雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

衆議院解散 で思うこと

2014-11-21 16:47:50 | 政治

★ 衆議院の解散の様子をテレビで見ていた。

 衆議院の解散は、憲法 第7条に基づいて行われると言う。

 その憲法7条も、憲法9条も、私は学校で習ったという記憶がないのである

 終戦の翌年が中学1年生であった。 少なくとも中学時代は、歴史と言う教科がなかったと思う。

今になって考えてみると、未だ歴史の教科書が、戦後のごたごたで出来あがっていなかったのだと思う。

 

戦前の教育から、特にその歴史や憲法については、未だ生徒に教えるほど定着していなかったのではなかろうか?

天皇陛下が神戸行幸の際も、神戸にホテルがなくて、神戸一中の3階の教室に泊まられたりした時代なのである。

お陰で私たちのクラスは、『天覧授業』を受けたりしたのである。 

ホントに未だ戦後のごたごた時代、食料難で米は食えなかったし、修学旅行など考えられなかった時代なのである。。

   

 改めて憲法7条を検索するとこのように現れたのである。

確かに『衆議院解散』が規定されている。

 

 

テレビの画面をそのまま動画にした。

御名御璽 と言う前に 間違って万歳をしてしまって、 2度の『万歳三唱』 が行われたりした。

それにしても、衆議院議員の職を解かれるそんな時に、『なぜ万歳』なのか?  を検索して調べてみたら、

以下のような説明が並んだ。

 

結論から申しますと、ただの慣習だそうです。

敢えて理屈を付けるのであれば、「出陣式の万歳」といったことだそうで、これをやることで国会に戻れるジンクスなんだとか。

・・・中曽根康弘元首相は「明治憲法下、紫のふくさに象徴される天皇陛下に万歳というのが始まり」と講釈し、「クビになり(選挙という戦場に)万歳、突撃すると気持ち」と・・・・自己流の解釈をなさっております。・・・・

では、一体何時、このような慣習が成立したのでしょうか。
 

そもそも、「万歳!」とは中国の皇帝を称える言葉で、明治時代になって日本に定着しました。1893(明治22)年、大日本帝国憲法が発布されることを記念して、皇居前で(東京)帝国大学の学生などが明治天皇の馬車を排し、「万歳! 万歳!」としたのがはじまりです。・・・・

・・・・  いずれにせよ、こういう起源で万歳という習慣がはじまり、記録によると明治30年の第11回帝国議会解散時、議長が天皇陛下の詔勅を読み上げた際、議場内に「拍手起こり、万歳と呼ぶものあり」というわけで、これ以後、衆議院解散の時に景気づけで言うようになったのではないかと思われます

 

などと解説されており、確かに『ただの慣習』と言うのが当たっているようである。

 

★ どの政党も、『ここにいる全員が戻ってこい』 と煽ってはいたが、

本来、消費税のアップは、議員の定数削減と一緒にスタートしているはずなのだが、議員先生たちも自らのことになると、空とぼけてしまって、これは安倍さんも、殆ど口にはしなっかったし、

なぜかそんな議論は、野党からも実際には指摘があったのか、無かったのか?

野田元総理が、どこかの番組でそのことに触れていたが、如何に国政とは言え、あの議場を埋め尽くす数の議員など、どう考えても必用無いようにように思う。

確かに、もう一度戻って来れた人は『万々歳』だと思うのだが・・・・・・

 

 

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お米 と 神戸

2014-11-21 06:29:28 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ カリフォルニアのアーヴァインに住んでいる娘の最近のFacebook は子どもたちのサッカーの話か、

お米 と 神戸 と日本を連想して名付けた Rice と Coby のことばかりがでてきます。

 

 

    

 

 この二匹はこの春に生まれて、6月ぐらいに娘宅にやってきたのですが、5か月ぶりにそのママとシスターに出会ったとか

よく似ててどれがどれだかサッパリ解りません。

私も家内も8月末にアメリカに行って、

未だ3ヶ月ぐらいのころに、初めて会ったのですが、初対面の時から何の警戒心もなく、そのあたりは日本の芝犬とは、全然異なる印象を受けました。

 

   

 

 

家にやってきた6月ごろは、こんな感じだったのです。

3人兄弟の兄貴が、この春から日本の大学にやってきて、ちょっと寂しくなったところに新入りです。

 

 

★ 私たち夫婦がアメリカに行ってすぐ、9月の初めの一泊旅行には、 犬も泊まれるホテルを取って、延々1日1000キロ以上を車に乗せて、一緒に旅をしました。

未だ、ちょっと幼さも残っていて、仔犬と言う感じでした。

 

 

      

 

 

 セコイア国立公園での 娘一家です。

 長男もアメリカに戻っていて、この写真は私がシャッターを押しています。

 

 

  

 

それから2ヶ月、

すっかり身体だけは大人になりました。

甘やかし過ぎて、しつけは全然出来ていませんので、朝の散歩も大変です。

これはもう10月末ごろ、家内が戻ってくる直前です。

 

 

★ 鎌倉の息子宅にも、アンと言う名のこんな洋犬がいます。

 

こちらも犬自慢ですから、 アメリカの犬のことだけ書いたら、クレームが来そうです。

こちらはもう何年にもなっているのですが、子どものようにじゃれつきます。

 

      

 

  毎朝 鎌倉の由比ガ浜を自分の庭のように散歩しています。

 こんな川での、水泳付きの散歩です。

 

 

   

 

 

 

★もうずっと以前のことですが、

うちにもこんな Tom & Love という 夫婦がいました。

アメリカの長男と同じ年生まれですから、もし生きていたら20歳です

 

    

 

      

 

 2年目にこんな仔犬たちを生みました

 貰って頂いた先でも、可愛がってもらったのですが、この子たちももういません。

 

 もう一度、犬のいる生活も、いいとは思うのですが、 最後まで面倒見てやれる自信がなくて、なかなか踏み切れません。

 みんな、自分の家の犬が一番だった と思っていることだけは間違いありません。

 

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