雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

男の独り暮らし

2015-08-07 06:05:30 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 例年のことだが、夏は家内はアメリカの娘のところに2か月ほど遊びに行く。その間男独りの独身生活が続く。

今年は8月1日からだから、5日ほど経ったことになる。

大体、自分の性格はよく解っているのだが、環境適応はめちゃくちゃいい。どんな環境でも大丈夫で、「くよくよしたり」することは絶対にない。 その時々の環境に対応するだけではなくて、それを十分に楽しむことができる

大雑把で、大きなことにチャレンジしたりもするのだが、基本的にはケチだと思う

このDNAは、息子や娘の長男に遺伝されているのか、息子もケチだし、孫はめちゃめちゃケチである。よく言えば倹約家だというのだろう。それでいておかしなところは贅沢なのである。息子もケチなくせして食いものは贅沢だし、酒などはよく飲むようである。

私は、そんなにケチでもないのだが、独りの生活になると、途端にケチになる。食生活など最低で大丈夫である。

戦後育ちだから、好き嫌いはないし、なんでも旨いと感じる。正直言って高価な食材をそんなに旨いと思ったこともないし、高級料理店の食事を「特別に」旨いと思ったこともない。

逆にいうと、「なんでも旨い」のである。

パンも好きだし、卵もうまいと思う。イワシでもサバでも高級魚と同じぐらい旨いと思ったりする。世の中いろいろ言うが、少ないものが貴重品になり、「旨い」といわれる源泉だと思っている。

 

★ それでいて繊細な味が、よく解らない。最近の食事番組を見ていると、細かいところに気を遣うし、味付けも誠に繊細である。 あれが苦手で、素材の旨さがあればそれでいい

塩と胡椒と醤油ぐらいで、焼いても炒めても、それで十分なのである。机の上には鉄板焼きのプレートが置きっぱなしである。

 

    

 

魚でも、肉でも、野菜でも、炒めものも焼き魚もこれでいける。プレートは別に洗わなくてもふたがあるから大丈夫である。ちょっと汚れた感じになったらそこで焼き飯をすれば見事に綺麗になる。

直ぐ横にはごみ袋が置いてあって、ごみ箱など使わずに直接そこに入れていく。週に2回の燃えるゴミの当日にはちょうどいいぐらいの量になる。

 

朝食や、昼飯は台所の調理器具の横でとることが普通で、至極簡単、後片付けも1分ぐらいで大丈夫である。

スープや味噌汁などもこの頃は、いっぱいいいものが出ていて、私はもっぱら中華スープを買ってきてそこに冷凍のうどんを入れて少し味を調えたら結構いけるのである。

洗い物もそんなに食器の数を増やさないので簡単である。 でももし横に家内がいたらとても許しては貰えないようなやり方だが、旨いまずいはどのような形でも同じだと思ってしまうのである。雰囲気で旨さを感じるような繊細な神経は持ち合わせてはいない。ただただ、合理的に簡単、単純な生活パターンになっている。

ただ、結構整理や掃除はできていて、部屋がめちゃめちゃ散らかるようなことはない。

 

  

 

 

★昨日は、夕方スーパーに行って値下げ商品ばかりを選んで買ってきた。

2か月間で、現金で出費するのは果たしていくらぐらいになるのだろうか? 家内も金には意外に無頓着で、言えば幾らでも出してくれる。10万円でいいですか? というので2か月だからなと言ったら、20万円置いていった。

その20万円をできるだけ節約してと思っていたのに、玄関の鍵が壊れて昨日は6万円の大出費になった。よく20万円置いて行ってくれてよかった。別に預金通帳も印鑑もあるのでなくなれば下ろせばいいようなものだが、そんなことはしたことがないのである。

6日間過ごしたのだが、スーパーで買い物をしたのは2回、合計7000円だから、1日1000円ちょっとで暮らしたことになる。

これはちょっと少ないが、冷蔵庫の残り物などちゃんと処分して食っているのである。それが一つも苦にならないから不思議である。

まあ、独身生活は始まったばかりだが、これから約2か月多分楽しく退屈もせずに過ごすことだろう

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第9回 水曜マルシェの1日

2015-08-06 08:45:01 |  燦々 Sun Sun

★昨日は、第9回の『水曜マルシェ』  朝10時の準備から、5時近くまで、遠方からのお客さんもいっぱいで、今回も賑やかな マルシェだった。

どんな感じだったのか、まあこの2分の動画をご覧になってみてください。ちょっと他では見られない打ち解けた仲間たち、『やりたい人だけが集まった』 マルシェです。

 

私自身は、午前中の準備段階から、滋賀県大津からお越しの丸本敏久さんと野武真須美さんをお迎えして、『琵琶湖からGood Times 』の今後の展開と、丸本さんや野武さんがおやりの『こころ農園』のレタスを 今週オープンした 『ふきのとう』さんに繋ぐ、そんな打ち合わせから始まった。

 

丸本敏久さんは、大津で株)メンタル・パワー・サポート や こころ農園などを展開されているオーナーさんなのである。

  http://kokoronochikara.com/ 

こんなホームページをお持ちで『メンタル・パワー・サポートはこころを元気にする会社です』と書かれている。

2020年パラリンピックの障碍者ボート競技』出場を目指す大きなプロジェクト構想をお持ちなのである。

同時に、『こころ農園』で水栽培されているレタスを、今秋再オープンしたばかりの『ふきのとう』への出荷なども、合わせて検討いただくことになって『琵琶湖からGood Times 』は一歩も二歩も 前進したと思っている。

 

★午後からの水曜マルシェは、 『仮装舞踏会』さんの出演もあって大いに盛り上がったのである。

         

 

 今回も、『竹炭の どりーむかかりんhttp://dreamkacarin.blogspot.jp/  の応援には、小野高校の生徒さん、今回は初めて女子学生のお二人も参加されて、1日を楽しく過ごされたのである。

 

    

 

★ この緑が丘 SunSun 水曜マルシェの特徴は

 事前の計画など一切ない

 予算も1円もない

 やりたい人が、自由に集まって、好きなようにやる

 メンバーは NPO The Good Times の特別プロジェクト 燦々SunSun http://www.thegoodtimes.jp/sunsun/  のメンバーたちの自主参加なのである。

 三木市だけでなく、Facebook で繋がっているいろんな方がいろんなところから集まってくる。

宝塚の方向から車椅子の池田さん、尼崎の藤本さん、神戸からはクラウド・ファンデイング・コンサルタントの水間さん、加西市からは山端さん、小野市からは出井さんなど、三木市以外の方が遠くから来られて、結構来られることが楽しみのようである。

さらに『竹炭のどりーむかかりん』さんは毎回小野高校の学生さんが二人づつ応援にかけてけてるのは、何か社会勉強の一環のようで毎回先生も顔を出されるのである。

このあたりが『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』というNPO The Good Times の真骨頂が発揮されているのだと思うし、来られる方もそれなりにいろいろとプラスの面もあるのだろう。

 

★ なぜ SunSun『水曜マルシェ』なのか?

水曜日は、この商店街のお休みの日なのである。 だから食べ物を出しても、野菜を出しても、ビールを売っても、競合店がないというか一般のお店に迷惑が掛からぬように、お店の休みの水曜日に毎週開催しているのである。

人通りが少なくなる水曜日に、幾らかでもまちに賑わいをと、この実行委員長の向山信吾くんが云ってるのである。今回で9週連続、夏休みは子供会も連続参加で賑やかである。

この調子なら今年いっぱいは間違いなく続きそうだし、ひょっとしたらずっと続くことになるかも知れないのである.

地域活性化を目標に掲げる 燦々SunSun  のメンバー主体だから、『まちの活性化』に繋がらないと意味がない。

今回からは、『土林水庵』のファンクラブの募集が始まったし、9月からは『どりーむかかりん』のファンクラブも、追随することになるのだろう。他の追随を許さない新聞に十分匹敵する情報発信力を持ってる仕組みなので、自然にどんどん広がっていくのである。

    

 https://www.facebook.com/pages/%E6%92%AD%E7%A3%A8%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93-%E5%9C%9F%E6%9E%97%E6%B0%B4%E5%BA%B5%E3%81%A9%E3%82%8C%E3%81%BF%E3%81%82%E3%82%93/368808463202293?fref=ts

 

昨日は、朝からなかなか忙しい、活気のある1日だった。

参加された方、それぞれに情報発信です。

 

            

 

         

 

         

 

          

 

 

燦々Sun Sun スタートしました。

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★48万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武藤貴也さんのツイッター 雑感

2015-08-05 06:35:48 | 発想$感想

 ★衆議院議員の武藤貴也さんがツイッターでこう呟いて、問題になったようである。

『短い言葉』での表現は難しい。

  

 

 

磯崎補佐官の話も、全体の演説ではなくて、発せられた『短い言葉』だけを殊更問題にしているのである。

野党が国会戦術として取り上げているので仕方がないのだが、私はそんなに大した話ではないと思っていると仮に書いたら、『大した話ではない』のところだけでの議論になってしまうのである。

武藤さんの話も、確かに問題の部分もあるのだろうが、戦後『基本的人権』が尊重され過ぎて、『個人の権利』ばかりが強調され『利己的』と言ってもいい風潮が一般に蔓延しているのは、これは事実と言っていい。

然し、いまいろいろと問題になっているのは、『安保法案』、国を如何に安全に守るかという法案の審議であって、『戦争法案』の審議ではないのだが、何故かとんでもないほうに議論が行ってしまっている。

 

 

★また、8月がやってきた。

70年前の夏、中学1年生だった。 8月15日朝鮮京城の城東中学校の校庭で、直立不動の姿勢で、あの『玉音放送』を聞いた。 よく聞こえなかったが、『日本は戦争に負けたのだ』ということだけはよく解った。

国が戦争に敗れることが、『どんなことなのか

世の中の状況が一変するのである。 当時朝鮮は日本だったのだが、すべての朝鮮人が日本人だと意識していたわけではないのだろう。

中学校から家に戻るための市電は、『朝鮮人に占拠』されて、朝鮮の国旗が掲げられ、日本人はとても乗ることが出来ない状況になってしまっていたので、家まで歩いて帰ったのをよく覚えている。

 

戦いに敗れると、世の中は一変して、『個人の人権』どころか、敗戦国の主張など全く許されない環境になってしまうのが普通なのだろう。

然し、日本は間違いなく『敗戦国』であったのに、占領した国が『アメリカ』であったおかげで、『敗戦国らしい扱いも受けずに、自由で民主的な国家として再建が出来た』のだということを、日本国民は忘れてしまっているように思う。

厳しく言えば『平和ボケ』もいいところである

 

当時の朝鮮は日本だったのである。 

そのために朝鮮は北と南に分割されてしまった

これは、『慰安婦問題』などとは比較にならない『朝鮮の悲劇』だと私は思っているのだが、これを指摘する人は少ない。そういう意味では朝鮮民族は、敗戦国として自らの主張も異議申し立てもできない状況だったのである。

 

★大体、戦争に敗れたら、国を2分されても、領土を取られても、歴史的に見たら、それは仕方のないことなのだと思う。

そこには個人の主張はおろか、国の主張さえ認められないそんな厳しい状況に直面するのである

そんな経験をした、日本人はそのほとんどが亡くなってしまった。 当時戦争に行かれた方、内地で空襲で被害を受けた方などもおられるが、外地にいた人がある意味、一番の被害者のような気もする。

国が敗れたために、すべての財産を失ってしまったその苦しみなどは、私は中学生だったのでよく解らなかったが、いま日本の皆さんが、その財産のすべてを失うことは、どんなことなのか想像してみてほしい。

 

そういう意味で、個人的人権もいいのだが、まず第一に『国を守る』『国が守れる体制』を採ることが第一だと思っている。

自民党の、安倍さんのすべての施策に賛成するわけでもないのだが、この『安全保障法案』には、私は『賛成』の方向である

戦後70年、もうそろそろ日本を、国を安全に守れる体制を採るべきである

世界の情勢はこの70年の間にも幾つもの戦争があった。周辺諸国の状況を見ても、それに対応する施策は考えられて当然なのである。

憲法9条だけで国が守れると思うのは甘いのでは?

敗戦国になったのでは、どんな立派な言論の主張も役に立たない。

そろそろ平和ボケに終止符を打って『世界の常識』での発想をと言いたいのである

 

 

   

  

 

世の中、反対ばかりかと思ったら、賛成の方も、賛成のデモもあるようだが、一向にマスコミには登場しないのである。

世界に通じる普通の常識』を持ち合わせている人もいるのだと思った。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森林の果たす役割

2015-08-04 17:07:49 | 発想$感想

★ 昨日三木山森林公園を散歩して、こんな看板を写してきたのですが、

そこに書かれてある意味が、もう一つ解らなくて、『よく解らない』と書きました。

 

    

 

 

 

三木のこなやの垂井健さんから、こんなコメントを頂きました。

 

   

 

 

★なるほど、このようなことを書いているんだということが解り、

『樹木別 炭素吸収率』 などと検索してみたらいっぱい現れて、

こんなサイトも現れました。

http://watashinomori.jp/study/basic_01.html

 

  

 

 非常に解りやすい解説ですので、ご関心のある方はお読みになればいいと思ってご紹介しています。

 

● 日本の森林率は世界第2位のようです。

● 森林はどんどん減っているのかと思ったら、確かに減ってはいるのですが、意外なことに中国が大規模な植林などして減少面積は、少なくなっているとか。

  

 

 

 

● いま、日本の森林はちょうど伐採の時期で、木造が見直されたりもいているとか。

● その中に、垂井さんが指摘されたおなじグラフもありました。

 

● 地球温暖化の話は、こんな状況だそうです。

 

 

 

 

結構、勉強になりました。

垂井さん、ありがとうございました。

   

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

RSSING.COM 雑感

2015-08-04 07:00:10 | 発想$感想

★昨日は、こんなサイトとの出会いから始まった。

最近は、近々に起こったことを覚えていなくて、なぜこんな RSSING.COM なるサイトに出会ったのかは覚えていないのだが、結構いろいろと調べたりチェックしたりしたのである。

 

http://snubbishness.rssing.com/chan-1804606/all_p2.html

私のブログが載っているこんなサイトなのである。

http://www.rssing.com/index.php  RSSING.COM というらしい。Google で、調べてみると、いろんなことが並んではいるが、『ブログ丸ごと盗作』などとあって、その対処法などが書かれている。

 

ブログ丸ごと盗作Rssing.comへの対処法 - 教えて!goo

確かに、盗作と言えば、盗作なのだが、正直盗作されたという感触は皆無で、むしろツイッターでの『リツイート』の徹底版のような感じである。

ツイッターの場合、『リツイート』は盗作ではないし、それは評価に値する。ネットの世界では『リンク』を貼られることは、その価値を他人が認めたものでむしろ歓迎すべきなのでなかろうかと思うのである。

仮に、ブログの内容が全然ダメだったら、こんなサイトに取り上げたりはしないだろう。それを『ブログ丸ごと盗作』などというのは、どうも信じられないのである。むしろ、こんなサイトに取り上げられることは、そのブログの内容が認められたということではないのだろうか

 

個人情報だとか、著作権だとか、個人の権利を主張したがる世の中だが、私の場合はそのようなことは一切気にしない。そんなに知られては困るような個人情報など持ち合わせてはいないし、文章でも写真でも、別にどのように使われても、問題ないと思っている。

それよりも、なぜ、私のブログを選んでこんなことしてるのか、選ばれた理由を聞きたいものである。

一番旧いのが、2011-11-12からで、私のブログは2006年からスタートしているのである。出来れば最初から載せて欲しいのだが、何か先方に理由があるのだろう。

旧いブログを読むには、gooのサイトよりこのサイトのほうがよく整理されていて読みやすいので、『お気に入り』に入れておきたいと思っている。

 

 

★燦々Sun Sun スタートしました。

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★48万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の父母

2015-08-03 07:09:25 | 発想$感想

★どなたにも、この世に生を受けている限り 父母がいる。

昨日は、家に長寿院のお坊さんが、お盆のお参りに来られた。

 

母は103歳まで長生きしたが、父は54歳の若さで他界してしまった。

 

  

  

 

 自顕院仁岳素雪居士 が父の戒名だが、これはなぜかよく覚えている。

 母の戒名はつけて頂いたばかりなのだが、正直ちょっと覚えにくいのである。

 

 どのようにして戒名なるものがつけられるのかよく解っていないが、母には  という名の一字が入っている。 父の 素雪 は父の使っていた 雅号なのである。

位牌は 一昨年母が亡くなった時に、旧い父の位牌を止めて、母と一緒の新しいものに、これもお寺の勧めに従ったまでである。

父の生前の名前は、 錬介 となっているが、これは通称で、戸籍の名前は 錬二 なのである。

当時は、名前をいろいろと字数などで画数などから変えることが流行っていたのか、伯父は修一、父が錬二 だったのに、それをそれぞれ 脩輔、錬介 と称していたし、

伯母は 静子、母は 冨子 だったのに、私が子供のころは それぞれ 泰子、素子 を使っていた。

 

ちなみに、父の雅号 素雪 は、『書は橋本海関に習い、絵は橋本関雪』に習ったことが自慢の父が、関雪さんの 雪から、素雪と号したのではないかと思っているし、母の 素子もそんなところからきているのかも知れない。

 

★そんな名前については、何となく子供のころから関心はあったのだが、・・・・

父の死後、母は 元の 冨子に戻したし、 伯母も晩年は 静子を使っていた。

戦後、朝鮮から引き揚げ、すぐ父を亡くして5人の子供を育てて苦労した母が、

『冨 という名前だったのに 素という何か正反対の名前にしたので、苦労してるのかも・・・』と呟いたことがある。

 

そんなこともあって、親がつけてくれた名前など、勝手に直したりはしないほうがいいと思っている。

私も、二人の子供の名前は私がつけたが、人の名前などには、タッチなどしたくなくて今まで人名前などに関係したこともない。

 

★父母の戒名だが、改めて眺めてみると、なかなか立派なのだが、これがいわゆる『居士号』なのである。

『居士号』などに拘る時代も、もうぼつぼつ終わるのかも知れない。

そんなことに関係のない宗派もあるようだし、別に生前の名前さえあればいいのではなかろうかと思ったりする。

少なくとも、『ネットの世界』では、 『古谷錬太郎』と多分父がつけてくれた名前は、結構長く残るかも知れないのである。

そんな『ネットの世界』には、私が世話になった父母や伯父、伯母の名前など残されていないので、こんなブログに

伯父 古谷修一 伯母 古谷静子

父  古谷錬二 母  古谷冨子  と書いておけば、記録に残るかも知れないのである。

 

つい先日、Facebook のノート に 『古谷錬二のこと』と題して一文を記し、伯父と並んだ写真も、アップした。

 https://www.facebook.com/notes/%E5%8F%A4%E8%B0%B7%E9%8C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E/%E7%88%B6-%E5%8F%A4%E8%B0%B7%E9%8C%AC%E4%BA%8C-%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8/1012183508792283 

 

  

 

母の写真は、私がネットをやり始めてからも、一緒にいたので、ネットの中にもいろいろ登場する。

 

   

 

     

 

こんな記録が残せる現代だから、昔からの伝統の 戒名 なども一考されていいのではなかろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独身生活始まります。

2015-08-02 05:39:40 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★毎年夏、2か月ほど家内はアメリカの娘のところに遊びに行く。

もう何年も続いていて、夏の独りの生活のほうも慣れて、これはこれでいいものである。

ただ、これもいつものことだが、アメリカへのフライトが、空席でないと乗ることが出来ない、ANAの家族優待があるから行けるようなものなのだが、最近は、それがなかなか空席がないのである。

 

今回も、昨日の8月1日、成田発は空席は1.2席しかないという。お盆も近くそれ以降はすべて満席だというのである。

その空席も、いつ満席になるか解らないのだが、現場に行かなければ、諦めてたのでは、飛行機に乗れないのである。

成田まで行って、ダメな場合は成田から引き返すこと覚悟で、朝10時の羽田便に乗ったのである。

成田への直行便がこれが満席なので、羽田まで行き、そこから成田へのバスに乗り、成田で空席待ちに挑戦するというそんな計画なのである。

 

 

 

 夏休みに入った伊丹空港は、いつもとは様相も違って、荷物を預けるのもこんな列だし、駐車場も屋上しか空いていなかった。

ダメもとで兎に角、成田まで行くというのである。

 

 

 

10時伊丹発の羽田行、そして羽田から成田へのバスは90分。

2時過ぎには、成田に着いて、最初に掛かってきた電話は、『満席だから空席待ちをする4時頃まで、どうなるかわからぬが待ってみる。』というものだった。

 

★私自身は、今朝そんなことで伊丹まで送っていったが、帰りは休日で遊びに行く人たちで、高速は宝塚までは大渋滞、それでも12時前には家に戻ってきた。

もし、ダメだったら夜成田から伊丹に戻ってくるので、もう一度伊丹に迎えに行かねばならない

昼からすでに、独身生活は、始まっているのだが、部屋を私流に広げたりしたら、戻ってきたら文句を言うに決まっているので、おとなしくチンとしていた。

4時半ごろ、成田空港が職場の息子から電話が掛かってきて、『キャンセルがでて、乗れた』 ほっとした。これで今晩の迎えはなくなった。

直ぐ、Facebook でアメリカの娘に、『迎え頼む』とメッセージする。でも、アメリカは今は夜中なのである。明日の昼前にロスに着く。

 

4時50分過ぎ、家内から電話が掛かってきた。

『今から機内に入ります。乗れたから、ゆっくりビルでも飲んでください。』

7月の初めに、新しくした我が家の携帯電話だが、1ヶ月ほど経って今日初めて使った。こんなためだけに、我が家の携帯はあるのである。

 

★いよいよ、2か月間の独身生活の始まりである。

10月初旬に戻ってくる。

この2か月の間に、立てている目標は、体重を78キロぐらいまで落とすこと

これは自分で食事の調整もできるのだから、100% 達成できるはずである。

最近、ちょっと体が重いので、少々動きにくいのである。

いまの体重82キロ 4キロぐらい落とすのは、そんなに難しくないと思っている。

 

     

 

いま、アメリカに無事着いたと娘から、Facebook でメッセージ。

便利な世の中である。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月はスタートの月

2015-08-01 05:44:40 | 発想$感想

★ あっという間に今年の7月は終わってしまった。

今年の7月は忙しかったし、なんとなく気ぜわしくて、気がついたら7月31日である。

そんな月末の31日、22日まで日本に遊びに来てた、娘一家からSkype で電話が入ったりした。日本にいた長男も今日アメリカに夏休みの期間中で戻ったようである。

久しぶりに3兄弟揃ってアメリカで顔を揃えたのだが、8月に入るとすぐ次男は大学入学で、バークレーのほうに行ってしまうので、それこそあっという間なのだろう。

 

大体、人生考えてみると、そんな環境変化の中で生きている。どのような環境になろうとも、それに柔軟に対応することが第1なのである。

私自身は、環境の変化への対応は、全然問題なくて、どこでどのような環境に置かれても、少なくとも普通一般の方よりは柔軟に対応できる自信はある。

事実そのような環境を何度も経験したが、いずれの場合も、『落ち込んだ』ことなど一度もない。若いころ、肺結核で1年間の療養生活をした時も、晩年、クモ膜下で1ヶ月ほど入院した時も、それなりに、『楽しく、明るく』過ごすことができたのである。

結構、多くの方と親しく繋がってはいるのだが、所詮は独りで生きているのである。人に頼っていても結局は自分だけが頼りなのだと、割り切っている。ドライと言えばドライだし、情があるようでないのかも知れない。

 

★今年、特に最近になって、自分の周りの人たちとの関係が、また新しい段階を迎えそうなのである。

この7月が、ひょっとしたら転機になっているのかも知れない。

7月には、何故か考えられないほど、新しい人との出会いがあった。

その人たちが、それぞれまた面白そうなのである。そんな新しい人たちとの関係が、もし進むとすれば、当然また新しい局面が展開するのかも知れない。

一言で云えば、『SunSun 水曜マルシェ』では、新しい方との出会いが、今までとは考えられないペースで進んでいる。

人生の中でも、こんなに短期間に、こんなに新しい方との出会いがあった経験はないのである。

この中に写っている人たちは殆どが今年になって出会った人たちである。

 

 

昨日、Facebook にアップしたこのお二人もオモシロそうである。

 

 

 

左の青木さんは、昨年7月からのお付き合いだが、ホントに二人でじっくり喋れたのは、この『水曜マルシェ』だったかもしれない。 距離というか、信頼感はお互いぐっと縮まった。彼の相棒合田さん、この人を実は私はめっこ入れてたのだが、今回アメリカに行くらしい。ひょっとしたらアメリカがオモシロくなるかも知れない。

そして、右に写っているのは三木にこの4月に赴任した神戸新聞の責任者大島光貴さんである。私は初対面の第1感で即人を判断する傾向があるのだが、殆ど外れたためしはない。

この方は若いがオモシロそうである。昨日は結構高次元の途方もない雑談をした。三木がおもろくなればいいと思う。三木の緑が丘はオモシロいと感じてくれているのである。新聞記者さんではなくて、共感ネットワーキングの仲間としてのお付き合いが出来ればいいなと思っている。

昨日も2時間ほど雑談したのだが、早速燦々SunSun の殿界さんのグループの会員になってくれたから、もう間違いなく仲間なのである。

そんな新しい仲間たちが、7月には、いっぱいできた。

考えてみると、今年は1月、燦々SunSun で幕を開けた。

そして、後半のスタートは、新しくオモシロい人たちといっぱい繋がった。今後のまた『新しい時代』への幕開けのような気がする。

● NPO The Good Times  を実質的にスタートさせたのは7月だし

● 二輪文化を伝える会やKAWASAKI Z1 FAN CLUB のスタートも7月だった。

● 去年も同じ題でブログをアップしたりしている。

  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/823dd23d7992e327312dea17e01e7a8d

今日から、8月が始まる1か月後果たしてどんなことになっているのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする