大覚寺の紅葉(1)
以下は11月29日に撮影したものです。
大覚寺は真言宗大覚寺派の総本山です。仁和寺と並び第一級の門跡寺院。
第50代桓武天皇の子で52代嵯峨天皇の皇子時代に山荘として造営され、後に離宮として
利用されたために嵯峨御所ともいわれます。嵯峨天皇は834年から842年まで
檀林皇后(橘嘉智子)と、ここで過ごしています。
後にお寺となり、後宇多法皇はここで院政を行っています。
また、1392年の南北朝の講和はこの寺で行われました。
庭湖としての大沢の池があります。庭は百済川成の作庭と伝えられ、境内北方に
「名古曽の滝」跡があります。観月の名所です。
大沢の池の島に咲いていた菊は嵯峨菊と呼ばれていて、この花をもとに
しての生け花の嵯峨御流が生まれました。
上から嵯峨菊。「左近の梅」は、桜に変わるまでは梅が左近の植物でした。
その下は庭園の紅葉と大沢の池です。
以下は11月29日に撮影したものです。
大覚寺は真言宗大覚寺派の総本山です。仁和寺と並び第一級の門跡寺院。
第50代桓武天皇の子で52代嵯峨天皇の皇子時代に山荘として造営され、後に離宮として
利用されたために嵯峨御所ともいわれます。嵯峨天皇は834年から842年まで
檀林皇后(橘嘉智子)と、ここで過ごしています。
後にお寺となり、後宇多法皇はここで院政を行っています。
また、1392年の南北朝の講和はこの寺で行われました。
庭湖としての大沢の池があります。庭は百済川成の作庭と伝えられ、境内北方に
「名古曽の滝」跡があります。観月の名所です。
大沢の池の島に咲いていた菊は嵯峨菊と呼ばれていて、この花をもとに
しての生け花の嵯峨御流が生まれました。
上から嵯峨菊。「左近の梅」は、桜に変わるまでは梅が左近の植物でした。
その下は庭園の紅葉と大沢の池です。
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