以前ブログにアップしたレッド・ツェッペリンII、このアルバムの数曲に既存のブルースの曲から歌詞などが引用されたにも拘らず、オリジナルの作者名がクレジットされていなかったことから、後日クレームを受けた。
それらは、A面の1曲目WHOLE LOTTA LOVE、3曲目の THE LEMON SONG とB面の5曲目BRING IT ON HOMEだった。
最終的にWHOLE LOTTA LOVEのクレジットにはウィリー・ディクソンが追加、LEMON SONGにはバーネットが追加、そしてBRING IT HOMEはオリジナル表記だったペイジ・プラントからディクソン単独に変更となった。
これらは、従来のブルースに彼らのハード・ネスをありったけぶち込みニューロックなるものを創造したことはすばらしい事だったといえるが、やっぱり原曲を作ったブルース・マンの存在を当初まったく無視したのはいただけない。
今回の話は、“天国の階段”のオープニング・コードのパクリ疑惑についてである。
これもかなり以前から話題になっていた件であるが、アメリカの60年代末頃にSPIRITと言うサイケデェリック・バンドが活動していた。
彼らの68年デビュー・アルバムに収録したインスト・ナンバー、TAURUS(67年作)のオープニングが“天国への階段”に似ていると言う事だった。
ペイジによると、SPIRITとは一緒のアメリカ・ツアーを68-9年に行い、彼らのセカンドとサード・アルバムは購入したが、TAURUSの入ったファーストは買ってもないし、また聴いたこともないと主張していた。
SPIRITサイドとしては、両バンドがツアーを一緒に行っていたのだから、TAURUSをツアーの何処かで聴いた可能性がまったくなかったとは言い切れなく、イントロ部分はパクリという主張だった。
作者でバンドのギタリスト権ボーカルだったランディー・カリフォルニアは、1997年海で自分の息子を救助する最中に溺死してしまい、その後彼の管財人が2014年に訴訟を起こた。
そして2016年4月に、裁判所が、“この案件は陪審員による評定に値する内容だ”と判断し審理が開始された。ようやく昨日になって、陪審員により、 “盗作というほど似ているわけではない”との判決が出た。
ZEPとしては一件落着、また私も同感で、同じコード進行でゆったりとしたペースでのアコギの演奏となると、なんとなく似ている感じに成るのは避けれない。しかしながら、今回の事例は実際に音源を比較してパクリとまでは言えないと感じた。
もしこの程度のことで、裁判所がパクリと認定するのであれば、日本の演歌なんて訴訟合戦となる。
演歌の場合、イントロなんてほぼ一緒。歌を歌いだしたところで、歌詞の違いに気が付いて、ああ~、これは別の曲だと認識する。
ただ裁判で勝ったとしても、演歌のレコードやCDなんてまったく売れない時代だから、そのままにしているって感が。
やっぱり、この手の訴訟は、相手からいくらふんだくることが出来るかで裁判に進展するかどうかが決まるのだろうね。
私としては、今回の“天国の扉”よりも、どちらかと言えばフィジカル・グラフィティーに収められた、死にかけて、IN MY TIME OF DYINGについて一言いいたい。
この曲はディランも彼のファースト・アルバムで同曲をカバーしていて、作者不詳のゴスペル・ソングとして知られている。
フィジカル・グラフィティーでは、この曲のクレジットとしてゼップ4人の名が記載されいる。
確かに、間奏パートはZEPそのもので、すばらしいハードなアレンジが施されているが、歌うパートは作者不詳のゴスペル・ソング、IN MY TIME OF DYINGそのものである。しかし知らない人が聴いたら、ZEPのオリジナルってなってしまう。
作者不詳で、さらに版権を管理する会社が存在しないのであれば、たぶん印税は発生しないから、TRAD.の追加表記はZEPにとっても問題はなかったと考えるのだが…
何故4人の作者名に追加としてTRAD.と表記出来なかったのかな~?
このあたりがこの偉大なバンドの残念な点だと改めて思うのであるが。
Taurus- Spirit
それらは、A面の1曲目WHOLE LOTTA LOVE、3曲目の THE LEMON SONG とB面の5曲目BRING IT ON HOMEだった。
最終的にWHOLE LOTTA LOVEのクレジットにはウィリー・ディクソンが追加、LEMON SONGにはバーネットが追加、そしてBRING IT HOMEはオリジナル表記だったペイジ・プラントからディクソン単独に変更となった。
これらは、従来のブルースに彼らのハード・ネスをありったけぶち込みニューロックなるものを創造したことはすばらしい事だったといえるが、やっぱり原曲を作ったブルース・マンの存在を当初まったく無視したのはいただけない。
今回の話は、“天国の階段”のオープニング・コードのパクリ疑惑についてである。
これもかなり以前から話題になっていた件であるが、アメリカの60年代末頃にSPIRITと言うサイケデェリック・バンドが活動していた。
彼らの68年デビュー・アルバムに収録したインスト・ナンバー、TAURUS(67年作)のオープニングが“天国への階段”に似ていると言う事だった。
ペイジによると、SPIRITとは一緒のアメリカ・ツアーを68-9年に行い、彼らのセカンドとサード・アルバムは購入したが、TAURUSの入ったファーストは買ってもないし、また聴いたこともないと主張していた。
SPIRITサイドとしては、両バンドがツアーを一緒に行っていたのだから、TAURUSをツアーの何処かで聴いた可能性がまったくなかったとは言い切れなく、イントロ部分はパクリという主張だった。
作者でバンドのギタリスト権ボーカルだったランディー・カリフォルニアは、1997年海で自分の息子を救助する最中に溺死してしまい、その後彼の管財人が2014年に訴訟を起こた。
そして2016年4月に、裁判所が、“この案件は陪審員による評定に値する内容だ”と判断し審理が開始された。ようやく昨日になって、陪審員により、 “盗作というほど似ているわけではない”との判決が出た。
ZEPとしては一件落着、また私も同感で、同じコード進行でゆったりとしたペースでのアコギの演奏となると、なんとなく似ている感じに成るのは避けれない。しかしながら、今回の事例は実際に音源を比較してパクリとまでは言えないと感じた。
もしこの程度のことで、裁判所がパクリと認定するのであれば、日本の演歌なんて訴訟合戦となる。
演歌の場合、イントロなんてほぼ一緒。歌を歌いだしたところで、歌詞の違いに気が付いて、ああ~、これは別の曲だと認識する。
ただ裁判で勝ったとしても、演歌のレコードやCDなんてまったく売れない時代だから、そのままにしているって感が。
やっぱり、この手の訴訟は、相手からいくらふんだくることが出来るかで裁判に進展するかどうかが決まるのだろうね。
私としては、今回の“天国の扉”よりも、どちらかと言えばフィジカル・グラフィティーに収められた、死にかけて、IN MY TIME OF DYINGについて一言いいたい。
この曲はディランも彼のファースト・アルバムで同曲をカバーしていて、作者不詳のゴスペル・ソングとして知られている。
フィジカル・グラフィティーでは、この曲のクレジットとしてゼップ4人の名が記載されいる。
確かに、間奏パートはZEPそのもので、すばらしいハードなアレンジが施されているが、歌うパートは作者不詳のゴスペル・ソング、IN MY TIME OF DYINGそのものである。しかし知らない人が聴いたら、ZEPのオリジナルってなってしまう。
作者不詳で、さらに版権を管理する会社が存在しないのであれば、たぶん印税は発生しないから、TRAD.の追加表記はZEPにとっても問題はなかったと考えるのだが…
何故4人の作者名に追加としてTRAD.と表記出来なかったのかな~?
このあたりがこの偉大なバンドの残念な点だと改めて思うのであるが。
Taurus- Spirit