雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

想い出の池

2021-01-17 04:11:46 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨日に続いて協同学苑の周りを一周するコースを走ってきた。

 前回は左周りで後半のコースが上りが続いたので、非常にきつかったので、
 右回りにすると、多分もう少し楽なはずだと思ったのと、

 もう一つの理由はずっと昔、『鮒釣り』をした池をもう一度よく確かめたかったのである。

 右周りにすると、こんな長い下りから始まる。
 昨日は最後にこの長い上りが厳しかった。

  
  



 坂の途中の『里山公園』を覗いてみた。

  



 冬なので、桜などみんな葉を落としているが、
 肥料など手入れは行き届いている。





 公園の中だけではなくて、道の周りの自生している松の木も綺麗に剪定してある。
 道に沿って、桜並木も作られている。
 これを殆ど独りでやっておられるのはスゴイ。






★ 気になっていた池の一つである。
 道沿いにあるので、今は金網が張られてしまっている。

 危ないということなのだろうが、
 何となく自然が遠くなるようでその対策はもう一つだと思う。




 昨日は通らなかったもう一つの池、
 この池のことが気になっていたのである。

 よく釣りに来て、よく釣れた池である。
 この池は集落のすぐ横にあって、
 昔のままで残っていて、ホッとした。

  ちょっと解り難いが、向うの岸辺にいるのは水鳥である。
 餌になる魚など、今でもいるのだと思う。


  





  昨日も気になったのだが、
 畑の中に玉ねぎが沢山放置されていた。
 『このままにしておくのかな』と戦後の食糧難の時代に育った私は気になるのである。

  幾つか『頂こうか』とも思ったが、
 『ドロボー』と言われそうで、それも出来なかったが
 このまま腐らすのは『勿体ないな』というのが実感である。

 
 


 
 最後に急な上り坂を上って、
 


 車を置いてた『協同学苑』に戻ってきた。
 距離は一緒のはずだが、
 かかった時間は1時間10分、
 最初の下り坂が長かったので、昨日よりは10分ほど短い時間だった。




★こんな街中を走ってみて、
 公園の中を走るのに比べて、歩道のない道は車が気になる。

 やはり、公園の中がいいなと思った。
 釣りをしてた池、昔と同じように残っていてほっとした。


 
 
 

 
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協同学苑の周りを一周してきた

2021-01-16 07:17:16 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ いま私が住んでいる『三木市緑が丘』は廣野ゴルフ倶楽部の直ぐ横で、
 こんな広大な住宅街が広がっている。

 周辺のゴルフ場と、その大きさを比べて頂くと『その広さ』がお解りだろう。
 
今から50年前、1970年に開拓が始まって、1973年1月に三木にやってきた。
いま住宅になっているところは広大な丘陵地帯というか山だったのである。

 


 いつもはこの地図の右上にある『三木総合防災公園』や左上の『三木山森林公園』でスロージョッギングするのだが、

 昨日は、家から近くの『協同学苑』に車を止めてその周りをひと廻りしてきた。

 このコースはよく関西国際大学の野球部の選手たちが、走っているコースだが、ひと廻りしたのは、『初めてのこと』である。

 登り下りがあって、結構きつかった。
 約6km、1時間15分ぐらい掛かった。


   



  動画と写真を撮ってきたので、ご紹介してみよう。
  まずは動画、1分ほどに纏めている。

  



★   その感想は、こんなに長いとは実は思っていなかった。
学生たちが練習前に走ったりしてるものだから、もう少し短いと思っていた。

 こんな坂道を下ると『志染の里』が広がって、一度に風景が変わる。

  
  
 
 
 こんな農道が続いている。





 もう30年も前のことだが、この池にも鮒釣によく来たものである。

  


 
 当時はこの広い道も未だ出来てはいなかった。

  



  こんな田舎道を通ってやってきた。
  
 
 


  この道は今は車の往来も多いのだが、
   かって、緑が丘が開拓されるまでは、山の麓で終わっていたからだろう。
 『私のナビ』には載っていない。

   


 
もう少し上ると、昔のままの道になるので、こんなに細くなる
 
 



 それが突然、こんな立派な道になる。
 この道もあとから出来た道で、上った先が緑が丘なのである。
 



★ ざっとこんな一周だったのだが、
 最後の上り道の途中に、こんな公園がある。

 『里山公園』と名付けられているが、
  三木市からある個人の方が借りられて、
  コツコツと公園のように仕上げておられるのである。

  



  私は面識もあって存じ上げているのだが、
  昨日は声も掛けなかった。

  何か苗木を植えておられたようである。



 
 

  昨日はそんな午前中だった。

 
 

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私と田崎さんの人事を決めた方たち 

2021-01-15 07:21:16 | カワサキワールド

★、昨日・一昨日と2日続けて、田崎雅元さんから電話があった。
 電話と言ってもちょっと普通ではなくて、
 2日間で『延べ5時間』ぐらい電話で喋っていた。
     
 ホントか?と思われるだろうが、ホントである。
 田崎雅元さんは川崎重工業の社長・会長を歴任しているのだが、
 私との電話は、ずっと昔のお互い若かった20歳代の頃と同じように、
 今でも喋っているのである。

 田崎さんは入社は私より1年あと、年は2つ下なのだが、
 初めて会った1962年以来、カワサキの単車事業でずっと密接な関係があったので、
 電話の中身は脱線することなく今でも、『カワサキの二輪事業』のこといろいろなのである。


★ 私は現役時代、カメラは持たなかったので写真はないが、事業の記録はきっちりと持っている。
 田崎さんは写真もいっぱい持っていて、いろんな写真を私に送ってくれるのである。

 昨日もこんな写真を送ってくれた。
 1990年代半ばの国内販社のデーラーミーテングだが、
 岩城滉一が来てたのでその記念撮影なのである。
 
 大庭浩さんは既に川重社長だったが、田崎さんも社長、髙橋鐵郎さんも
 後、副社長になられるので、所謂『エライさん』ばかりなのである。

   

 
 大庭さんも初めてお会いして密接な関係があったのは、
 二輪事業本部長時代の常務の時だし、
 高橋さんとも創生期のレース時代からだから、係長時代からのお付き合いなのである。


 私と田崎さんが密接な繋がりがあったからだと思うが、
 田崎さんが送ってくれる写真は、私にとっても懐かしい人ばかりである。

 岩城滉一さんも90年代に7年間ほど、カワサキとは密接に繋がっていた。

 田崎さんとは、そんな『共通の想い出』があるので、
 5時間も途切れることなく電話が続いたりするのである。
 


★ 田崎さんと一緒に写っているのは
 川崎重工業副社長 山田熙明さんである。

 山田さんは単車の技術部におられて、
 部長時代にレース運営委員会の委員長をされてて、
 委員には田崎さんもいたし、私が事務局長だったので、
 副社長になられてからも、KMCにはよく来られていた。

 私は神戸一中の後輩だということで特に目を掛けて頂いたのである。
 
 


 これらはみんな田崎さんが私に送ってくれたものだが、
 よく考えてみると
 この写真に登場する方たちが、『私と田崎さんの課長以降の人事』に
 関係した方たちであることは間違いないのである。

 それはカワサキの二輪事業の歩みと密接に関係があって 
 『私と田崎さん』は課長時代からその中枢にいたのである。



★ 話のスタートは1978年にアメリカでハーレーが起こした『ダンピング訴訟』で、
これは日本の4メーカーに対するものだったのだが、
この『ダンピング対』を担当したのが課長時代の田崎さんなのである。

 別にアメリカ市場で安売りなどはしていないのだが、
アメリカ市場での『経費率以上のものは認めない』という規定があって、
国内市場で『カワサキオートバイ販売』というカワサキだけがひとつ多い流通段階を持っていたために、
このままでは『カワサキだけ』がダンピングになってしまうという状況で、
カワサキオートバイ販売』をどうするかという具体的対策が必要だったのだが、
この具体的対策が川重本社も絡んで対策案を起案したのだが、なかなか上手くいかないのである。

 本社も事業部も困り果ててしまって、
突然、当時の塚本本部長に呼ばれて『私に対策案を作れ』という指示があったのである。
私自身はそれ以前にカワサキオートバイ販売に10年間出向していて、
その実態はよく解っていたのだが、当時の『カワ販のトップ人』にも関わる問題なので、
古谷にやらすのは気の毒だ』と気を遣って頂いていたのだが、
どうしようもなくなって、事業本部長からの直接の指示となったのである。

 そんなことから、約1ヶ月掛って小さくした『新カワ販案』を創り、
 本社の財務本部の了解もとれたのである。
 当時の本社財務本部長は堀川運平さんで、私が単車企画に復職した時の企画室長でもあったことから、
古谷君が1ヶ月も掛かって創った案ならそれに乗りましょう』とOKして頂いたのである。

この案は『カワ販本社』を10名くらいの小さなものとして、形では残したのだが、
この最終案を当時の髙橋鐵郎部長が当時の財務担当役員の大西常務に説明に行ったのだが、
 大西さんから『このカワ販は実際は誰がやるのか?』という質問があって、
 高橋さんが『古谷が川重の営業から旗を振ります』と答えたら、
 『それを常務にせよ』という指示があって、私は突如、当時の大カワ販グループの常務となったのである。



★この問題が解決した後も、HY戦争がアメリカ市場に飛び火したりしたこともあって、KMCの経営危機となるのだが、
その赤字が巨大で川崎重工本体も無配に陥ってしまうのである。
その対策には川重本社も乗り出して大変なことになっていくのだが、
そのアメリカ市場対策に私や田崎さんの名前が出たりするのだが、
私は『カワ販常務』となっていたので、髙橋・田崎コンビでKMCを担当することになったのである。

本社は何百億円の資金手当てをするのだが、KMCの赤字は止まらないのである。
 当時のKMC対策委員長を専務の山田熙明さんがやられていたのだが、
1982年7月1日に山田さんから突然呼び出しがあって、
KMCの赤字は止まると思うか』と仰るので、『それは止まるでしょ』と
お応えしたら、
お前が企画に戻ってやれ』ということになり、82年10月から企画部長に戻ることになるのである。
当時の川重には販売会社の第1線の経験のある人がいなくて、具体的な対策が立てられなかったのである。

 カワ販常務の人事も、この時の人事も事業部の上司ではなくて、本社の専務の指示で動いているのである。
 さらにはこの人事にはおまけがついて、私が企画部長は引き受けるが企画室長に『髙橋鐵郎さんを』と条件を付けて、
問題もあったのだが高橋さんはKMCの会長から企画室長に戻られることになったのである。
その時に、山田さん曰く『KMCを田崎ができると思うか?』と仰るので、
田崎さんとは1年違いだけなので、田崎さんがKMCをできないなら、私が企画などは出来ません。』と言ってこの人事は成立したのである。

私が企画室長に髙橋鐵郎さんをお願いしたのは、
具体的な実行案は作れるが、それを全軍に指揮するのは『新参部長』では荷が重くて
髙橋鐵郎さんの旗振りが必要だったのである。


その翌年の83年7月には大庭浩常務が再建屋として単車事業本部長に赴任されるのだが、
その時点では既に全世界の販社の健全経営の目途はついていたのである。

大庭さんは、ズケズケ本音でモノを言う単車事業を本当に気に入って頂いて、
来られて3か月後の10月には『単車は思ったより確りしている』と言われている。
 そしてあれだけ問題だった単車事業の再建が成って、
 1986年には川重副社長で本社に戻られたのである。

 このカワサキの単車の危機は、すべてが第1線の販売会社の経営問題だったので、
 その対策については大庭さんは殆ど私に任せて頂いたのである。
 現役当時『私の言うことを一番聞いて頂けた上司は大庭さ』である。

そんなことで、大問題であったKMCも私と田崎さんコンビで結構上手くいったのである。
それは営業問題というよりも『営業外対策』としての資金繰り問題であり、
企業のバランスシート対策だったので、最初にちょっと教えたのは私だが、
技術屋さんは勉強しだすとどんどん詳しくなって、
 
当時、KMCの社長をした田崎雅元さんは技術屋さんなのだが、
この時期の担当で、事務屋以上にバランスシートがよくお解りなのである。
後、川崎重工業の社長を担当されるのだが、
これはあまり言う人は少ないが、川重のバランスシートの内容が、歴然と改善されたのは、田崎雅元社長時代なのである。


★ その後の私や田崎さんの人事は、間違いなく『大庭ー髙橋ライン』で決められているのだが、
 私は大庭さんが、川崎重工で初めての『事務屋の技監』にして頂いて、
 国内販売を担当し『7万台の販売目標に挑戦』することになったのである。
 
 こうして振り返ってみると、私も田崎さんも、
 課長以後は、川崎重工のトップの方々との関係が密接に続いたのである。
  
 大赤字がまだ残っている時代に、KMCの新社屋建設には反対論も多かったのだが、
 当時の大西副社長がわざわざ現地まで足を運んで応援して頂けたのは、
 それなりの『信用』があったからだと思うのである。


  


    



 大西さんは、私を『カワ販常務』に指名されたのだが、
 当時は毎月直接、大西さんに報告していたのだが、
 運よく『FX400』などが出て10億近くあった赤字が解消するなど、
 当時の『カワ販』は抜群の信頼があったのである。

 後、大庭さんが単身単車に来られる時には、
 大西副社長は、髙橋鐵郎さんと私をわざわざ呼ばれて
 『大庭くんをよろしく頼む』と仰ったのである。
 大庭さんが単車におられた3年間、髙橋鐵郎さんは本当によく尽くされたと思うのである。


★ こんな話が、田崎さんとは共通の話題としてあるので、
 昔話は切りがないし、
 今のカワサキの二輪事業も、今回は川重からの分社問題もあって、
 いろいろと気になることも多いのである。

 私は兎も角、田崎さんは今でも川重中枢とは繋がっているので、
 こんな田﨑さんとの雑談も、ひょっとすれば、ひょっとするかなと
 思ったりしているし、

 何の役にも立たないと思うなら、電話など掛けてこられないだろうし、
 雑談だが、なかなかムツカシイところもあるようにも思う。

 お互い80代になってしまって、昔のように声を掛けてくれる上司など
 おられないのである。


 
 
 
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関西にも緊急事態宣言が出たが・・・  雑感

2021-01-14 07:29:34 | 私の生き方、考え方&意見

★1月13日に関西にも『緊急事態宣言』が発令された。

   
 
 
 私の日常生活にどんな変化があるのだろう?
 今までも、殆ど人とは会わないように努めてたし、
 人に会うのは週に何回かのジム・トレーニングだけだったが、
 それも8人以上は入れないし、安全だとは思うのだが。
 『緊急事態宣言』が出たので、ジムは止めようかと思っている。

   年金生活者にとっては『コロナへの対応』はそんなにムツカシクない筈だから、
このような行政の対策には、出来る限り協力することが必要だと思っている。

世界に比べて、日本のコロナが何とか低い水準で収まっているのは、
基本的に国民の対応が世界に比べて『いい水準』にあるのだと思う。


 これが感染者の多い主な国だが、
 アメリカを筆頭に欧米の先進国が軒並み顔を揃えている。


    


 日本やお隣の中国・韓国はこんな数値で、
 欧米諸国とは『桁が違う』のだが、なぜだろう?
 東洋人はコロナに強い体質なのだろうか?


 



 これが日本の『新規感染者数の推移』だが、
 年末・年始をピークに、多分収まっていく方向だろう。
 仮に収まらなくても、欧米諸国のようにはならないのでは・・・と思う。


 


日本の水準でも確かに問題はいろいろあるのだろうが、
若しアメリカや欧米のような水準になったら、どのように言うのだろう?
医療対策の限界が近いように言われているのだが、
アメリカや欧米はどのように対応しているのだろうか?

 日本の医療水準は欧米諸国に対して、そんなに劣っているのだろうか?
 その辺りのことが、もう一つよく解らない。
 


★ 『コロナ』も確かに大変だが、2月末にはワクチンも出るだろうし、
 何とか納まるのではと思っている。

 長く生きてきたが、『敗戦の』は大変だったが、
 それでも何とか『乗り切れ』のである。

 世の中の『インテリ』や『マスコミ』は『大変だ・問題だ』と言いたがるが、
 その殆どは『大したことにはならない』のが普通である。
 『大変だ・問題だ』というほうが賢そうに見えるのかも知れない。

 私自身は、『なんでも大丈夫』と、楽観的にネアカに生きてきた。
 

 でも、世の中の人たちは、『悲観的』に考える人が圧倒的なようである。
 夏に開催されるオリンピックは『中止』と考える人が90%に近い。
 
 春には『ワクチン』も出るし、何とか『開催の方向』になるのでは
 と思っているのだが、果たしてどうなるのか?
 確かに、『開催できる』と楽観的に考えると、
 何も考えていない『バカに見える』のかも知れない。

  



 
 
 
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ドローンを飛ばす

2021-01-13 07:39:31 | 発想$感想

★『ドローンを飛ばす』 勿論私のことではない。

アメリカにいる『娘婿のTad Kadono』の話で、
彼のFacebook にドローンが登場したのは昨年の11月28日のことである。

 動画で写していて、こんな景色と






 孫・門野真也のトレーニング状況が写されていた。







  その後も私も場所が特定できる、こんなところを撮影していたが、


  






 なかなか大したものだと思っていたら、
    昨日のFacebook にこんな記事が・・・
 『木の枝と衝突して墜落』したとか・・・



Drone修理中。
慣れてきた頃、調子に乗って少し込み入ったところで撮影。被写体(会社のサイン)に気をとられ木の枝と接触。約5mの高さから墜落!体が凍り付く!幸いボディの一部にダメージ。保険に入っていたので、Droneを修理センターの送り、入院中。



  保険に入ってたようなので『入院中』だとか。

 こんなところを撮っていたらしい。



 




★ ところで日本ではドローンを飛ばすには、やはり認定がいるようだが、
  3日間ほどの講習で取れるようでもある。

  こんな広告が出ていた。 


  
  
 

 ただ、こんな規制があるようでなかなか簡単ではない。


  


 

 閑に任せて、いろいろ調べていたら。
 毎朝行ってる『三木総合防災公園』でもドローンは飛ばせるらしい。

 ただ値段は高額で、14000円~30万円 もするという。

 



★ アメリカでは多分もう少し簡単なのだとは思うが、
  それにしても『ドローンが飛ばせる』など娘婿は流石技術屋である。

  私など、こんなチェックは出来るが、
 『ドローンを飛ばすなど』一生かかっても出来ないと思う。


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高校サッカー選手権 山梨学園優勝!   雑感

2021-01-12 07:23:20 | 私の生き方、考え方&意見

★ 新春は幕開けからスポーツの連続である。
 それも昨日の高校サッカー選手権で終わって、
 今年のお正月も終わったかなという感じである。
 
 それにしても青森山田山梨学院の決勝戦は壮絶だった。
 技術的には青森が上かなとも思ったのだが2-2のまま延長戦に入り、
 最後はPK戦で山梨学院の優勝となった。

     
  

★  最近の高校生の県代表チームは、
 野球もそうだが 当初のコンセプトであった県の代表チームというには、
 県外からの選手が多すぎてどうももう一つだなと思ってしまうのである。

 今回青森代表として出場した『青森山田』は23年間連続して、
 全国大会出場を果たしているのだが、
 青森県出身者は殆どいない県外からの選手で構成されている。
 
 そういう意味では『山梨学院』も青森以上に県外選手が多くて、
 県内選手の少ない、43位と45位の決勝戦だったのである。
 

 

 今回大会出場校で、県代表チームだと言えるのは、
 こんな大都市県と言える地域で、
 地方に行くほど県外選手の数が増える傾向にある。


  

 その解決策は?
 と言われても名案は持ち合わせてはいないのだが、
 学問をやることが本業の学校が『スポーツ専門校』になってしまっているのは、
 問題と言えば問題なのだろう。

 
★ このようなスポーツ有名校の部員たちも、また問題かなと思っている。
 100人以上も部員がいるとその殆どは応援団みたいな存在になってしまう。

 その点、アメリカの高校の運動部は同好会的な活動で、
 プロなどを目指す選手は、地域のスポーツクラブの上級クラブに所属している。
 そして、大学の運動部は推薦入学でサッカー部などは20数人ぐらいの規模でそれ以上は入部させないシステムになっていて、合理的だし、
 そんなサッカー部だが単位が取れないと卒業が出来ないので、
 所謂『大学』としても、日本のようにスポーツだけだと卒業できない仕組みになっている。

 
★ 成人式もそうだが、『日本の独特の仕組み』はいいところもあるが、
 世界の常識からみると、ちょっと変わっている。

 コロナで会社のあり方も少しは変わるようだし、
 日本独特のシステムも、世界に通用する方向に変わって行くべきかなと思ったりする。

 こんな有名校のレギュラー選手は兎も角、
 応援団のようなことで卒業する部員たちの将来はどんなことになっていくのだろう?

 
  



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ファン心理?

2021-01-11 07:27:04 | 私の生き方、考え方&意見

★ 日曜日、高校女子サッカー大会の決勝戦がテレビであった。
 
 藤枝順心と作陽高校だったが、別にどちらとも関係はないのだが、
 何となく『藤枝順心』を応援してたから不思議である。

 結果は3-0で『藤枝順心の全国優勝2連覇』という結果になった。
 この決勝戦は神戸のスタジアムで行われたのだが、

 この大会は今年1月3日、4日から
 いつもトレーニングに行っている三木総合防災公園のサッカー場でスタートした。
たまたま動画に撮っていたのだが、この画面に藤枝順心高のこんな横幕が映っていたのである。

 


 ただ通りかかった時に、試合の前の練習が始まっていたので、
 カメラを向けただけのことなのである。
 そこが昨年の優勝校などとは全く知らなかった。


  
 

 ただそれだけのことなのだが、
 新聞で『藤枝順心と作陽高校』の対戦だということを見て、
 この横幕を思い出したのである。

 そのほかにもこんな場面を撮っているのだが、
 そこにも横幕がぼんやりと写っている。
 



 あの横幕の印象が残っていて、テレビでも応援していたのである。


★大相撲の初場所が始まった。

 特に応援する力士などは居なかったのだが、この数場所は『貴敬勝』を応援している。
 二輪で関係のある『青木隆さん』に聞いたのだが、
 お父さんがカワサキのバイクにお乗りだという。

 ただそれだけのことだが、何となく応援をしている。


             
 


★ 私自身は『熱烈なファン』などにはなれない性格かなと思っている。

  『阪神ファン』などのあの熱烈ぶりが不思議でならない。
  それでも何となく『タイガースは好き』といったレベルなのである。

        プロ野球選手で言えば、あの金田正一のファンだった。
  彼は昭和8年生まれで私と同年齢なのだが、
  私が高校2年生の時には既に国鉄スワローズに入団していた新人選手だった。

  昭和25年(1950)、私が高校2年生の時に、
 甲子園の『阪神ー国鉄戦の家族優待券』を当時国鉄の総監督であった
 伯父の楠見幸信に頼んだのだが、
 『甲子園の窓口で聞いてもらうと解るようにしておく』ということで
 そうしたら、
 滅茶背の高い選手が、『楠見さんからです』と券を届けてくれたのである。

   

 
 それがその年入団したばかりの新人選手『金田正一』さんだった。
 その時は知る由もなかったのだが、あの背の高さと風貌は
 間違いなく『金田正一さん』だったのである。

 その後は皆さん、ご承知のような活躍をつづけた『金田正一』さんだが、
 それ以来は一度もお会いしたことなどないのだが、
 ずっと応援してたのは間違いない。


★ そんな 私の経験から言うと
 『ファン心理』などはひょんなことから、始まるのだと思っている。

  ほかにも何人か、『ファンと言える方』はいるのだが、
 みんな『何かのきっかけ』みたいなものがある。 

 ただ、どうしても『熱烈な・・』というレベルにならないのは、
 私自身の性格かな?と思うのだが、
 『熱烈なファン』になれる人の方が『普通なのか?そうでないのか?
 そんなことに関心がある私なのである。


 
 
  
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春は確実にやってくる

2021-01-10 07:25:35 | 発想$感想

★1月9日、10時になっても池の氷が解けない寒い土曜日だった。


  



 寒かったが、いつもの通り三木総合防災公園に走りに行った。

 
 こんな寒い中でも園内の梅林の蕾は膨らみかけている。




      
       

   

       既に花が開きかけているのもあった。
  『春は確実にやってくる』のである。

  



  梅林あたりは、いつもの通り人影もないが、


  


   
 こちらの方では三木の小学生の駅伝大会をやっていて、
 珍しく人がいっぱいだった。




     こんな私がいつも走っている1周コースを、
 小学生の早い子は『4分台』で平均は『5分台』で走っていた。

     



★ 因みに、私のスロージョッギングでは18分ほど掛かるのである。

 そんな環境の中だったが、寒かったので汗の出るまで走ったら、
 1時間以上走って、走行距離7.5キロ、1万歩をちょっと超えた。
 

  


 ★世の中『コロナ』で大変だが、

  何とか健康的な毎日が過ごせていると思っている。

 
 
 
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明石公園   雑感

2021-01-09 08:20:14 | 発想$感想

★ 明石は生まれ故郷である。
  
  戦後、中学1年から結婚するまで上の丸に住んでいて、
  明石公園はよく散歩したので懐かしい。

 昨日は明石に行ったついでに久しぶりに公園を歩いて、動画を撮ってきた。

 明石駅の横からの景観である。


  
   



 新しい公園と違って樹が大きい。
 樹齢何百年というのもあるだろう。
 こんな大きな切り株から沢山の枝が出ていた。


  
  



  戦前はこんな背の高い松の木があったのだが、
  空襲で焼けてしまって今はない。

 



 空襲と言えば、明石市民はここは安全だと思って、
 沢山の市民が明石公園に避難したのに、
 その公園に爆弾・焼夷弾が落ちて沢山の方が亡くなったという。

 これは戦前から西明石に川崎航空機の工場があったので、
 明石も爆撃にあったのである。
 間違いなく工場を狙ったはずだが、ちょっと離れた明石公園になぜ?と思う。
 
 この堀の隣に本家があったのだが、
 爆撃で焼失したし、この堀は死体がでいっぱい浮んだという。
 そんな悲しい想い出もある。

 

  

★ こんな動画に纏めた。
 1分ほどだから、是非ご覧になって下さい



 ● 高校時代の野球の練習は明石公園でやることが多かった。
  まさに、私の青春がそこにあった。
  戦前・戦後は読売巨人軍が春のキャンプを張った球場でもある。
  王・長嶋の入団当時もそうだった。

  

  
 
 この坂道を下って野球場に通ったものである。


 



 天守閣はないがお城の上からの眺めはいい。
 明石市内も天文台、明石大橋も淡路島も一望できる。





 
 城の北側にある剛の池には水鳥がいっぱいだった。
 ここは全く水など替えていないから、魚などの餌が豊富なのだと思う。
 昨日はいなかったが、魚に餌をやる人もいて、魚が群がることもある。  

 冬なので鴨などもいっぱいいたが、
 白い鳥は間違いなく『カモメ』なのである。
 カモメは海の鳥かと思ったら、いつの頃からか『カモメ』がいっぱいなのである。







 


 昔歩いた懐かしい道を歩いてきた。

 今度はいつ明石公園に来れるのだろう?



★昨日は行かなかったが、ここが私が生まれた場所である。
 公園側から見ているが、ホントに公園に隣接していたのである。
 
 



 
 

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そうか、そんな生き方もあったのか!  その5

2021-01-08 06:49:11 | 私の生き方、考え方&意見

★ 今年の目標のプロジェクトの一つに『仲俊二郎読書友の会』がある。

 昨年の暮れに県立兵庫大学の名誉教授の小西一彦先生から
 突然のお誘いがあって、このプロジェクトはスタートしたのである。

 私は頼まれごとを断った経験は殆どない。
何事も『ご縁』だし頼まれるということは『期待されてる』ということだから、
結構ちゃんと取り組むことにしている。

 昨年暮れに小西先生がFacebookに『仲俊二郎読書友の会』を立ち上げられたのだが、順調に育っていま93人のメンバーが参加されている。

 私も小西先生もネットについては疎いので
 昨年末から登山道夫さんにも管理者になって頂いた。


   

  
このグループの『設定』など発展する方向に改定するように思っているが、
最初の設定から1ヶ月は触れないようなので、愈々今年から再スタートである。

 今の会員さんは小西先生と私がご招待したものだが、
 管理者以外の方も『招待できる』ような設定にして、
 今の94人を1000人ぐらいの規模になれば、オモシロいかなと思っている。


    今でもメンバーの方から、このような投稿があって活発なのだが、
 さらに多くの方からの投稿を期待したい。

  


    




★ このプロジェクトがスタートしたきっかけは、
 ネットで本が読めるようになったりして、
 なかなか本の販売がムツカシイ世の中のようである。

 そんな中での『本の販促活動』の一環なのだが
 著者の『仲俊二郎』さんもメンバーに入っておられて、
 こんなコメントが戻ってきたりする。

  


 

  本の著者と直接会話ができると言うことは
  『これはなかなかオモシロい
  Facebook の『友の会』なるがゆえに可能なのである。


★ 今のメンバーさんは私のご招待した方が多いので、バイクファンが多いのだが、
 仲俊二郎さんは、元々川崎重工業におられて『カワサキ』にも関心おありなのである。
 先日もこんな私の旧いブログを検索されて、この会にアップされていた。
    作家の方にこのように言われると嬉しい。

    
     
   

  そのブログは旧いのだが
  川崎重工業の大庭社長のことを書いた、こんなブログなのである。

  

 
   今年は未だ始まったばかりだが、
 このプロジェクトがどんな進展を図るのか、
 非常に関心を持ってその推移を見守っていきたいと思っている。


 
 
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三木山森林公園を歩いてきた

2021-01-07 07:30:24 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年ももう6日になった。
 今年初めてジムに行き、トレーニング、
 そのあと、隣の三木山森林公園をスロージョッギングしてきた。

 動画も撮ってきたし、写真は動画の中から切り取ったものである。
 動画さえとっておけば、写真は幾らでも切り取れるから便利である。
 ネットの世界、今年の進歩である。

 
 



 まずは動画でご覧ください。
 4kmのコースを約1分の動画に纏めている。



 ざっとこんな感じだが、約4キロの山道を50分ほど掛った。
 約6000歩、消費カロリーは1000を超えたから、いい運動になった。


   


 広大な三木山森林公園の散歩道の一部だということお解り頂けると思う。

  



★ 駐車場に車を置いてまずここからスタート。
 



 上の池からこんな芝生広場の横を通って、




 下の池の周りから山道に入る。





     登りも下りもあって、結構きつい。




 歩いている人にもであったりもする。




 
そして上の芝生広場にでて、



 坂を下れば



 
駐車場に戻ってくる。



 
 
 


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7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略   その3

2021-01-06 06:46:04 | 自分史

★『7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略 その3』は、
 当時の広報活動私自身の経営に対する考え方である。

 当時の広告宣伝課を担当していたのが小林茂くんである。

    
    
 『彼の講演会での話』はこんなことからスタートしている。



  


  いきなり『ヌードの写真』だが、
  『男カワサキ』などの固いイメージを払拭する様な
  『新しいカワサキのイメージ創造』がこの時期の広告では続いている。

  私自身は若い頃、広告宣伝課長なども経験しているのだが、
  この時期、小林君に任せきりで具体的な指示など出したことはない。
  彼の発想で自由な広報活動が続いているのである。

  『経営の方向』は確りとグループ全体に徹底はするのだが、
  その細部は全て『部下に任す』のが『私のやり方』なのである。
  
  『権限とは、その人に与えられた「誤りの量」である』
   その『誤りの量』の範囲なら一切口は挟まないのである。

   当時は小林君も課長と言っても多分40歳前後の若さだったと思うが、
   結構自由に思い切ってやっていたと思う。


         業界の申し合わせで『スピード』などを直接訴えることはペケなのだが
  上手に『たまよりも早く』と猫を使ってすり抜けている。



        
   
  
 このように、小林君独特のユニークなトークが続いている。


   



★ この時期のグループ全体の狙いと考え方を次のように纏めている。

  それは7万台の目標達成のためには
  『新しいカワサキのイメージ創造』がMUSTだと思っていて、

  そのための対策方針としては
  ● 時流にのっていること
  ● 他社との差別化(追随を許さないレベルを狙う)
  ● 話題性
  ● ネットワーク
  ● 末端ユーザーとのダイレクトコミユニケーション
  などを挙げている。

     


 当時の広報活動もその線に沿ったものになっているのである。

 折角の機会だから30年前の小林茂くんの話っぷりを
 ご紹介しておこう。

  

  



 ★この講演会の最後は私が纏めているのだが、
 いろいろ話している中で、
『私独特のバランスシート』の部分をご紹介することにしたい。

 それはこんな形のバランスシートなのである。

  


  特に販売会社のバランスシートは『ソフト分野』が最も重要で、
  その『ソフト』は高質人材によってのみ創造される。
  従って『人材の育成』こそが最も重要だと思っている。

  それをこのように話している。


  
  
  このバランスシートは、私の部長研修会の時に私が発表したもので、
  その時出席されていた財務担当重役からお褒めの言葉を頂いたので、
  それ以来、社内でも使っているもので、
  当時のカワ販は日本では珍しい無借金経営の超優良企業になっていた。
  400億円の売り上げを総資産100億円で回していたので、
  年4回転もしたのである。
  日本の経営ではどちらかというと量の拡大・売上高に注目されるのだが、
  そんな対応からは『いい人材』は育たない。

 この講演会でも3人のスピーカーに何の打ち合わせもなく喋らしたのも、
 『人材育成のいいチャンス』だと思っているからなのである。

 『7万台への挑戦の時代』1990年代は
 カワサキ50年のカワサキ二輪事業の中で国内販売の最高の時代であった。
 ホンダ・スズキ・ヤマハの方とも非常に懇意にして頂いたし、
 親しくして頂いたホンダの方から年賀状で、
 『カワサキに10年遅れた』と言って頂いたりしたのである。
 
 業界でも『1強3弱』と冗談で言って頂いたりしたが、
 ホンダさんの青山で、二輪業界全体のユーザー対策として
 『カワサキのKAZEの状況』を隠さずすべてお話などしたのも、
 『二輪業界の発展』こそが最も重要な課題だと思ったからなのである。


 
 
 
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2021年を迎えて

2021-01-05 06:36:41 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年の『三が日』も終わって『仕事はじめ』である。

 菅総理の年頭会見もあったが、もう一つ迫力に欠けたように思った。

 
 今年は私は米寿で88歳を迎えるし、家内は干支の丑年で84歳になる。

 私自身の今年のご挨拶をFacebookにアップしたら、
 200人を超す方が訪れて、130人もの方から
 年頭のご挨拶を頂いてびっくりした。

 


  この200人以上の方で、現役時代から知ってる方は21人で、
  殆どの方が定年後、いろんな形で繋がった方なのである。

  そういう意味では、私の定年後の生活も結構意味のあるものだったと言っていい。
  年賀状を出さなくなってもう何年もにもなるのだが、
  未だに沢山の賀状を頂く。
  毛筆でのこんな達筆の賀状は仙台時代からの仲間・石塚鎰司くんである。

        


★そんな今年のお正月も昨日新神戸駅に孫・門野力也を送って終わりである。
 暮れの29日から1週間、
 家内も私と二人だけの生活と違ってちょっと張りがあったと思うが、
 『疲れが出ませんように』と祈るばかりである。

        






★ さて、この2021年をどのように過ごすべきなのか?
 コロナは今年中に終焉を迎えるのだろうか?
 2月末からは『ワクチン』も出るようだから、
 オリンピックの頃には何とか納まっていることを願うものである。

● 今年1年『体力の低下』がないようにトレーニングを続けることである。
  これは昨年同様『ジムと公園でのトレーニング併用』で頑張りたい。
● 20歳の時からだから68年続いている日記は、
  今年が5年目だから秋には新しい日記帳を買わねばならない。

               

    
 日記帳は1年・3年・5年連続と形を変えたが、
 多分、最後になると思うので、
 思い切って10年連続にしようかなと思っている。

     

 
● 時間はいっぱいあるから『庭仕事』にも精を出したい。
 庭木やバラは、その努力には正直に応えてくれるものである。

● それでも時間があれば、『パンダ碁』を楽しみたい。
 20年前は初段からスタートしたのに、この数年は最高1級、
 ダメなときは3級まで落ちたりする。
   

 アタマの体操にはなるのだが、最近は勘で打っていて、
 『ヨム』のがしんどくなったのは、やはり歳かなと思う。
 できれば、もう一度頑張ってみたい。



★ ほんとにこの1年、どんな年になるのだろうか?

 なかなか予想がムツカシイ1年になりそうだが、
 去年が、去年だっただけに輝かしい1年になる可能性はある。
 オリンピックも無事開催されて欲しいし、
 希望は大きく持って、日々を過ごしたいものである。

    年末には、アメリカの孫などやってくることを期待したい。



 
 
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焼肉 こさる

2021-01-04 07:10:11 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 三木にある『焼き肉 こさる
 我が家にやってくる鎌倉の息子や孫、
 アメリカの娘家族の孫たちにも人気の店である。


   
 
 
 この年末・年始にやってきた娘の方の孫の門野力也私たち夫婦3人で、
 今年初めての焼き肉を食いに行ってきた。

 どんな肉をどれくらい食ったか、『ご覧あれ




 新年早々、結構食った。

 注文をしたのも、肉を焼いたのも力也である。
 鎌倉の焼き肉店でアルバイトの経験があるので、『いっぱしの通』である。


   

 
 旨かった。
 これで幾らだと思います?
 都会に比べたら、結構安い。

 オーナーが『肉屋さん』だからかな?


 動画もブログにアップできて、これも大満足である。


 

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昨日の1月2日は・・・

2021-01-03 06:37:36 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ 1月2日は実は『父の命日』なのである。
 何年か病で臥せていたのだが、私の高校3年の1月2日に亡くなった。

 若し、もう少し父が生きていたら、私は大学など行かずに就職してただろう。
 こんな時期に亡くなったので、
 伯父が『もう金は要らなくなったから、大学に行け』というので、
 それから試験勉強を始めたのである。
 父は『私を大学に行かすために』こんな日に亡くなったのではと思ったりしている。
 そんなこともあって、毎年新春には墓参りをすることにしている。


  明石の長寿院は明石城主松平家の菩提寺である。

    

 
 昨日は久しぶりに『お殿様の墓』も参ってきた。
 一般の墓地とは別に、松平家歴代のお墓がある。

   
  

 
 これがお殿様のお墓である。
 
  


  戒名は院号の『九文字』で『居士』がつけば立派だなどと言うが、
  お殿様の戒名の字数は27文字もあって『大居士』で終わっている。
  

  


  松平家の方々のお墓が並んでいる。

  



★ 午後からは、朝は明石に行って行けなかったので、
  三木総合防災公園に走りに行った。

  娘の方の孫の長男の門野力也が来てたので一緒に行った。
  彼はなぜか長距離走も得意だし、ネットや数学などが得意というか、
  頭がよくて、弟たちもそれには一目置いている。

  久しぶりに一緒に行ったので、私の走るところを動画に撮ってもらった。
  それは直ぐ、Facebook にアップしたので、ご覧になった方も多いと思うが、
  このブログにその動画を貼り付ける方法が解らないのである。
  それを力也に『どうするのか?』と聞いてみたら、
  いろいろページを観ていたが、すぐに出来たのである。

  私は、その辺りが一番弱いところで、教えて貰っても直ぐ忘れるし、
  なぜそんなことが、あちこち見てたらすぐ解るのかが不思議である。

  ただ、力也の『教え方』は丁寧とは言い難いので、
  余計に解らないので、以下のように文字にして貰った。


   
1. ニコニコ動画にログインして動画を投稿
2. 貼り付けたい動画のある投稿の右上にある「く」みたいなマークをクリック
3. 「コードをコピーする」をクリック
     
   ここまでは『ニコニコ動画』
  以下はgooブログ

4. 記事編集の下の方にあるブログパーツをクリック
5. 3でコピーしたコードを貼り付けて挿入をクリック 

  

 これでホントに動画が貼り付けられているのである。
 1分の動画に纏めてるので、是非ご覧になって下さい。
今年88歳の米寿を迎える『年寄りとは思えない走り』だと思います。


 かってYouTubeのときは、これも力也に教えて貰って、
 動画の貼り付けも出来てたのだが、
 You Tubeがなぜか止められてしまって、
ニコニコ動画』になってからは、その方法ではダメだったのである。


 力也のようなのが横にいると、私のネット力もさらに上がると思うのだが、
 周囲に解る人がいない環境では、『出来ることしかできない』のである。
 彼はなぜか、ネットにアップされたりするのは嫌いなのである。

 『マスクをはずしたら』と言っても、
 『そのままでいい』とはずさないのである。

  

 
 だから、滅多に私のブログにも登場しないのだが、
 今は独り日本にいての会社勤めだから、
 年末年始私が無理に呼び寄せたのである。

 それもあと1日、4日には戻ってしまう。


★4人いる孫の中でも『力也』はなぜか、家内のお気に入りである。

 暮れに力也が来てから、一度の我が家の家計は贅沢になった?
 甘いものが好きな力也、
 こんな菓子を、ちゃんと迎えに行った新神戸駅で買ってきている。

  


 多分今日は昼は『こさる』の焼き肉に行くのだろう。
 力也は肉にも『目がない』のである。

 教えて貰った動画に撮って、明日にでもアップすることにする。
 教えて貰ったことは、身に付くまで数多く『やってみる』ことが大事である。
 その辺は、私の特技の一つである。

 『こさるの焼き肉』などの動画を撮って、FBにアップしたら
 アメリカの弟たち、どんな反応を示すのだろう?

 肉はいっぱいあるアメリカだが『日本の焼き肉』はまた格別のようである。

 
 
 
 


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