CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

LET IT BLEED、ローリング・ストーンズ

2015年05月11日 | ROLLING STONES関連

ストーンズが ビートルズのLET IT BEを意識して LET IT BLEEDというタイトルのアルバムを出したと思われている方もいるかもしれません。しかし、実際はLET IT BLEEDはLET IT BEより5ヶ月以上早い1969年12月発売されています。LET IT BE がビートルズの最後のアルバムとして大きな話題となり印象に残っていますので、オン・タイムで双方のアルバムを聴いていない限りそのような感じを持つかもしれません。

当時はストーンズにしろ、その他のバンドにしろ、大なり小なりなんらかの影響はビートルズから受けていましたが、ストーンズは、1968年頃からブルースをさらに煮詰めた原点回帰を図り、独自のサウンドで BEGGAR’S BANQUETや LET IT BLEEDを制作し、唯一無二の最強のロック・バンドへと進化しました。

今回紹介するLET IT BLEEDは、ビートルズの後追いからは完全に抜け出し、他の誰もが真似出来ないようなユニークなサウンドを作り出しています。
その頃ブライアン・ジョーンズが解雇されて手が足りなかったのも一因と思いますが、今までになくこのアルバムには曲ごとに多彩なゲストを迎えています。ライ・クーダー、ニッキー・ホプキンス、レオン・ラッセル、アル・クーパーなど豪華メンバーが参加しそれぞれの曲に厚みを加えています。特にR&Bシンガーのメリー・クレイトンがギミー・シェルターでミックと対等にボーカルを分け合い、迫力のあるボーカルで聴くものを圧倒させます。

この辺りがストーンズの懐の深いところであって、ゲストに自由に個性発揮させ、それをうまく取り込みストーンズのサウンドを完成させています。

ビートルズの場合はこうはいきません。ストリングスやホーン、それにジョージのインド音楽関連のミュージシャンなどの起用以外は、ほとんどの場合自前で演奏していました。そのためビートルズの後期のアルバムに参加したエリック・クラプトンやビリー・プレストンのように確たる音楽的才能を持ちかつバンド内での緩衝役を果たすことが出来なければ、ビートルズのセッションにはお呼びがかからないでしょう。まあ、当時ジョンとポールの間に入ってビビらないで自身を主張しロックを演奏できる人はそう多くいなかったのもありますが。

ストーンズのABKCOレーベル時代の集大成のLET IT BLEED、相変わらず彼ららしく物議を醸し出す言葉があちこちに散りばめられていますが、それらが溶け込みメロディーと一体化したヘビーなブルース一度聴いてみてください。

Let it Bleed_Rolling Stones



ブライアンは何故作曲しなかったの?

2015年04月12日 | ROLLING STONES関連
英盤オリジナルでは、4枚目となるローリング・ストーンズの1966年発売のアフター・マスを紹介します。

それまでは、R&Bカバー中心にジャガーとリチャードのオリジナルが数曲という体裁でアルバムが発売されてきましたが、今回、全編ジャガーとリチャードのオリジナルというストーンズにとって、アルバム・タイトルが意味するところの区切り、もしくはターニングポイントとなるアルバムでした。

それ以外にも、ロックの曲で初めて10分を越すゴーイング・ホームという曲が含まれ話題となりました。彼らによりますと実際は2分半程度の曲だったのが、録音テープを止めずに各自が演奏を続け、残りの時間が所謂ジャム・セッションになったことです。またブライアン・ジョーンズ演奏によるシタール、マリンバ、ダルシマーや琴などを実験的なサウンドとして数曲に取り入れました。

助手:全編ジャガーとリチャードのオリジナルになったということですが、グループのリーダーであったブライアンが作曲者として全くクレジットされていないのは、少し不思議な気がするんですが。

博士:そうじゃのう。ブライアンはビートルズのユー・ノウ・マイ・ネームでもゲストでサックスを吹けるぐらいのマルチー・プレイヤーじゃったから、音楽のセンスは十分持ち合わせていて、作曲が全く出来なかったとは思えないのう。

助手:彼はこのアルバムで新しい楽器を持ち込んで曲に新たなイメージを植え付けていることからして、作曲よりは編曲に興味があったのでしょうか? 

博士:以前ルビー・チューズデイという曲はブライアンが作曲に関わっていたという話を聞いたことがあるのじゃが。残念なことに、ストーンズから解雇され、その後すぐに死んでしまっているからのう。もし死んでいなかったら、彼の口から何故正式に作曲に関わらなかったのか聞いてみたいものじゃ。

それでは、アンダー・マイ・サムを聴いてください。

The Rolling Stones - Under My Thumb (1966)



米盤のアフターマスのジャケット、英盤(14曲)から4曲削って、ヒット曲ペイントイットブラックを収録した11曲に変更されています。

ストーンズ教 その2

2015年04月04日 | ROLLING STONES関連
今回はストーンズの1978年に発売され、全米一位に輝いたSOMEGIRLSを紹介します。

折からの、パンクとディスコ・ブームにより既成のロック・バンドはキッスやエアロ・スミスなど少数のバンドを除いて活力がなくなっていきました。

そのような状況で、ストーンズからの回答がこのアルバムだったのです。一曲目はスローなディスコのビートを使ったストーンズ流のダンス・ミュージックで、ストーンズもそのブームに迎合してしまったのかと思いきや、2曲目から最後まではいつものストーンズのロック・サウンドでありました。

キースは当時深刻なドラッグの問題を抱かえていたのですが、いざ1977年のアルバム制作のセッションに入ると、新加入のロン・ウッドも含め、バンド全員の調子は非常によく、なんと50曲ものレコーディングという大豊作となりました。その時のアウト・テークと称される曲は、ボツにするには出来が良すぎて、のちに発売されるアルバム、エモーショナル・レスキューやタトゥ・ユーに収録されました。

SOMEGIRLSの曲の中に黒人差別を思わせる歌詞があり、物議を醸すことになります。彼ら曰く、差別主義者に対するジョークで、その手のジョークは理解されるべきと、レコード会社からのクレームがあったのですが、発売するよう押し切ったとのことです。相変わらずですね。

助手:博士、確か、SOMEGIRLSもスーパー・デラックス・エディションが出ましたよね。

博士:そうじゃったのう。あの時はなんとか我慢し購入を断念。その代わり、安い2枚組輸入盤CDを購入したわい。2枚目のボツ・テークを収録したCDの出来がよかった。

その一曲目に、CLAUDINEという曲があって、これは クロディーヌ・ロンジェというフランス人の女性歌手の事を歌っておる。彼女は、ポール・モーリアで有名だった、あの“恋は水色”という曲を歌っていたのう。

歌手のアンディー・ウィリアムスと離婚した翌年の1976年、ボーイフレンドを銃で撃ち殺した容疑で有罪になったとか。その話をストーンズは曲にしたので問題となり、当時お蔵入りになったそうな。

助手:ストーンズはいつになっても突っ込みどころ満載ですね。
そういえば博士、5月末発売のスティッキー・フインガーズのスーパー・デラックス・エディションの購入はどうされますか?

博士:ZEP教のお布施が終わったばっかりで、わしの小遣いではちょっと厳しいのう~ 神様か仏様がなんとか助けてくれればいいのじゃが。

助手:心配ありません。5月にはイエス様が降臨されます。
なんと、1972年に行ったCLOSE TO THE EDGE TOUR公演の模様を収めた新しいライブの経典が14枚組CDで編纂されました。

博士:バッカもんー それはイエス教からの新たなお布施の案内のことじゃ!

多神教の信者であり続けるには、小遣いをなんとか増やしてもらわなければならないと痛切に思う博士でした。 続く……

それでは、全米一になったシングルのミス・ユーと行きたいところですが、もっとストーンズらしい曲、ビースト・オブ・バーデンを聴いてください。

Beast Of Burden by The Rolling Stones



クロディーヌ・ロンジェの“恋は水色”


ストーンズ教

2015年04月02日 | ROLLING STONES関連
博士:何ぃ~
ストーンズのあのスティッキー・フィンガーズがスーパー・デラックス・エディションで発売されるじゃと?

3CD+DVD+7インチシングル+ハードカバーブックとな? それで価格は、輸入仕様国内版で19,980円。

ABKCOから独立し、自身のストーンズ・レーベルからの最初のアルバムで気合が入っていると思うし、ミック・テイラーもバンドに馴染んできた頃なので、作品の出来が悪いはずはない。

メインストリートのならず者のボックス、2種類の紙ジャケCDボックス、UK盤LPアルバムのボックスなどなどここ数年頑張ってお布施に励んできたが、今回はどうしたものかのう~ ZEPのフィジカル・グラフィティーも買ったばっかりじゃし。

助手:博士、ハードカバー・ブックにジッパーが付いてくるそうですよ。
確か、以前発売された日本盤のジッパーはYKK製だったかな~

博士:ウォホールのデザインのジッパー付きジャケットは奇抜じゃったのう。ジッパーを開けると中のぴっちりしたブリーフが見える趣向じゃ。わしの緩パンだとこうはいかぬ。とりあえず、ブラウン・シュガーでも聴いて、今後の対策を考えよう。もし購入するとしても、家の者に見つかってはいかぬ。

助手:通販で購入してコンビニで受け取り、一時的に押し入れに隠しておくのはどうですか? 

博士:押し入れは、わしの緩パンでいっぱいじゃ。

と、またまたレコード会社は、おっさんやおじんを対象に 多額のお布施を要求する布教活動を開始しました。

いつになればおっさんやおじんの目は醒めるのでしょうか?

アルバムが全米一のスティッキー・フィンガーズ、今更改めて説明する必要はないでしょう。
とりあえず、これも全米一になったシングルのブラウン・シュガーを聴いてください。

Brown Sugar - The Rolling Stones

ブラウン・シュガーはドラッグの隠語。このタイトルで全米一とは、相変わらずぶっ飛んでいました。


米盤再発レコード、インナージャケットにあったブリーフの写真は外され、ジッパーを開けてもブリーフは見えない。また、バンド名とアルバム・タイトルのポジションが初回盤と異なっている。


日本盤紙ジャケCD、ジッパーのサイズが紙ジャケのサイズに対して随分大きい。


日本盤はYKKを使用



これがストーンズ、オクタゴン

2015年02月20日 | ROLLING STONES関連
大阪を代表する駅弁といえば八角弁当、ストーンズの60年代後半の代表作を聴くならオクタゴン・アルバム。

ブライアン・ジョーンズをクビにし、新メンバーとしてミック・テイラーが加入した新生ストーンズのお披露目ライブを計画していた矢先、ブライアンが急死するという、ストーンズのメンバーには思いもよらない事態になりました。そこでブライアンの過去の功績を讃えることと、新たなる活動を始めるための過去との線引きとして、このアルバムが1969年に発表されました。

この1枚は編集アルバムですが、シングルのみで発売されたヒット曲を数多く集めたり変形ジャケットの採用などで、単なるベスト物というよりは、当時はオリジナル・アルバムのような位置付けだったのではないかと思います。
後年数々のベスト盤が出て、ビートルズのオールディーズのように、アルバムの稀少価値は薄れましたが、初めに言った通り、その時期のベストを一気に聴き時代を感じ取るというのであればこれが一番でしょう。

LPはこのアルバムで唯一ミック・テイラーがギターを弾いた、ホンキー・トンク・ウィメンで派手に幕を閉じます。ブライアンへの別れの挨拶?

写真は2010年に復刻されたLPで英盤の選曲です。


これもストーンズ、魔王賛歌

2015年02月19日 | ROLLING STONES関連
某大手通信進学講座が、例の不祥事の汚名返上するためかどうかどうかはわかりませんが、連日その会社のコマーシャルがテレビで流されています。今朝テレビをつけると偶然目にしましたので、 今日はそのコマーシャルに使用されたShe’s A Rainbowが含まれている魔王賛歌について書きます。

Her Britannic Majesty’s Request (英国女王陛下の命)をもじったTheir Satanic Majesties Request(魔王達の命)は間違いなく前年に出されたビートルズのSgt. Pepper’s のアルバムに影響を受けています。
始めて聴いたときは、これはストーンズのアルバム? と思ったぐらいでした。当時アルバムの出来を否定的に捉えていたメンバーもいたようだし、ストーンズもついにネタ切れか?と酷評していた評論家もいたとのことです。

しかしながら、コマーシャルを見ても、イントロの部分だけですが、妙に耳に残りますし、今改めてアルバムを通して聴いても酷評されるような出来ではないと個人的に思います。当時のサイケデリックのムーブメントに乗った内容で、所々にストーンズの香りがするといった感じでしょうか? またミックとしては、アルバムの出来不出来に関わらず、一度は実験的な分野もやっておくべきと考えこのアルバムを制作したのではないでしょうか? まあ彼に聞いてみないと判らないことですが。

ストーンズの当時の実績もあってか、チャートではアメリカ2位、イギリス3位とそれほど悪くはありませんでした。

ジャケットに関して、オリジナルは表紙に3Dのメンバーの写真を貼り付けていました、何年か経つと劣化するので、再プレスでは通常の写真になったとのことです。Sgt. Pepper’s の表紙にWelcome The Rolling Stonesとあったので、その返答として表紙の写真にビートルズ4人の顔を紛れ込ましています。