1995年に出たストーンズのアルバム、Strippedは肩肘貼ることなく気楽に聴けるアルバムだと思う。
1994年のスタジオ・アルバム、Voodoo Loungeを受けてのライブ・ツアー及びそのツアーで立ち寄ったリスボンと東京でのスタジオ・ライブから収録されていて、特に東京のセッションで録音された5曲(Track 5、7、10、12と14 )はアコギの演奏を主体としていて割と身近にストーンズを感じらる。
1995年に出たストーンズのアルバム、Strippedは肩肘貼ることなく気楽に聴けるアルバムだと思う。
1994年のスタジオ・アルバム、Voodoo Loungeを受けてのライブ・ツアー及びそのツアーで立ち寄ったリスボンと東京でのスタジオ・ライブから収録されていて、特に東京のセッションで録音された5曲(Track 5、7、10、12と14 )はアコギの演奏を主体としていて割と身近にストーンズを感じらる。
本日はストーンズが1969年出したLet It Bleedでも。
当時ちょうどブライアン・ジョーンズがバンドから脱退し、代わりにミック・テーラー加入した過渡期の頃のレコーディングで、今までになくライ・クーダー、ニッキー・ホプキンス、レオン・ラッセル、アル・クーパーら多彩なゲストを迎えている。さらに紅一点のR&Bシンガー、メリー・クレイトンがギミー・シェルターでミックと対等に迫力のあるボーカルを披露しているのも聴きどころの一つ。
参加したゲストの個性をうまく取り込みストーンズのサウンドを完成させた名盤と言える。
ところで何で、Let It Bleed?
イギリスや旧英連邦諸国の一部では12月26日をBoxing Dayと称し、休日になっている。かって教会がボックスに入れたクリスマス・プレゼントを配る日がその由来。またクリスマスの間、労働に従事し休みが取れなかった人達への労いとして休日になったとされている。
てな事で別の意味として使われる格闘技のBoxingで相手の鼻先にパンチを当ててLet It Bleedって洒落てみたんですが…
むむ〜 イマイチね。
ビートルズって誰が作詞・作曲、誰がリード・ボーカルって具合にバンド内では序列を感じさせるけど、レコードを収納するジャケのデザインでは割と4人平等ってイメージが…
ストーンズの場合は5人一緒に表紙を飾る写真が使用される場合もあるが、アルバムによってはミックにキースとゆかいな仲間たちって感じのアルバム・デザインも。
1973年のGoats Head Soup
1976年のBlack And Blue
1981年のTatto Youなんかがそれに当たる。
まあ、ほとんどの曲がジャガー・リチャードだし、フロント・ラインに仁王立ちのミックがボーカルほぼ独占って感じだから仕方ないのかな?
と思いきや、ありました! チャーリーさん主役のやつが。
1970年のライブ盤、Get Yar Ya-Ya’s Out!、チャーリーとゆかいな仲間。
ストーンズの初期のレコードってビートルズと同じで発売国によってジャケのデザインや収録曲が少し異なっていた。
日本では発売当時は独自のジャケ・デザインを使い、米盤準拠したLondonレーベルからの発売だったが、曲順が違っていたり。
その後遅れてデッカ編集の英盤も登場し、一体何が何やら…
アーティスト・サイドとしては、彼らの意向を無視してレコード会社主導で行ってきたのにはやっぱり不満を感じていた。
てな事で、ビートルズならペパー軍曹から、ストーンズならサタニック・マジェスティーのアルバムから世界共通のアルバム編集となった。
1970年にレコード会社、デッカ(英)とABKCO-London Record(アメリカ)らとのそれまでのエージェンシー契約が切れ、ようやくストーンズ自身のレーベルが立ち上げる事が出来たものの、彼らは金の卵を産むニワトリをそう簡単には解放してはくれなかった。
1971年自身のレーベルから初のオリジナル・アルバム、スティッキー・フインガーが世に出たところ、既出音源を集めたコンピ・アルバムが続々登場。
特にABKCOが企画した1971年のアメリカ向けコンピ・アルバム、Hot Rocks 1964-1971はよく売れた。
シングル・カットされた曲とアルバムに収録された代表曲からなるストーンズの当時の集大成とも言えるベスト盤となった。なにしろスティッキー・フインガーに収録されていた、Brown SugarやWild Horsesが契約切れ以前に録音されたって事でこのコンピ盤にも登場するサービスぶり。
このコンピ・アルバムの成功に気を良くしたのか翌年に続編、More Hot Rocks(Big His & Fazed Cookies)が登場。
アルバムの副タイトルの如く、第一次選考に漏れたヒット曲とアメリカ人に馴染みの薄いちょっぴりと驚かせるような米アルバム未収録曲や別テイクからなる編集だった。
個人的には、この第一弾と比べてストーンズとしては少々B級さを感じさせる選曲に結構味があって気に入っている。
先日の土曜日に急遽用事で出かけることになり、部屋着のジャージをズボンを履き替えた。
玄関を出て歩いていると何となく締まりが悪いなと思ってズボンを見ると社会の窓100%全開だったので、慌ててジッパーを閉め直した。
そう言えば社会の窓って言葉近頃聞かなくなった。
社会の窓の語源調べてみると、その昔NHKのラジオで”社会の窓”ってな番組があったそうで、何でも社会のさまざまな問題の裏側をレポートする、すなわち普段見えない部分をさらすって事から例の場所が社会の窓と言われるようになったそうな。
時代が進むにつれて、様々な情報が簡単に手に入る時代ではもう社会の窓って言葉も特別ではなくなったって事ですかね。
個人的には社会の窓ってなると思い出すのがこのアルバム。
ストーンズの数多いアルバムの中でも名盤の誉れ高いアルバムの1枚、1971年のSticky Fingersです。
ずっとギクシャクしていたアラン・クレインのABKCOとの専属契約が切れ、ようやくストーンズ・レーベルからの第一弾。
前作のLet It Bleedや前々作のBeggars Banquetも素晴らしい出来のアルバムだっが、自身のレーベルに切り替わった事で忖度なしのフリー・ハンドでアルバムの制作が出来る事となり、いよいよリミッター解除。
アルバムの内容だけでなく、アンディー・ウォーホルを起用しかなり攻めたアルバム・ジャケのデザインもストーンズのらしさ全開だった。
まあらしさ全開はいいけれど、やっぱり社会の窓全開はいつの世も問題ありですね。
着席しているキレイなおねーさんの目の前に、吊り革を持ったおっさんの全開した社会の窓! 考えるだけでも悍ましい。
電車に乗る前に気が付いて、あぁ〜よかった。
1977年の再発アメリカ盤、Brown SugarにBitchとか曲のタイトルも攻めてます。
日本の社会の窓の守りはやっぱりYKK!
秋口に入り朝夕爽やかに感じる今日この頃。
この期に先月の酷暑によって積もり積もったモヤモヤを一気に吹き飛ばすべく、本日はストーンズのライブ盤でも。
ストーンズはこの所、アーカイブと称して古い音源を引っ張り出してかなりの数のライブ盤をオフィシャルで出している。ただ初期の頃となると、ブート盤は存在するもオフィシャル盤は数が少ない。
さらにブライアンがいた頃となれば、1965年の英デッカ発売のEP盤、Got Live If You Want It!か同名のタイトルで中身が異なる1966年の米ロンドン盤のLPぐらい。
本日は米ロンドン盤のGot Live If You Want It!でも。
(2002年リマスターされたSACD盤で聴いてみた)
一般的にはこのアルバム、オーバー・ダブがちょっと目に余ると言われた代物。
収録されている曲のうち2曲はスタジオ録音に観客の音声をオーバー・ダブし、何故かアルバムの締めのSatisfactionの演奏がライブらしからぬフェイド・アウトしていく処理がなされ何とも悲しい結末。
更にこのライブ音源はロイヤル・アルバート・ホールで収録されてはいないときた!
そもそもこのライブ・アルバムは、1966年の年末商戦でストーンズの新譜の弾切れによって、米ロンドン・レーベル(ABKCO)によって急遽企画された代物で、ストーンズのメンバーは当時その発売に反対していたそうな…
そんなことを考えると返ってモヤモヤしてしまう。
2002年のリマスター編集で音質は改善されたものの、元々60年代中頃のライブ録音となるとブート感が漂い音質がすんばらし~と胸を張って言えるものでもない。
ただ若き日のはじけたストーンズを象徴する音源として価値はあると思いたい。
日本盤ジャケのレプリカ、発売当初はロイヤル・アルバート・ホールの実況録音との触れ込みだったが、実際はそうではないとの事
ブライアンがいるライブだからまあいいっか。
とは言えジャケの写真以外からは彼の存在感は感じられない。
いやいや、一曲目の冒頭でMCのメンバー紹介でブライアン・ジョーンズの名が一瞬だけど登場してたっけ。
つい先日、古いスピーカー2本処分するため何ちゃらオフまで車で持っていった。
買取価格がなんと500円とガソリン代も出ない提示に思わずガルルル!と唸るような気分ではあったが、うなぎの寝床のような集合住宅の我が家ではこれ以上置く場所がない。
そろそろ50年以上にも渡る現役コレクターを辞めて断捨離考えないとね。
ところでストーンズも今年でバンド設立60周年を迎えるみたい。
歳をとって以前のようなインタバルで新譜アルバムを出すのは流石に厳しくなってきたが、それでも60年間にも及ぶ過去の遺産がタップリあるから数年おきに編集アルバム出すだけで印税がっぽりウハウハ。
とは言え、初期のABKCO/Deccaと後に設立した自身のRolling Stones Recordsと二つの異なるレーベルが存在し、それぞれが小遣い稼ぎにと編集物をガンガン出していくし、各国編集のベスト盤なんてのもあるからストーンズの場合その数が膨大となる。
その中で一体どれを聴けば満足感が得られるのかと考えると、やっぱり2012年に出たコンピ・アルバム、Grrr!ですかね。
レコード会社も21世紀になると吸収や合併を繰り返しその後大手数社に集約された。ストーンズの場合は最大手のユニバーサル・グループに所属することになり、ABKCO/DeccaとRolling Stones Recordsが同門となりレーベルを超えた編集が可能となった。
2002年に40周年記念のレーベルをベスト盤として40曲収録のForty LIcksが出たが、Grrr!はその上をいく50周年記念としてCD3枚に50曲が収録され、更にスーパー・デラックス盤なるCD4枚組80曲収録なんてのも出た。
(ブライアン時代)
(ミック・テイラー時代)
(ロン・ウッド時代)
(ビル・ワイマンいない時代)
まあストーンズのベスト盤を求める私のような一般庶民なら3枚組の通常盤で十分かな?
今年は今のところライブ盤2種類出るみたいだけれど、60周年記念としてまたまたベスト盤出るのかな?
もうベスト盤はガルルル!が最後でこれ以上は買わないようにしないとね。
チャーリーもいないし...
バンドは既に解散したにも関わらず、十年刻みで結成何十周年と銘打ち何度も同じ音源を紙ジャケ、最新リマスター、禁断のリミックスやその他企画物、さらには様々なメディアを用いて何度も熱烈ファンに商品を買わせるのがビートルズ商法とすれば、ストーンズ商法はさらにその上をいくことになる。
それはバンドを長きにわたって生き永らえさせ、新譜がなくとも既存の曲を収録したライブ盤を出すことによって販売カタログをさらに膨らまさせる手法である。
特に2011年ストーンズは過去にブートで出ていたライブ音源を正規で販売出来るレベルに仕上げ、オフィシャル・ブートレグ・シリーズと称して過去のライブ音源を出し始めた。
その第一弾としてBrussel Affairなるタイトルの1973年のヨーロッパ・ツアーからのライブ音源で、丁度スタジオ・アルバム、Goats Head Soupを出した頃のものがネットのサイトからのダウン・ロード限定で発売され、FLACフォーマットによるハイレゾ音源が珍しく購入をしてみた。
そしてその数ヶ月後、今度はS.E.A.T.(Seventy Eight America Tour)でのライブ盤が発売された。それは78年のライブで、丁度アルバム、Some Girlsが出た頃のライブ音源だった。
ただその当時持ち合わせが無かったので購入しなかったものの、その数年後、某通販サイトで豪華ボックス版が定価の半額以下で投げ売りされていたので話のタネに買ってみた。
それが、このSome Girls(Live In Texas ’78)である。
(曲のタイトルが少々卑猥な響きがあるので、Star Starって変えたのにここでは何故かStarfuckerに戻っている)
2枚組LPにCD、DVDにBlu-Rayと4本立てのセットの豪華版。
78年7月18日、テキサス州のフォート・ワースでのコンサートの音源だった事からLive In Texasと銘打たれた。この会場実は3000人程度収容のストーンズにしてみれば小規模の会場で行われたそうな。数万人も入るようなアリーナでのコンサートとなればバンドと会場が一体になるのは結構難しく、かえって小規模の会場の方が観客全員にしっかり聴いてもらおうとバンドとしても気合も入るのでは…
てな事で久々の彼らのライブ音源楽しんだ。
ただこの後もどんどんライブ盤出てくるのよね。
もうついていけないって感じで、そろそろこの商法も手仕舞いしてもいいんじゃね?
と思いきや、またもや、でっ、でっ、出た~
1977年カナダのトロントにある300席の小さなクラブ、エル・モカンボでのシークレット・ライブ・コンサート!
これって1977年のライブ・アルバム、Love You Liveのサイド−3の音源の拡張版って感じですかね。
まだまだこの商法続くみたい...
英デッカ・米ABKCOと契約が切れ、念願の自身のレーベル、ローリング・ストーンズ・レコードからの第一弾は1971年の作品、Sticky Fingers。
アメリカ南部のルーツ・ロックにストーンズの素を振りかければハイ出来上がり。
やっぱり自身のレーベルから発売出来るとなると余計な圧力もなく自身のペースで仕事ができるのが強みですかね。
このアルバムの素晴らしい出来が彼らに更に大きな自信をもたらしたのだろう。
デッカとの契約で最後にもう一枚シングルを出す事になっていたらしく、その旨デッカから督促を受けると当て付けに放送禁止歌確定とでも言える様な如何わしく感じさせるタイトルのCocksucker Bluesなる曲を渡したとか…
普通中々こうはいかない。
オイラも上から目線で無理難題を言ってくる奴等には一発かましてやりたいけれど…
口から出てくる言葉はやっぱり”喜んで~”かな?
面と向かって言えないならば、やっぱり立ち去り際の音量調節した毒ガス攻撃をかますぐらいですかね。
悔しいです!
その存在は知っていたものの長きに渡り無き物として脳内変換されていたのだが、一昨日本棚に目を向けたところ、一番下の段にひっそり且つどっしりと佇んでいた本に目が留まる。
講談社の“20世紀全記録”なる1300ページ以上の分厚いハード・カバーの豪華本だ。
当時何を思ったのか、確か昭和62年(1987年)に刊行され発売当初の刊行記念特別価格12,000円で発作的に近所の駅前の書店で買ったような記憶が…
副題のChronik 1900-1986は20世紀全記録と称するにはちょっと寸足らずの中途半端さは感じるも中身はしっかりした内容で読み応えがある。
これまで仕事が忙しかったせいで、全く手に取らぬまま本棚の肥やしとして埋もれてしまった次第である。
今回目に留まったのもなんかの縁って事で、再び読み始めることに。
このブログはロック関連の記事が多いので、その辺りのネタを探してページをパラパラと。
オォ~、早速興味深い記事発見!
ストーンズ、エド・サリバン・ショーに出演後、番組ホストのエド・サリバンが“彼らは二度とこの番組には戻れないと約束する。”って言ったそうな。
ブリティシュ・インバージョンなるムーブメントが63年頃から起こり始め、数多くのイギリスのビート・バンドがアメリカ上陸。中でもビートルズのアメリカでの大成功は今でも当時の記録フィルムなどで見ることが出来る。
てな事でストーンズも同様にアメリカ・ツアーを行ったものの、当時アメリカでの大ヒット曲がなくビートルズのような成功は収められなかった。
アメリカでの4枚目のシングル、Time On My Sideが全米6位を記録した事から、アメリカで人気のあるTV番組、エド・サリバン・ショーに出演し一気に知名度を上げる作戦で再びアメリカへ。
エド・サリバン・ショーと言えば50から60年代にかけてミュージシャンを含む様々な話題のアーティストなどを世界中から呼び集め紹介する人気番組で、ビートルズはもとより日本からもザ・ピーナッツやブルーコメッツも出ていたみたい。
そして1964年10月25日にエド・サリバン・ショーに出演し、Time On My Sideが収録された2枚目のアルバム、12x5もその頃発売された。
彼らの目論見通り知名度も上がり成功したものの、ストーンズのイメージとしてある不良っぽさとか身だしなみにおけるルーズさ、更にスタジオに入れた若い観客のカナギリ声などにエドは業を煮やした。そして17年もかけて築いてきた格調の高い彼のショーが一夜にしてぶち壊されたと感じたことから、前述の発言と相成った。
ところがヒット曲をバンバン出してアメリカで売れればどうってことはない。
(1965年7月10日の記事、ストーンズ恐るべし)
かくしてストーンズはその後もエド・サリバン・ショーに節目節目で再登場する事に。
ところで21世紀生まれの若い人の中ではストーンズやビートルズって言っても知らない人の方がたぶん多いだろうと思えるし、この本を買った駅前の本屋さんもかなり以前に跡形もなくなってしまった。
20世紀のそんなこんなの記憶も今後どんどん風化していく運命で少々もの哀しさを感じ得る。
でも、そんなの他の人にはどうでもいいって話ですよね...
ストーンズのチャーリーさんがお亡くなりになられたって事で、遅ればせながらここに謹んで哀悼の意を表します。
子供の時は後何年生き続けるだろうなんて思いもしなかったが、この歳になると人生ってやっぱりいつか終わりが来るものだと実感する今日この頃であります。
ところでチャーリーと言えば寡黙で派手さはないが揺らぎのない正確なドラミングは一癖も二癖もあるフロント・メンバーの手綱を締める大役をしっかり果たしていたと思う。
時は1966年、ビートルズはRevolver、ビーチ・ボーイズはPet Soundsを発表し時代の先端を切り開いていた。
しからばストーンズも、てな事で、1967年に前作Aftermathをさらに進化させるべくを曲作りにも工夫をこらし色々な楽器を取り入れ曲作りたアルバム、Between The Buttonsを発売。
(チャーリーのジャケットの二つのボタンがアルバム・タイトルに、ボタンとボタンの間(Between The Buttons)に隠れたツボに飛び込めばストーンズがより身近に感じられる。)
(チャーリー作ジャケ裏の漫画)
米盤はシングル、Let’s Spend The Night TogetherとRuby Tuesdayを収録したが、通はやっぱりストーンズの制作コンセプトが反映された英盤!
シングルがない分地味に感じるかも知れないけど、チャーリーの存在みたいにじっくり聴けばその魅力がわかるアルバムですかね?
昨年9月にストーンズのアルバム、山羊の頭のスープがリミックスされて再発。
リミックスということで1973年に買ったオリジナルのレコードと比較して見ようと思ったものの、面倒臭くなりしばらくほったらかしにしておいた。
ところでこのリミックスは、ジョージ・マーチンの息子、ジャイルズが引き受けたそうな…
ひと昔前ならそれぞれのファンの間ではビートルズ対ストーンズってことで何かにつけてライバル意識を持って語られた両者であった。
それがビートルズの関係者がストーンズのアルバムを大胆にリミックスするなんて、ほんと時代は変わって行くものだと改めて実感する。(まあ、当の本人たちはこの手のセールス上の煽りなんて全く気に留めていなかったとは思うが…)
サージャント・ペパーズ、ホワイト・アルバムやアビー・ロードなどのアルバムをリミックスした時と同じ様な手法で、今回も各トラックのバランスを調整しそれぞれの音をクッキリさせている。
しかしながら、個人的にはこの山羊の頭のスープって元々のこもった音の印象が売りで、それによって出だしのダンシング・ウイズ・ミスターDなんかはその不気味さをより引き出していたような…
したがってこのアルバムにスッキリ・クッキリのリミックスを施すとなると、なんだか個人的には違う!って思っていると、新たな発見が!
この再発LPに何故か付録の山羊の頭のスープの写真がついていない!
(1973年のアルバムには山羊の頭がもれなく付いてきた)
(ストーンズ・レーベルは当時今は亡きワーナー・パイオニアから発売されていたっけ。あ〜懐かしい)
なるほど、つまり今回のリミックス・アルバムって山羊の頭抜きのあっさり系スープ、No Goats Head Soupってことでオケ?
ゴールデン・ウィークもはや中盤に突入。
取り立ててする用事もないので、早朝人気のない近所を小一時間ほどジョギングを楽しむ。
帰宅して朝食を取るも、それ以降の予定はなし。
てな事で、毎度のことながら本日も自宅に籠ってレコードのお世話でも…
と取り出したるは、ストーンズの10インチ・シングル盤、Living In A Ghost Town。
ちょうど一年ほど前に、コロナ・ウイルスの世界規模の感染拡大の際、WHOなどがコロナ関連の基金を支援するため主催したバーチャル・チャリティー・コンサートにストーンズも参加。
その時期に合わせてニュー・シングルが投入され、ミュージック・ビデオでは大阪の風景もちらっと登場し話題を呼んだ。
そして後日シングル盤として10インチのシングル・レコードが発売された。
もともと曲自体のレコーディングはコロナが蔓延する以前にゆっくりと始まっていたが、ロック・ダウンと言う危機的状況に触発されたのか急遽完成と相成ったそうな。
当初買う気は無かったのだけれど、オレンジ色の10インチ・カラー・レコードという仕様に幻惑され、飛んで火に入る夏の虫の如くその手の乗ってしまった。
(裏面は音源がカットされていなくツルツル)
昨年日本では一応感染のスピードは落ちてこれにて一件落着と思いきや、変異ウイルスの登場により二派、三派と感染拡大が続く。
まあ、一定期間ゴーストタウン化すればある程度感染は抑えられる考えるも、それを強制的に執行するとなると人それぞれの立場だとか考えがあって中々理解が得られない。
難しいところですな。
ただ統制の取れぬまま、本当の意味でのゴースト・タウンになってしまうと取り返しのつかないことになる。
なんとかならないものですかね?
早く悪しき事態が解消されて、この変則オレンジ盤が“確かそんなのあったね”って珍名盤扱いされる事を切に願う今日この頃。
時の流れるのは早いもの。
いつの間にか4月が終わってゴールデン・ウィークに突入。
いつもなら新緑溢れる春の日にストレートお休みが続けば心もウキウキってところだけど、生憎コロナ感染拡大の影響で何の目的もなくフラリと外に遊びに行くのも憚れる寂しい連休のスタートとなった。
こんな時は自宅でレコードのお世話でもと取り出したるは、ストーンズの1972年の名盤、Exile On Main Street。
でもこれってレコードじゃないんだよね。
2005から6年にかけて発売されたでかジャケCDって代物で、LPレコード・サイズのジャケにもれなくCDが付いて来るってやつ。
(8枚中5枚のアルバムを懲りずに購入。毎度あり〜)
1997から98年にかけてCD生産量が世界的にピークを迎え、日本も御多分にもれず98年にピークを迎える。21世紀になって総生産量の減少傾向が見えだしてから、これじゃいかんともう少し違う角度でマーケットを掘り起こそう登場したのがこの企画。
特にLPはアーティステックなジャケのデザインも魅力のうちの一つとして捕らえられていたので、それじゃCD購入者にもその魅力をお裾分けって事なのかね?
私のようなただ集めるだけのコレクターにとっては珍品と言える商品でいくらかかってはみたものの、今まで開封せずに箪笥の肥やし状態。
笑ってやって下さい。
(未開封のまま)
暇を持て余した連休がスタートしたので、虫干しって感じで買って以来の二度目のご開陳と相成った。
紙ジャケCDと比べると確かに迫力はあるものの、ハッキリ言ってどうって事はない。
確かに写真はクッキリ見えてるけど、単にそれだけでした。
この企画、特に購入意欲を掻き立てるような商品になり得なかったのか、直ぐに消滅。
しかしながら5−6年前にミニでかジャケって言っていいのかどうか、7インチ・シングルのサイズのジャケとCDのカップリングなんて企画が懲りずに登場。
ただ今回は、メディアが普通のCDではなくハイブリッドのSACDが付いてきて一応過去作品と差別化を図るなど一応過去の失敗から学んだ様な…
ただSACDは再生可能だけど、うちのシステムは2chのみ! 間抜けなことに肝心の5.1chは再生出来ない。
またまた笑ってやって下さい。
まあ考えてみれば、CDコレクターにとっては7インチのジャケ・サイズだと収納に難ありって事でそれほど喜ばれるものでもなかった様な…
ダウン・ロードでの購入が主流になりCDに取って代わると思われたものの思ったよりも伸びず、今ではサブスクのストリーミングが人気を博す。
もう私の様なオジンには付いていけないこの世界、昔に買ったLPかCDをシコシコ聴いていこうではないか!
リマスターされようがリミックスされようがオジンの耳にはどれも一緒!な〜んて投げやりな気分にさせてしまう残念なゴールデン・ウィークの始まり始まり!
ストーンズの英デッカと契約における最終アルバムはライブ盤、Get Yer Ya Ya’s Out!
ディランの曲の一節に宝石と双眼鏡を首にかけたラバ(Mule)とあり、それにインスパイヤーされたのかネックレス、双眼鏡に楽器を首にかけたロバ(Donkey)が!
1969年のマジソン・スクェア・ガーデンでのライブを収録したもので、ミック・テイラーが参加し、ピアノには6人目のストーンズと言われたイアン・スチュワートが。
通常契約が終了間際のアルバムといえばミュージシャンのモチベーションも落ち、やっつけ仕事のスタジオ・アルバムか少々気の抜けたライブ・アルバムで締めとなる場合が多いが、これは熱気あふれる演奏が収録された本物。
70年代のライブ・アルバムといえば、LPでいえばコンサートの模様を出来るだけカバーしようと2枚組で発売される形が多いが、時に冗長さを感じることもある。
このアルバムは、LP1枚での編集のためファンならばあれもこれもライブで聴いてみたいって曲は残念ながら割愛されているが、ストーンズ全体の魅力を示すツボは外さずキッチリ押さえた選曲で悪くない。
またスタジオでオーバー・ダブも施されたようだが、そんなの関係ない!
楽しく聴ければ、それで良し。
LPをターン・テーブルに乗せればあっと言う間に終了、時の流れが非常に速く感じるアルバムだと個人的に思う。