車塚古墳・須田家住宅・向日神社
過日、自転車で拙宅の近辺を巡ってみることにしました。一応の目的地は、
車塚古墳、向日神社、乙訓寺・光明寺です。
道は、高槻、嵐山線の、この付近では通称「物集女街道」と呼ばれて
いる道です。江戸期の名称は「西国街道」。
「車塚古墳」
淳和天皇陵と長く信じられていたようですが、発掘調査、研究によって
古墳時代にこの地で勢力のあった豪族のものと比定されています。
「須田家住宅」
須田家は「松葉屋」と号し、醤油の製造販売をしていたようです。向日市競輪場の
近くにあります。1744年の建築と言われます。京都府の文化財であったと思います。
瓦も漆喰壁も新しくなって、古色蒼然とした感じは薄いですね。
向日神社
718年の創建といいますから古社です。古くから地域の方に産土神として
崇められていたものでしょう。狛犬もこの社の歴史の古さを思わせます。
平安時代から六人部(むとべ)さんが神主です。もちろん現在もそうですから、
すごいものですね。
長い参道の奥にある本殿は1422年の建築。「三間社流造」といいます。
なぜか「さざれ石」が5個置かれていました。
実は私が15歳の年に中学を卒業して就職した地は、向日神社のすぐ裏手に
ありました。だからこの神社などは20歳頃までの遊び場でした。
今回、久しぶりに訪ねてみて、やはり、なつかしいものを禁じえませんでした。
過日、自転車で拙宅の近辺を巡ってみることにしました。一応の目的地は、
車塚古墳、向日神社、乙訓寺・光明寺です。
道は、高槻、嵐山線の、この付近では通称「物集女街道」と呼ばれて
いる道です。江戸期の名称は「西国街道」。
「車塚古墳」
淳和天皇陵と長く信じられていたようですが、発掘調査、研究によって
古墳時代にこの地で勢力のあった豪族のものと比定されています。
「須田家住宅」
須田家は「松葉屋」と号し、醤油の製造販売をしていたようです。向日市競輪場の
近くにあります。1744年の建築と言われます。京都府の文化財であったと思います。
瓦も漆喰壁も新しくなって、古色蒼然とした感じは薄いですね。
向日神社
718年の創建といいますから古社です。古くから地域の方に産土神として
崇められていたものでしょう。狛犬もこの社の歴史の古さを思わせます。
平安時代から六人部(むとべ)さんが神主です。もちろん現在もそうですから、
すごいものですね。
長い参道の奥にある本殿は1422年の建築。「三間社流造」といいます。
なぜか「さざれ石」が5個置かれていました。
実は私が15歳の年に中学を卒業して就職した地は、向日神社のすぐ裏手に
ありました。だからこの神社などは20歳頃までの遊び場でした。
今回、久しぶりに訪ねてみて、やはり、なつかしいものを禁じえませんでした。
そのいくつかをここで拝見できました。
延々と続くものっていいものですね。
カズカズさん
とんでもないことですよ。
カズカズさんのほうがずっと素敵な写真です。
私いつも見習うようにしているんですから。
なかなかできなくて悩んでいます。
やはりいいカメラも欲しいです。
しかしテレビを買い換えなくちゃならないから当分あきらめています。
誰ですかねぇ地デジでないと見れなくするのは!プンプン!
もう45年も前からこの辺りに住んでいます。
写真はね、いいカメラがあればどなたでもいい写真は撮れますよ。
1にカメラの性能
2に技術というよりは天気とか構図などの運ですね。
3に技量でしょう。
同じカメラを使ったらmarukoさんなどは私よりは良い画像になると思いますよ。
また見てくださいね。
楽しませていただきました。