雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

亀倉雄策さんに会えた

2014-10-05 06:33:03 | 発想$感想

 

★昨日、朝早くNHKで 『あの人に会いたい』 の再放送をやっていた。

登場人物は 『亀倉雄策さん』 その名前を聞いたのは50年も前の話で、私の記憶の中に強烈に残っているのだが、お顔を拝見したのは初めてなのである。

番組の途中から、動画に収録すべく寝床から飛び出して、撮った動画である。

その動画の名前を『亀倉雄策さんに会えた』とした。

 

 

亀倉雄策、 東京オリンピックのポスターのデザイナーとして有名である。

もう50年以上も前の話だが、

私はカワサキの単車事業部再建の一つの条件と日本能率協会が提言し新しく創設された『広告宣伝課』を担当していた。

事業の総売上高が10億円と言う時代に、当時の川崎航空機の本社開発費として年間1億2000万円もの膨大な広告予算を持っていたときである。

 

       

 

当時は未だ、『カワサキ』のロゴさえ決められていなかったそんな時代、新しい広告戦略実行の上で、『カワサキのロゴの決定』は、一番最初にやらねばならぬ最優先事項だったのである。

担当していた広告代理店大広から、『カワサキのロゴ決定』のためのデザイナーとして、

オリンピックのポスターのデザイナーの亀倉雄策さんに頼みましょうか?』

と言う話が来て、今まで考えたこともない1億2000万円もの膨大な予算を持っているので、『そうしよう』と言うことになったのである。

そして、その見積もりとして戻ってきた金額が『7000万円』と聞いて、ビックリ仰天して、お断りしたと言う出来事があって、『亀倉雄策さん』をよく覚えているのである。

 

「カワサキ」という単なる4文字を創るのに、なぜそんな大金が要るのか?

常に『コスト』から価格を考えるメーカーの世界と、

常に『使われる効果』から、その価格設定を考える広告業界の考え方の差を思い知ったのである。

 

この『カワサキ』というロゴは、将来広告のすべての場面に使われる「基本的なもの」だから、その効果と言うか、使われる機会が最高に多いので、こんなに高価に成るのである。

例えば、『同じスター』を1日拘束して、写真などの撮影会をやった場合でも、『1日幾ら』のコストではなく

それを雑誌に使うのか、新聞にも、或いはテレビにもと言う使い方で、その契約金額が異なる世界なのである。

 

★こんな『考え方』の差というか、『コストからの発想ではナイ、効果から考える』このスタンスは、

その後の私の生き方なり、発想の仕方の巾を大いに拡げてくれたのである

そう言う意味で、『亀倉雄策さん』は忘れることの出来ない人だったのである。

確かに、広告の世界でも実業の世界でも『ブランドイメージの高質化』は、何ものにも代えがたいベースになるものである。

 

       

 

コレも亀倉雄策さんの作らしい。

NTTさんも、1億円ぐらいかけたのだろうか?

その後トヨタや、ダイワハウスなどの、ロゴの変更を見るたびに、大きな額が動くのだなと思うようになった。

 

コストからの発想は、解り易いが間違いも多くあるのではなかろうか?

人は『人件費』と呼び、ある意味『コスト』だが、

人をコストと見る限り、オモシロイことは出来ないと思っている。

 

こんな『亀倉雄策さんの1件』から、私の発想は変わったと言っていい。

そう言う意味では『大恩人』なのである。

なのに、亀倉雄策さんの写真すら見たこともなかったのに、

昨日は、NHKの早朝の番組で、亀倉雄策さんにお会いできたので、その番組の途中からだが動画に撮って残したのである

 

                  

 

           

 

その動画からも、予想以上に大きく、強い亀倉雄策さんを見せて頂いて、久しぶりに感動しているのである

 

 

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個人情報保護法は悪法か?

2014-10-04 06:54:51 | 発想$感想

 

★個人情報は守られるべきであるということから出来ている法律が『個人情報保護法』である。

 

自宅にある企業から『個人情報漏えい』に関する報告書が届いた。大量の漏えいした個人情報の中に、私の個人情報も入っていたようである。

漏えいの状況が丁寧に述べられていて、お詫びの印に500円の図書カードを送付してくれるというのである。

『個人情報』と言えばパソコンに入っている情報が主なのだろうが、私のパソコンの中は、『すべて公開してもいい情報』しか入っていない。

だから、すべて公開されても特に問題はない。 住所や電話番号などはすでにあちこちにいっぱい公表されている。

 

★あまり、よく解っていなかったので、調べてみた。

 

     

 

 

このようになっていて、施行されたのは2003年からだから、私の70歳の時からである。

従って、私の現役時代は1999年までだから、何となくそんな風潮は出ていたが、具体的な法律は出ていなかったのである。

従って、『個人情報保護』などとは無縁で生きてきた世代なのである。

世界でこんな対策が出てきたのは、やはりコンピューターが一般的になり、特に企業では大規模なデータ―を持っていたので、その管理をどうするのかということからスタートしているようで、世界の流れとしては欧米から始まって、その流れが日本にもということになったようである。

 

       

 

2000年代に入って、一般企業のデ―タ―の大量流出が続いたようで、その対策として、日本も法規制をすること自体は何の問題もないのだろうが、

日本の場合は、規則だけはどんどんきつくなるのだが、決められたことを守ろうという態度がないので、どんどん過剰反応して、何となくこの法律は悪法と言うような感覚があるのも事実である。

 

★事実、ネットで『個人情報保護法は悪法』と検索すると、こんなサイトが現れたりするのである。

 

『個人情報保護法は悪法?

様々な業者が個人情報保護法を盾にとり、いままでは普通にやっていてくれた仕事を「個人情報があるので出来ません」といい困っています。

私から見れば法律を盾にとり「手抜きをしている」意外に考えられません。

振り込めとかオレオレ詐欺などには有効でしょうが、個人情報はそんなに大切なんでしょうか?

仕事をしていると悪法としか思えませんが何のためにあんな法律を制定したんでしょうか?』

 
という質問が載っていた。

 

『個人情報保護法の主旨は、個人情報は、その本人の意志に反して利用されることがないようにコントロールすることにあります。
その意味において、過剰反応や事業者の悪用があることが今の時点での現実問題だと思います。

また、本来は、本人の意志に反して利用されることが無いようにしているはずで。でも実際は、「本人の同意」がないと名簿などに載せてはいけないのですが、「本人の同意、又は本人への通知、又は公表」となっているため、WEBサイトに利用目的を公表していればOKというのが実情ですので、かなり「ザル法」になっていることが現実の大きな問題です。

一方で、事業者が「個人情報保護法があるので」とそれを盾に、悪用する事例も沢山あるようですが、個人情報保護法は、個人情報を利用する事業者を保護するような規定は一切ありません。今、総務省を中心として、保護法の適正な運用に向けて活動する方向で進んでいますので、「これはおかしい!」ということがあれば、総務省や都道府県の窓口に報告してください。

ザル法であっても、法律は法律です。無かったらもっと悪い状況になっているでしょうから、この時点から改善していくように、声を上げることが大切だと思います。

 

質問した人のコメント

業者が法を悪用している事例が多すぎますし、政府が煽り立てて小さな事でも過敏にさせすぎているのも大問題です。改正されることを望みます。』

 

★このあたりが日本の役所の大問題で、法の精神を守るよりは自分の身を守る方向に走ってしまうのが問題なのだと思う。

ネットで、『個人保護法の過剰反応』と検索すると、

学校での過剰反応 から始まって 病院施設、  役所、そして最後に、社会生活での過剰反応 とその表題が現れるのである。

 

なぜ、日本では本来の目指した目的が実現しないのか?

それは、 規則は創るがその運用の仕組みを創らない からである。

『犬の糞は捨てるな』  とは言うが、どうしたらそうしなくなるのかということは考えない。『捨てるな』と言ったと自分の身を守るだけである。

 

     

 

 アメリカアーヴァイン市、街の至る所に、犬の糞を取って入れる設備が整っている。
こんな仕組みを創ったら、犬の糞を放置する人などいなくなる。
それと『決めたら守る』と言う姿勢、  そんな社会を生きる大人の態度を身につけている。
 
仕組みが確りしているアメリカ』に対して日本では、決められた約束事をどのように、すり抜けて裏から通ろうとする。
 
実行できないような決めごとでも、『決めましたよ』と自分の身を守るお役人の体質がおかしくしてしまっている。
 
もうそろそろ、そんなおかしな日本に気付かねばなるまい
 
 
個人情報保護法は、世界で実施されているのだろうが、多分日本の実情は独特のものなのではなかろうか?
 
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 ソフトバンク優勝

2014-10-03 06:58:13 | スポーツ

★ セントラルは巨人の優勝で決まったが、パシフィックは今日ソフトバンクが勝てば優勝が決まる。

オリックスが勝てば未だ優勝の行方は解らない。

先発投手はこのように発表されている。

6時からBSで実況放送があるので見てみたいと思っている。

福岡ソフトバンクホークス オリックス・バファローズ   (ヤフオクドーム   6:00)
大隣 憲司 ( 28 )   B.ディクソン ( 32 )    
       

久しぶりに、『見たい』と思う野球である。

どちらが勝ってもいいのだが、全力の真剣勝負が展開されるはずである

 

★既に優勝の決まっている巨人について、スポーツ紙はこのように分析している。

 

 目下白熱中のパ・リーグ優勝争い。「総合力はソフトバンク」「いや、勢いはオリックス」とV予想合戦が繰り広げられていた。

では巨人が、実際に日本シリーズで対戦した場合、どちらがくみしやすい相手なのか

選手やスタッフの多くは「ソフトバンクとやりたいね」と口を揃えた。

「ホークスには突き抜けた投手がいない。短期決戦が得意なチームでもないし、毎試合接戦に持ち込めば、勝ち越せる」と話す。

一方、オリックスへの警戒感は相当だ。正直あの投手陣でシーズンを独走しなかったのが不思議」「短期決戦は投手力がものをいう。打線も糸井、ペーニャら軸がしっかりしているし、ウチは厳しい戦いを強いられると思うよ」。

 

こんな巨人の選手たちの両チームの戦力分析を参考にしながら見てみたい。

どちらが勝ってもいいのだが、強いて言えばオリックス、 地元関西だし、巨人が嫌がるチームの方がオモシロイ。

 

 

★ ここから先は実況を見ての感想である。

先発メンバーを見たが、殆ど知らない人ばかりである。

先発両投手も、初めて見て、初めて聞く名前だが、こんな決戦を任されるだけに好投していいゲームになった。

1点を先制したソフトバンクだが、オリックスは7回に同点に追いついた。

 

そのまま延長戦に入り、10回オリックスが2死満塁4番というチャンスを逃したその裏、ソフトバンクは1死満塁のチャンスに松田が左中間を破ってサヨナラ勝ち

優勝をものにした。

 

 

     

     

     

 

最高にいい試合であった。

4分の動画に纏めた。

勝ったソフトバンクの選手たちの喜びの表情もいいが、泣き崩れるオリックスのキャッチャーの姿も印象的である。

 

     

 

こんな試合を続けたら、野球もオモシロいのに、と思った。

 

野球が最高にオモシロイと思っていた時代

ずっと昔の頃だが

この両チームの前身は、 南海ホークス、阪急ブレーブスだった。

難波に、西宮にそれぞれ球場があって、特に西宮球場は、甲子園球場とともに兵庫県予選が行われていたから、何度もプレーした懐かしい球場である。

そんな伝統のある名門チームの一戦であった

 

 

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新幹線50周年  昭和39年という年は・・・

2014-10-02 05:42:45 | 発想$感想

10月1日である。

朝早々のニュースが『新幹線開業50周年』だった。

 

   

 

    

50年前だから1964年、昭和で言うと昭和39年。 そのころ西暦で年号を言う人などいなかった時代である。

私も当然若くて31歳、カワサキオートバイ販売の広告宣伝課長で当時のカワサキのファクトリーチームのマネージメントも担当していた。

 

不思議なほど昭和39年のことはよく覚えているし、

昭和41年までの3年間があったから、今の81歳になっても二輪のレース関係のお付き合いをベースにオモシロく生きておられるのである。

10月の初めから、10月10日オリンピック開会式を挟んでの1週間は、私の人生を決めた1週間だったのかも知れない。

 

 

★そのころの世の中の状況は、戦後の廃墟から立ち上がって日本が一番元気があったし、カワサキの単車事業もそれ以上に『元気いっぱい』の時代であった。

名神高速は、神戸と名古屋までしか開通していなかったので『名神高速』と言っていたのである。

職務上、日本中を飛び回っていたが、一般には国内出張ですらそんなに自由にイケル雰囲気ではなく、今で言う海外出張並みか、それ以上のものだったように思う。

 

それまでの東京出張は、神戸発の銀河の夜行列車に乗っていた。 

8時ごろ神戸を出ると朝早く東京駅に着く。 東京駅に温泉と言うか風呂があって、朝風呂に入って始業時間までの時間つぶしをする

勿論帰りも夜行列車、そのまま会社に出勤するそんな出張を続けていた。

昼の特急電車も勿論あったのだが、確か神戸ー東京間は6時間以上も掛って、昼間の間にずっと汽車に乗っているようなそんな悠長な出張など許されたりはしなかった時代であった。

 

★その年の10月1日に新幹線がスタートしたのである。

その10月10日が東京オリンピックの開会式である。

このオリンピックに合わせて、東京には高速道路が出来、関西には名神が出来て、その極め付けが東京―新大阪の新幹線開通だったのである。

未だ、一般には車も普及していなくて、名神高速もガラガラだったし、運転免許も持っている人は珍しかったそんな時代なのである。

 

★ カワサキの単車事業再建方針が確定して単車事業部として独立しその確固たる意思として広告宣伝課がカワサキ航空機で初めて創られ、その予算は本社開発費で年間1億2000万円がこの年から3年間認められ、私はカワサキオートバイ販売に出向して未だ川航で係長にもなっていないのに課長と言う職位を頂いて、この一番いい時代だけを広告宣伝課担当だったのである。

個人的なことを言えば、結婚したばかりで前年の秋長男が生まれ、家内が里帰りしている間に運転免許も取ったりした。

単車事業は当時は、特にホンダさんが先頭を走っていて、すでに鈴鹿サーキットは出来ていたし、単車の営業関係は当然のように運転をするし、その辺の大企業とはちょっと違った先進的な雰囲気を持っていた。

カワサキが海外市場の調査など始めたのもこの年のことである。

 

この年の日記を開いてみてどんなことがあったのか、ちょっと列挙して見ると

1月16日  単車事業再建宣言 私は2月1日付けで、広告宣伝担当となる。 それまでもそれらしきことはやってはいたのだが、広告宣伝が独立したのはこの時か             らである。

2月  それまでの広告宣伝はカワサキ自販の広告宣伝課が担当していてそこの課長を兼務していたのが、小野田滋郎さん。あのフィリッピンの小野田寛郎さんの実弟である。 一番最初にカワサキのレースを手がけたのは自販の小野田滋郎さんで、これより2年ほど前のB7の時代なのである。

●3月、 今NPO The Good Times の理事長の山本隆くんはこの年の3月にカワサキと契約しMFJの第1回相馬ヶ原の全日本モトクロスに出場している。

関東は小野田滋郎さんが創ったカワサキコンバットのメンバーが出場したのである。

年初めに大きな変化があって、春から夏に掛けてレースや各種イベントで盛り上がったのだが、レースがベースの活動だったから、当時のライダーたちが乗っていたプリンスの2000GTBや、ホンダのS600などで名神を走ったりするなど、当時のサラリーマンとはちょっと違った動きをしていたのである。

 

★そしてその秋 10月10日、東京オリンピックの開会式の当日は、伊豆丸の山高原でのMCFAJの全日本モトクロスで、カワサキは、4種目中3種目に優勝し、カワサキのモトクロスを確固たるものにしたのである。

当時は新人の山本隆が優勝し、久保和夫(スズキ)荒井市次(ヤマハ)の両雄を下しての快挙であった

 

    

 

 

この伊豆丸の山へは、名神を通り名古屋からは1号線を通って車で乗り込んだのだが、帰りは東京から初めての新幹線に乗ったのである

この1週間の出来事は誠に私の人生で鮮烈でよく覚えている。

明石から伊豆まで名神を通り車を運転したのも初めてだったし、モトクロスの全日本で圧勝したのも最初のことである。

そしてその当日は東京オリンピックの開会式、帰りは初めて乗る新幹線。

これはなかなか忘れることは出来なくて、何回思い出してもいい想い出なのである。

 

さらに言えば、当時は広告宣伝課でヘリコプターを持っていて、この伊豆丸の山の現地にもヘリコプターを持って行っていて開会式には空から花束を届けるお嬢さんをどこからか運んで来たりしたのである。

 

10月1日、新幹線50周年と聞いたら、こんなことを思いだした。

山本隆くんがこれを読んだら、また彼独特の感想を持っていると思う。

お互いに、人生最高の1週間であったことは間違いない。

ひょっとしたら彼も新幹線に乗ったのだろうか?

 

 ★新幹線50周年は、カワサキにとっても単車事業再建宣言50周年なのである

 

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もう秋かな

2014-10-01 06:59:11 | 発想$感想

 ★8月末からアメリカに行っていたので、9月はあっという間に過ぎてしまった。

気がつけばもう10月、我が家の庭の風情も何となく秋らしくなったような気がする。

 

       

 

      もう紅葉が始まっているし、

 

       

 

 ザクロも万両も実をつけている。

 

 ★ そんな朝、二通の郵便を受け取った

  珍しく2通とも女性からである。

 

 

   

 

 一通は、つい先日亡くなった、重本修次郎くんの奥さまからである

 重さんのこと、確かに、『Team Green監督 重本修次郎くんのこと』というブログをアップした。

全然、亡くなったのを知らなかったし、弔辞のような積りで書いたブログである。

その内容は、勿論レースのこともあったのだが、多分彼にとっても一生の晴れ舞台であったであろう、川重二輪事業部の幹部200名を前にして語った

『7万台への挑戦』 『新しいカワサキのイメージの創造』 で、彼の語ったページを詳細に貼付したのである。

 

   

 

ちょうどお盆の頃だったが、このカテゴリーは敢えて『7万台の挑戦の時代』という、このブログのカテゴリーに入れたのである。

この幹部集会で語った内容は、一冊の冊子になって

当時の川重社長以下全重役や、英訳されて全世界のカワサキ販売会社にも配られたりしたのである。

 

    

 

その内容は単なる販売台数へのチャレンジではなくて、より高度なカワサキの新しいイメージ創造活動だったのである。

 

それから20数年経って、いま

NPO The Good Times の活動は、この冊子に書かれたコンセプトで展開されているし、

昨日アップした World Good Riders Assocviation の展開もその流れに乗ったものだし、

20数年たった今でも十分現実に通用するコンセプトや戦略なのである。

 

 

★昨日、頂いたもう1通の郵便は、 朝来市の総合政策課の馬袋真紀さんからのもので、その中味は全くの偶然なのだが、

朝来市のまちおこしにもきっとお役に立つだろうと、7月30日、朝来を訪ねた時にお貸ししていた冊子『7万台の挑戦』が戻ってきたのである。

 

天空の城、竹田城址のある朝来市は、 竹田城址もさることながら、なかなかオモシロい活動が展開されているのである

  

  これはWGRAの立ち上げ記念イベントなのだが、その舞台は朝来市だったし、

この写真の真ん中に居られるのが朝来市長 多次勝昭さんで、NPO The Good Times の会員さんなのである。 

 そんなこともあって、このブログにも『いい朝の来るまちの物語』と言うカテゴリーを創って纏めている。

そんな朝来とのお付き合いも、この夏に始まったのだが、もう秋になろうとしている。

 

馬袋さんからは、冊子と一緒に

     

      

      

 

 

  こんな朝来の与布土の案内カタログと、『奥さまと一緒に温泉へどうぞ』と よふど温泉の入浴券が送られてきた。

 家内は未だ10月いっぱいは未だアメリカの娘のところである。

 未だあと1ヶ月、独りの生活が続くのである。

 

 重本さんの奥さま、ご丁寧に有難うございました

 そして、馬袋さん、いろいろと有難うございます

 

『7万台の挑戦』が何となく繋がっているような、そんな不思議なご縁を感じた昨日の1日であった。

 10月中には一度1人で、また朝来へ行けたらいいなと思っている。

 

 

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