09年桜(8) 仁和寺(2) 2009年04月16日 | 09年桜 続けて仁和寺です。 このお寺のことについてもいろいろ書きたい思いもあるのですが、歴史についてはともかく、 桜について、そして現在の仁和寺については画像に語らせることにしましょう。
09年桜(7) 仁和寺(1) 2009年04月16日 | 09年桜 仁和寺は花園、双が丘の北に位置し、大内山の南麓にあります。阿弥陀三尊を 本尊とする真言宗御室派の総本山で、御室御所や仁和寺門跡とも呼ばれます。 第58代光孝天皇の御願寺として886年に起工され、887年に完成しました。 始めての門跡寺院として知られています。 御室という地名は、仁和寺一世の宇多法皇が仁和寺の内に御座所(室)を建てた事から 御室御所と呼ばれ、その後、付近は御室という地名になりました。904年のことです。 以来、仁和寺は代々、皇族が住持してきました。鳥羽天皇と待賢門院の五男である 覚性法親王は7歳の時に仁和寺に入り、1153年に第五世として住持しています。 1156年に保元の乱が起こり、敗れた崇徳上皇は弟の覚性法親王のいる仁和寺に 入りました。その時に西行は仁和寺に駈けつけています。 この頃の仁和寺の寺地は広く、二里四方の寺地に100ほどの子院があったと伝えられて います。菩提院はもちろん、法金剛院や遍照寺も仁和寺の子院でした。 1119年と1153年に火災により大きな打撃を受けています。応仁の乱では山名氏に よって、ほぼ焼き尽くされてしまいした。 本格的な復興は、徳川家光の援助により1646年に成されました。ニ王門(仁和寺の場合は 「仁王門」と表記しません)や五重の塔はこの時のものです。 1887年(明治20年)にも大火。1913年(大正2年)に、現在の仁和寺となりました。 仁和寺には有名な御室桜があります。お多福桜とも呼ばれています。 初めの画像は鳥羽天皇中宮の待賢門院花園陵。彼女のお寺である 法金剛院の北側にあります。 二枚目は二王門からみた境内。三枚目は勅使門。 五枚目の黄緑色の桜は「御衣黄桜」と呼ばれています。