16.02.03節分
節分の日の2月3日、思い立って節分行事を見に行ってきました。
コースは以下。歩いたりバスに乗ったりしてで、当日の歩行数は約23000歩。
自宅→壬生寺→梛神社→梨木神社→吉田神社→狸谷山不動院→
八大神社→詩仙堂→八坂神社→花見小路→自宅
このうち、赤字の寺社は節分行事はありません。
◎壬生寺
節分の日はいつ行っても人がたくさんいます。細い通りに屋台も人もひしめき合っています。
「炮烙=ほうらく」というのがあり、それに願い事を書いて奉納します。それらは全て4月に
なれば割られてしまいます。
「壬生狂言」で有名でもあり、かつ、幕末に「ミブロー」として、京都の人たちから嫌われぬいていた
新選組の屯所のあった八木家の隣としても有名です。近藤勇の像などもあります。
梛神社は壬生寺の近くにあります。
◎梨木神社
130年ほど前に創建された新しい神社です。
萩の寺としても有名ですが、当日はひっそりとしていました。
幕末、明治初期の公家、三条実方・実美を祀っています。梨木神社の「染井」は京都三大名水の一つだと言われます。
梨木神社のほんの少し西側、御所の清和門の近くに藤原義房の「染殿」がありました。清和天皇や陽成天皇は
「染殿」で生まれたと言います。在原業平との艶聞があったらしい藤原高子が陽成天皇の母親です。
梨木神社の「染井」と染殿址の「染殿井」とは少し位置がずれます。しかし梨木神社も平安時代当時の
「染殿」の屋敷のうちに入るものと思います。しかし「染井」と「染殿井」の関係はよくわからないままです。
◎廬山寺
廬山寺はもともとは北区にあったらしいのですが、現在地に移されたのは豊臣秀吉によってということです。
たまたま紫式部の住んだことのある土地で、それだけで紫式部との関係を強調されているきらいもありますが、
多くの文化財があることを知られても良いと思います。
画像は「鬼法楽」に使われる鬼のぬいぐるみ。まだ鬼役の人が中に入っていません。
◎吉田神社
蘆山寺から歩いて吉田神社まで。道すがら、パールアカシアを撮影。
吉田神社は藤原氏開基の神社です。ここに卜部氏が大元宮を創始したことにより、崇敬を集めてきました。
ただ残念なのは節分の行事はほぼ2月2日に終わってしまうことです。でも3日でもたくさんの露店が並び、
人も蝟集していました。
吉田神社から東大路通りまで歩き、バスで北白川まで。北白川通りのバス停から狸谷山不動院まで歩きです。
結構きつい坂道と250段の石段が待ち構えています。ここまで来れば山の中という感じです。
なんでも平安京の鬼門を守るために桓武天皇の勅願による造営とのことです。
狸の置物がたくさんあります。
ここで初めて豆まきに遭遇しました。14時半からとのことでしたが本堂内で法要が済んでからになり、
実際に豆まきが行われたのは15時を回ってからです。
ここでは本堂内の人が土足で歩く部分に5人ほどの人たちが撒いていました。豆と言っても落花生でした。
私が拾ったのは落花生と飴玉。景品番号の入った袋を拾った人たちは景品と交換していました。
◎八大神社
江戸時代初期の剣豪「宮本武蔵」を祀っています。小さな社です。
◎詩仙堂
江戸時代の文人「石川丈山」の隠棲地です。ここは私には特別のなじみがあります。
21歳ころになぜかここにたびたび来ていました。当時の記録がないので、頻度については正確なことは
言えませんが1ヶ月に一度以上は来ていたものと思います。
小さな堂宇ですし、庭も広いわけではなく、何をしていたかというと、じっと座っての瞑想や読書で
長時間を過ごしていたように記憶しています。
17時近くにもなっていて、詩仙堂を辞しバス停まで。神宮道に下車して青蓮院・知恩院・円山公園と過ぎて
八坂神社に着いてみると、すでに節分のイベントは終了したらしく、関係者が片づけをしていました。
人々も帰路についているようで、私も通り過ぎただけになりました。
以下は八坂神社の灯篭。そして帰り道の花見小路の風景です。
来年は平安神宮だけに行こうかと今から思案しています。