1974年12月、ロッテルダムの某所
ギタリスト選考委員会:本日は忙しいところお集まり頂き誠に有難うございます。
さてミック・テイラー氏の後任リードギタリスト選考の件ですが、本日書類選考の結果を報告させて頂きます。
えぇ〜、ベック氏とギャラガー氏は、ギター・テク問題なしですが、どちらかと言えばソロ・アーティストって感じの芸風がバンド内のバランスを崩してしまうとの事で、書類選考の段階で不適当と判断。
また、某メンバーが推していたところのフランプトン氏もビジュアル的にストーンズのイメージにはちょいと違うのではないかと言う事で書類選考通過に到りませんでした。
それでは本日は2名参加で第一回選考実技テスト開催したいと考えます。
また第二回目は後日随時開催ってことで…
それでは張り切ってどうぞ〜!
てなアナウンスがあったかどうかは定かではない。
ストーンズの1976年スタジオアルバム、Black And Blueは 1974年の末から1975年にかけてベース・トラックが録音されその後1975年のツアー後オーバー・ダブを加えて1976年初頭に最終ミックス・ダウンされたようだ。
(メンバーの顔がどアップされていて非常に暑苦しい)
そのレコードのスリーブに印刷されたデータによると、
ロン・ウッドが1974年12月のセッションでCherry Oh Baby、1975年4月にはHey Negritaでエレキ・ギターを披露。
そしてハーヴェイ・マンデルが1975年3月にHot Stuff、さらにMemory Motelでエレキ・ギターを披露。
ウェイン・パーキンスが1975年3月にHand Of FateとMemory Motel(アコースティック・ギターのみ)の演奏に参加、1974年12月にFool To Cryでエレキ・ギターを披露。
1984年に出版されたストーンズ本によると、キースはミック・テイラーに5年間本当に楽しんで演奏できたと感謝の意を表す電報を退団後に送ったそうな。
(全面英文なので必要なところだけ斜め読み、あとは写真鑑賞)
ロックン・ローラーとは言い難いが彼のブルース・ギタリストとしての確かな技術とコンサートでの控えめな演奏スタイルに好感を持っていたのであろうか….
ただ、彼の後任に同様なギター名人をと言う考えはどうもなかったみたいで、今回技量という面では他の候補者よりは劣るかもしれないが、キースと組んで一番やりやすい人選で古くからの知り合いのロン・ウッドがストーンズの正式メンバーに選ばれたのではないかと。
特にコンサートでのFaces仕込みのロン・ウッドの弾けっぷりはストーンズに新たな方向性を見出させた。
折からのパンク・ブームで、もうIt’s Only Rock N Rollだけじゃ立ち行かなくなり、基本的には従来のストーンズではあるがレゲエやジャズ風な楽曲を取り入れ一味違う何らかのアクセントを付けたのがこのBlack And Blue。
黒と青って色彩的にも地味なイメージで、アルバムも一聴したぐらいではこれまた地味と感じるかもしれないが、彼らにとってターニング・ポイントとなった重要なアルバムだと思っている。