者らしい話だったが、
 昼飯時の話では

 あの青野ヶ原のモトクロスには、
 入社早々の年で、メカニックとして参加したとか
 佐伯さんから「青野ヶ原の話」を聞くとは想像もしていなかった。
 そんな話は私も初めて聞いたのである。

  
 
  
 このレースには、
 もうお一人の殿堂入り者・山本隆さんもまだアマチュアライダー時代なのだが、
 ヤマハのバイクで出走していて、
 「青野ヶ原話」で盛り上がったりしたのである。






 

 あの大東亜戦争の時、この飛行場で訓練を受けてた若い航空隊員
 特攻隊として、お国のために南の海に若い命を捧げたのである。
 当時私は中学1年生だった。
 帰りは大槻さんを私の車でご自宅までお送りしたのだが、
 ひとしきり戦前のことなど、戦前派の懐かし話をしながらの車中だった。






 

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カワサキZ50周年祭

2022-11-20 04:27:30 | カワサキワールド

カワサキZ50周年祭は西明石ホテルキャッスルプラザ で、
 Zのユーザーを中心に当時のカワサキの開発陣やライダー、
 更にはZ発売時の営業関係者など170名を集めて盛大に開催された。

 業界雑誌紙の取材陣も来ておられたから、その詳細は詳報されると思うが、
 ざっとその速報である。

 写真を並べるので、その雰囲気を感じ取ってほしい。

 こんな盛況だった。

 


 総勢170名の記念写真撮影光景である。
 流されていた動画の中か切り取ったもので、





 前列には大槻幸雄・稲村暁一さんなど年配者が並んでいる。




 会は吉田純一さんによる

 



 
参議院議員三原じゅん子さんや




 オートバイ連合会会長・大村直幸さんご紹介があり、





 三原じゅん子さんからはご祝辞
 大村会長には乾杯の音頭をとって頂いて会は始まった。


★ 当時のZ開発陣のトークショー




 ライダーたちによるトークショーもよかったが、




 カワサキのかってのメンバーたちにとっては
 懐かしい同窓会のような一面もあって、
 開会前からも開会中も、昔の仲間が集まって、
 こんな雰囲気だったのである。


 

 
 星野とはそんなに久しぶりでもないのだが、
 「また会えたな」というのが、お互い感じたことである。

  


 Z発売当時のこんな仲間たちとは
 本当に久しぶりだった。

 


 Facebookでは、毎日会っているこんな方たちとも
 会えてよかったなと思っている。

 東京の西郷さん山中君子さん。

 
 

こちらは豊岡の青木さん

 



 これは私がシャッターを切ったのだが、
 ライダー最年長・宇野順一郎さんと今回も司会を担当された腰山峰子さん。





いろいろあったが、今回のメインは、
大槻幸雄・山本隆さんお二人の殿堂入りを祝しての
三原じゅん子さんによる花束贈呈だったと言えるだろう。




 


いずれにしても大成功の「カワサキZ50周年祭」だった。

ここまで引っ張ってこられた運営委員長の向笠暁彦さんのご努力感謝である。






 
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カワサキZ50周年祭      雑感

2022-11-16 05:53:07 | カワサキワールド

★ 「カワサキZ50周年祭」も2日後に迫りました。

  「明石から世界へ、Zの偉大なる足跡と未来
  とありますが
  明石は私の生まれ故郷でもありますし、本籍も明石です。
  高校も明石の野球部でしたし、甲子園にも出ることが出来ました。
  勤めもカワサキの二輪事業の明石工場でしたし、
  そんな想い出いっぱいの明石で開催される今回のイベントです。





    登録をされると、当日実況のYou Tubeがご覧になれます。

 
★カワサキの二輪事業がスタートしたのは昭和35年(1960)で62年も前のことなのです。
 戦後、軍事産業だったということで7年間ほどの中断があって、
 再開した川崎航空機工業は広大な敷地にこんな工場だけの厳しいスタートでした。

  


 
 入社3年後の昭和35年(1960)に、二輪車の生産工場が建てられ、
 開発・生産・販売までの一貫事業がスタートするのですが、
 私は初めて出来た「単車営業」に配属され始まったばかりの単車事業に従事することになったのです。


  



 ご縁があって、以降退職する1999年まで約40年間を
 二輪車の広報・レース・第一線営業・企画・販社経営
 主としてマーケッテング分野を担当したのですが、
 退職後も何となく二輪関連の皆さんと繋がりがあって、
 ずっと「二輪の世界」と繋がって生きてきたような気がします。


★ 今回のイベントでは、トークショーの皮切りに
 「カワサキ単車創世期 事業スタートからZ1誕生前夜
 と題して約20分のスピーチをすることになっているのですが、
 20分とは長いようで短く、なかなかムツカシイ時間のような気がします。

 

 

 
 一応は「カワサキ二輪事業創生期」として
 時系列に当時の出来事を並べた資料を会場の皆さんにはお配りして、
 何となく格好は付けているのですが、
 すべてを詳しく話す時間もないので、
 「7シーンの写真」も用意して、その場の雰囲気なども感じながら、
 20分を消化しようかなと思っています。


  


★ 多分私の「生涯の最後のスピーチ」になると思うので、確りとやろうとは思っているのですが、
 2日前になっても、その内容は確りとは決まっていません。
 現役の時もそうでしたが、スピーチに原稿など作ったことは一度もなく、
 ぶっつけ本番だったのですが、
 「」というのは、「話す相手の方」との「協同作業」なので、
 「現場の反応とか雰囲気」を感じずに一方的に喋っても、
 「説得力はない」と思っていて、
 いつも現場での対応になってしまうのです。

 ただ、今回は同時進行で、You Tube の実況放映もあって、
 まさに「明石から世界へ」流れますし、記録にも残ります。
 You Tube の登録数は会場の人数とほぼ同数ぐらいになっていて、
 私自身も登録しましたから、あとで自分でも聞けるというようなことは
 初めての経験です。

 そんなこともあって、いろいろと考えてはいるのですが、
 「纏まらない」のはいろいろと欲があり過ぎるからだと思います。

★ 今回のイベントのトークショーは、
 私の後に本命の「大槻幸雄さんを中心とした開発物語」や
 「有名ライダー10人のトークショー」があるので、
 イベントそのものの成功は間違いないと思います。
 
 そんなこともあって、気楽にいつもの通り「ぶっつけ本番」で行くことにしようと思っています。
 果たしてどんなことになるでしょうか?


 
 
 

 
 



 
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カワサキZ50周年祭 の実況 You Tubeに登録しませんか!  その5

2022-11-13 05:51:52 | カワサキワールド

★11月19日に開催の「カワサキZ50周年祭 」は世界に向けて同時実況中されるのですが、
そこにはいろんな有名人も登場します。
そんな中の一人が「星野一義」です。

 星野一義のWikipediaにはこんな一節があります。

「・・・・東海大学第一高等学校を1年生の1学期が終わったところで中退すると、
しばらくは静岡市内のオートバイ販売店で働くが、程なく当時東海大学に通っていた兄・幸雄を頼って神奈川に移り、
カワサキワークスライダーだった安良岡健に弟子入りを志願。
安良岡の同僚だった三橋実が率いるカワサキ系モトクロスチーム「カワサキ・コンバット」に入る。
16歳になった星野は、ここで後に一緒にホシノインパルを立ち上げることになる金子豊と出会っている。
1964年のデビューレースでは転倒し脳震盪のため搬送され入院というデビューだった。・・・・・」






★これは1964(昭和39年)ごろの話なのですが、
 当時私は広告宣伝課を担当していて、その中でレース活動もやっていたのですが、
 年間予算1億2000万円もあって、
 今のお金にすると10億円以上の大きな額ですから、
 結構大胆な使い方が出来たのです。

 当時、三橋実が厚木で展開していた「カワサキコンバット」には、
 新人の育成資金として月間20万円を渡していて、自由に使っていました。
 そこには全国から優秀な若手ライダーが大勢集まっていて、
 星野一義も金子豊もその中の一人で、金子豊は秋田の出身です。

 星野一義のデビューはWikipediaには上記のような記述なのですが、
 より正確に詳しく言うと

 それは1964(昭和39年)11月8日、
 和歌山の紀の川で開催されたスポニチ主催の第1回西日本モトクロスに、
 星野はコンバットのトラックの運転手として現地に来ていて、
 レースに出る予定はなかったのですが、
 その日の朝、契約ライダーの岡部能夫が朝のプラクテイスで、
 荒井市次と接触して小指を骨折、レースに出ることが出来なくなって
 急遽、星野を出すことになったのですが、
 最初のレースで転倒・脳震盪で病院に救急車で運ばれたのですが、
 午後、戻って来て「午後のレースにも出して欲しい」というので、
 出場させたら、確か7位ぐらいに入ったのです。

 これが星野の初レースですが、
 私は未契約の選手を勝手に走らせたと、当時の上司に怒られました。

 翌年の4月の全日本には星野はノービス90クラスで優勝を飾っています。
 やはり、それなりの素質があったのだと思います。

★ カワサキの新人時代の星野山本隆さんのお弟子さんとして修業し、
 めきめき頭角を現すのですが、
 私の手元にはその頃のこんな写真があります。

 これはカワサキ時代の山本・歳森・岡部・星野ですが、




 これはずっとのち、私と山本隆が上京した時、
 こんなメンバーが集まったのですが、
 このメンバーたちは今回のイベントにも顔を見せてくれます。




 

 更に、こんな懐かしいメンバーと、
 星野のおごりで二次会に行ったのですが、
 星野とも縁の深かった岡部能夫と金子豊とは
 この日が最後になってしまいました。



 
 
 若しいたら、間違いなく今回の会合にも
 顔を見せてくれるのでしょうが、先に逝ってしまって残念です。



 
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カワサキZ50周年祭 の実況 You Tubeに登録しませんか!  その4

2022-11-11 06:24:34 | カワサキワールド

★11月19日に開催の「カワサキZ50周年祭 」は世界に向けて同時実況中継
されるのですが、
You Tube に登録しませんか!」とシリーズで流していたら、
 そのYou Tubeの登録者が110人 になりました。
 当日までにはまだ増えるのではないかとと思います。
 
 


 このイベントのなかで私は、
 「カワサキの単車事業の創世期の話」をすることになっているのですが、
 

 

 

 カワサキの単車事業がスタートしたのは昭和35年(1960)で、
 もう60年以上も前になるのですが、
 ちょうどその時期には鈴鹿サーキットが出来て、
 日本で初めての本格的なロードレースが開催されたりしたのです。


 そんなスタートの時期から「創生期」とはいつ頃までを言うのか?
   Zの 開発がスタートするまでの7年間を「創生期」として、
 こんな項目のお話をしようかなと思っています。
 

  

  スタート直後は大変な時期が続いてこの事業の継続も危ぶまれたのですが、
  「青野ヶ原のMX完勝」を契機に、日本能率協会が「事業継続」を提言して、
  カワサキの単車事業は昭和39年(1964)から本格的なスタートが切られることになりました。
  レースの話が多いのですが、当時はレース以外は、ホンダ・スズキ・ヤマハに勝てるものはなかった時代だったし、経営の焦点がレースに充てられていた時代なのです。

  結構、オモシロイと思われる話がいっぱいですので、
  未登録の方は、ぜひ  You Tube のご登録を!
  
  このサイトの「登録ボタン」を押すだけで大丈夫です。



  

















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