★ 世の中にはいろんな『試験』という制度がある。
学校の入学試験に始まって『運転免許試験』や
企業の中でも『昇格試験』などと言うものもある。
これに対してやる勉強を『受験勉強』という。
今は『大学入学共通テスト』の時期である。
『大学全入時代』と言われているらしい。
少子化にともない、高校現役生の人口が著しく減少していて、
えり好みしなければ全員が大学に入学できる「大学全入時代」と呼ばれているそうだ。
3割以上の私立大学において、定員割れの現象が起こっているとか。
大学全入時代の流れを受けて、
多くの大学では学生を幅広く受け入れる人物重視の入学試験になってきているようだが、
やはり試験はあるようだ。
★ 私自身は運がよかったのか、人生で受けた試験で落ちたことがナイのだが、
『受験勉強』を一生懸命やった経験もまた『ない』のである。
戦前に朝鮮で受けた中学校は入試があったのかなかったのか、よく覚えていない。
小学校の成績は結構よくて、当時の京城府伊賞など頂いたが、
戦時中だったからか、家から遠い『京城一中』は受けずに『城東中学』に入学したので、
試験はあったのかも知れぬが、受験勉強などはしなかった。
戦後、日本に戻った時は中学1年で、翌年名門『神戸一中』に入学したのだが、
親父が手をまわしたのか、何故か『無試験』で入学できたので、
試験も受けなかったし勿論受験勉強などしなかった。
ただ父に『お前は無試験で入れて貰ったのだから、ちゃんと勉強するように』と言われて、
中学2年生までは滅茶勉強したし、成績もよかった。
人生でこの2年間が一番『勉強した』期間かも知れない。
それ以降は大学を卒業するまで『勉強をした』覚えがなくて、
学校には行っていたが『野球ばかり』やっていた。
その理由は『勉強しなくても、付いて行けたのである』
逆に言うと神戸一中の2年生の学力は新制高校の2年生レベルのことをやっていたのである。
中学3年生の時に男女共学になって県一女と一緒になって、
数学・英語など1年程前に戻り、
高校は学区制で明石高校に転校したら、ここでもまた元に戻ったのである。
大学は神戸商大を受験したのだが、
父が1月2日亡くなるまでは、受験する積りはなかったのである。
1月に突然父が亡くなってそれから少しだけは勉強はしたが、
何故か運よく入学できたのである。
大学でも勉強しなかったのは、
就職に優位になるように兎に角『優』の数を増やそうとする学生ばかりだったから、
それに反発したのか『可』ばっかりだが単位は、授業など受けなくても簡単に取れたのである。
当時の神戸商大は歴史的にも一番難しかった時代で、16.5倍の競争率だったが、
どうして通ったのかも解らなかったが、伯父が県会議長に頼んでいたことが後から解ったのである。
そんな『コネ』も効く時代だったのである。
川崎航空機にも『社長のコネ』での入社だった。
★ 別に勉強が嫌いなわけではない。
『受験勉強』のように『試験に通るための勉強』は、
『何かになる』ための勉強なので嫌いなのである。
会社でも、課長になる、部長になる、重役になるためにいろいろ努力するのは嫌いで、
『なる』ことは狙わなかったが『やる』ことには非常に興味があって、
そのための勉強は、現役時代も結構やった。
そういう意味では『独学』なのである。
定年後のネットの世界なども、すべて『独学』でやりたいことだけをやっている。
ただ、結果的には30歳以降は、現実に上司がいないような状態で、
『頼まれた仕事』をこなしただけだが結果的には
こんな順番で、こんな職位、職名を経験した。
『係長』は経験がなくて、平社員から突然『広告宣伝課長』になったのである。カワ販で統括部長を経験した後、川重の課長に戻ったが、またすぐ常務となっている。
『課長・事務所長・所長・母店長・副会長・統括部長・課長・常務・部長・室長・理事・営業本部長・専務・会長・技監・社長・理事長』
何故か、若い頃からいろんなことを経験したのである。
一度もその『昇格試験』などを受けなかったのはラッキーだった。
★これからの世の中は、日本もどんどん変わって行くのだろう。
大学も入れば、簡単に卒業出来て、
大学卒の資格さえあれば
『何もせずに、欠点が付かなければ偉くなる』という日本のシステムも、
これからの時代には『新しい仕組み』に変わって行くのだろう。
写真の横幕に
『コロナ禍 初の「大学入試共通テスト」始まる』
と書かれているが、内容が変わっているのだろうか?