おかずブログ

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近場で撮影した植物などがメインとなります。

姨捨

2008年09月19日 | 信州旅行

姨捨
9月13日(土)
自宅(6.40)→向日町駅→名古屋駅→塩尻駅→下諏訪駅(11.20)。
下諏訪駅(13.52)→松本駅(14.23)。松本駅(16.34)→姨捨駅(17.15)。
姨捨駅(19.21)→長野駅(19.49)。ナガノアベニューホテル投宿。

9月14日(日)
ホテル(8.00)→善光寺→長野駅(10.06)→川中島駅。
篠ノ井駅(13.08)→木曽福島駅(14.32)。木曽福島駅(17.30)→名古屋駅→
京都駅→向日町駅→帰着(21.00)前。

姥捨着17.15.少し暗くなりかけています。雨がポツリポツリと降っています。
13日、十四夜の月を待ったのですが、月はついに現れませんでした。
棚田はそこそこに風情が感じられますし、また夜景もすばらしいものでした。

大和物語(950年頃)、今昔物語集(1060年頃)にほぼ同じ内容の姨捨伝説があります。
それまでのこの地方の古称は「小初瀬」がなまって「オバステ」と呼ばれていたようです。
「姨捨」の文字が当てられたのは両物語が広まってからだろうと言われます。

上の物語では、実母のように仲良く暮らしていた伯母が年を重ねて身体も弱り腰も
曲がったので、甥は意地の悪い妻にそそのかされて伯母を姥捨山に棄てて来るという話です。
伯母を山に棄てては来たけれども、姥捨山を照らす月が明るく見事でもあり、気になって終夜
寝ることができず、悲しく、恋しく思えて、再度、山に登って伯母を連れて帰るという説話です。

生活に困窮した果てに生活能力の衰えた高齢者を棄てるという棄老伝説は各地にあった
ようです。柳田國男も遠野物語で棄老の風習を紹介しています。
棄老ではないのですが、生まれたばかりの子供、幼い子供を間引く(殺すこと)ということも、
これまでの長い歴史の中では盛んに行われていたのが実情ですし、
いずれにしても悲しい事実に違いありません。

この姥捨ての地はまた「田ごとの月」で有名です。水を張った棚田に月の写る状態を言いますが、
棚田が形成されたのは江戸時代と見られています。

JR姥捨駅は標高547メートルにあり、そこから見下ろす一帯は、上杉謙信と武田信玄が
戦った「川中島の戦い」の場所でもあります。
下は西行の歌です。

 あらはさぬ我が心をぞうらむべき月やはうときをばすての山
          (岩波文庫山家集84P秋歌・西行上人集・
                 新勅撰集・御裳濯河歌合)

 天雲のはるるみ空の月かげに恨なぐさむをばすての山
          (岩波文庫山家集219P釈教歌・新潮886番・
                 西行上人集・山家心中集)

 くまもなき月のひかりをながむればまづ姨捨の山ぞ恋しき
           (岩波文庫山家集81P秋歌・新潮375番)

現在、姨捨駅は無人駅となっています。棚田はイネが実って黄金色ですが、しかしながら、
こんな所にまで民家が建てられていて無粋もいいところです。せっかくの名所が台無しです。
ひどい話です。なんとか行政がこれ以上にひどくならないようにして欲しいものと切望します。



















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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
姥捨 (カズ)
2008-09-20 22:20:39
はなさん。
今晩は。コメントありがとうございました。
そうでしたか。行かれたことがあるのですね。
名月の頃は田には稲穂が実っているのでいいですよね。また夜景もすこぶるきれいです。
得がたい光景のように思いました。
それだけに数軒の民家があるのは残念でした。とはいえ仕方のないものでしようね。

私も時間があれば長楽寺までと思っていたのですが断念しました。駆け足旅行ではいたし方無いものですが、行っただけでも良しとしています。
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Unknown (はな)
2008-09-20 15:21:07
紀行文と画像を見て3,4年前の9月の下旬に姨捨山へ行ったことを思い出しました。カズさんが見られた小判色の棚田や曲がりくねった千曲川を眼下に収めたその美しい風景に感激しました。長楽寺には芭蕉の句碑もあり、大きなすすきが穂をゆらしていたのを記憶しています。また峠から見た善光寺平もすばらしかったです。今は乗物で行ってしまいますが西行の時代は徒歩ですから大変だったでしょうね。画像とてもきれいです。
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