大会開催後1週間以上たってしまいましたが、ようやくレース・レポートがまとまりました。来年の開催までまだ1年あります!ので、参加を検討されている方に何か少しでも役に立つ情報があればと思います。
よかったら読んでみてください。
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フルマラソンの自己ベストを更新。が、しかし・・・
昨年11月の「
奈良マラソン」のタイムを5分19秒短縮し、フルマラソンのベスト・タイムを更新! ネットタイムで
3時間38分04秒(5分10秒/㎞)、グロスタイムでも3時間40分を切ることができました。
本来なら手放しで喜びたいところですが・・・。単純に喜べないのは、今回初フルだった2009年の「いびがわマラソン」以来歩いてしまったからです。
凍えそうだった「
能登和倉」も酷暑の「
北海道」も、骨折を押して走った2度目の「
いびがわ」も、そして初めてサブ4を達成した「
奈良」も、すべて歩かずに完走しました。もうフルマラソンで歩くことは--故障やアクシデントを除けば--ないと思っていました。というか「歩く」という言葉自体頭の中から取り除かれていたのでした。なのに・・・
【
レース前】
日帰り参加の限界。
当日は朝クルマで会場入りしました。
フルを走るのなら、宿泊なしで参加できる限界がこの掛川マラソンあたりになります。
距離にして200km弱。5時過ぎに出発して会場の「つま恋多目的広場」に入ったのが8時半くらいだったでしょうか。
高速を降りてからは道に迷うこともなくエコパの指定駐車場に到着。「
焼津みなとマラソン」のような悪夢の渋滞もありませんでした。
駐車場で装備やウエアを整え、必要最低限の荷物にして、バスでメイン会場となっているつま恋多目的広場まで移動。
好天に恵まれたうえ、山を切り取ってつくられた駐車場からの見晴らしはすばらしく、すっかりいい気分になりました。天気次第では富士山
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も見えたんじゃないかなあ。残念。
寝不足(4時間半くらい)の割に目覚めはスッキリしてたのですが、駐車場に着いた時点でもう疲れを感じてました。レース前日はできればもちろん前泊したいところですが、いろんな事情でそうもいきません。
唯一の×は荷物預かり。
バスを降りてからも会場まで少し歩きます。青々とした芝生の緑がまぶしい会場にはもう人があふれていました。といっても広いので、腰を下ろすくらいのスペースはいくらもあります。テントを持ちこんだりしている家族やグループも多かったですね。
われわれはとにかく荷物預かりを目指しました。ちょうど反対側にあるので、会場の人ごみを抜けるのにけっこう手間取りました。
開会式は8時45分から。ゲストの増田明美さんの声がスピーカーから流れてきました。
「35km過ぎのあの坂が・・・」とかなんとか話してましたがしっかり聴く余裕もありませんでした(よく聴いておくべきでした!)。そうこうしてるうちにインストラクターによるエアロビが始まり、準備万端の参加者がいっせいに踊り始めました。
WBを脱いで、最終チェックを終え、荷物をまとめて、「さて荷物預けは・・・」と見ると長蛇の列。何度も折り返している列の最後がどこだか容易にはわからないほどです。こそっと横から入ってくる不届きものもいました。先頭のほうを見ると、受付場所はどうやら1か所しかありません。
刻一刻と時間は過ぎ、会場のスピーカーから「フルマラソンのスタートまであと5分です。ランナーはスタート位置についてください」というアナウンスが繰り返されます。しかし行列の数は大して減っていません。数えたわけではありませんがその数100人200人でないのは明らかです。
やっと荷物を預けたのがスタート1~2分前。あわててスタート位置に駆けだしましたが。この間スタッフのだれ一人あわててもいなかったのは不可解でした。
結局なんとかスタートには間に合いましたが、ストレッチもアップもできず、できればもう一度行っておこうと思っていたトイレにも行けず(掛川IC手前の小原PAで用をすませておいて正解でした)、なにより
心の準備が整わないままスタートする羽目になりました。それがちょっと痛かったですね。
「東北地方太平洋沖地震復興祈念 がんばれ東日本!」というメッセージを掲げ大震災への支援活動と位置付けて開催された今大会。亡くなった方への黙祷も行われたとは思うんですが不覚にも気が付きませんでした。
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レース】
快調にスタート。
そんなわけでスタート十数秒前というタイミングで、公園の土手の向こうにあるスタート位置に滑り込みました。
あっという間にスタート。最初の1㎞は人が多くてほとんど自由には動けません。ここは定石通り体力温存。無理な追い抜きなどは避けてじっと我慢。
最初の1㎞のラップが5分2秒。4分50秒/㎞ペースを一応の基本に考えていたので、徐々に人ごみがばらけてきたところで少しペースアップ。
1~3㎞は4分37秒/㎞。ちょっと速すぎるなあと思いながらも、このコース、
頻繁なアップダウンがあるので、やや抑えめのスピードを意識しつつも、前半は1㎞ごとのラップはあまり気にせずに走りました。
ただひとつ頭に置いていたのは
「35kmを中間点と考えよ」という小出監督や瀬古さんの教え。自然と抑えめのペースになるはずだったんですが・・・。
今回のコース。
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今年から一部新しいコースになったようです。つま恋を出発して菊川沿いを海に向かって南下。河口から海を望む場所まで来て海岸沿い(といっても海は見えません)を西に走ります(東へ走るとすぐ浜岡原発があるはずです)。
川沿い、海沿いはほぼフラットで視界も広くてとても走りやすいです。風力発電の風車がいくつも見えます。その後折り返してふたたびゴールのつま恋に向かって北上します。
大会名通り茶畑をあちこちで目にすることができますし、変化に富んで飽きの来ないコースはなかなか楽しかったです。
控え目ながら気持ちのこもった応援
大都市のマラソンのように沿道に途切れることなく観戦・応援する人がいるというわけではないですが、建物・家ごとに、路地ごとにまとまった数の方々が応援に出て、声援を送ってくれました。走っているあいだ応援の方の姿を見ないところはなくて心強かったです。
畑仕事をするおじいちゃん・おばあちゃんが仕事の手を休めて?こちらを見てくれているということがしばしばありました。こちらから先に「ありがとうございまぁす!」と声をかけると、「がんばれよ~」なんて返してくれて、ちゃんと応援するつもりで表に出てくれてたんだなあとうれしくなりました。恥ずかしがりの方が多いのかもしれませんね。
「今日マラソンだっていうから畑仕事のついでに応援もするかあ」なんて方が多かったのかもしれません。気張らず観戦を楽しむような雰囲気を感じました
。地元のみなさん、応援ありがとうございました。
25㎞までは怖いほど予定通り。
25㎞くらいまではとにかく快調でした。
日差しはあるし、20℃前後まで気温が上がる予報だったのでランニングキャップをかぶり、首や顔、腕には日焼け止めを塗りました。
ただ、肌にあたる空気は冷たくさえ感じられて、前半はとくに走るのにはとてもいい天候だと感じてました。風も、強い向かい風などはほとんどなかったんじゃないでしょうか。
ハーフのタイムが1時間41分36秒。これは昨年の「焼津みなとマラソン」で記録したベスト記録、1時間41分13秒とほぼ同じ。怖いくらい予定通りでした。
20kmを過ぎたあたりからギリギリ5分を切るラップになってきて、
23~24㎞でとうとう5分ジャスト。まだ行ける感じはあったんですが「なんかちょっとタイム落ちてきたかなあ」と少し不安が頭をもたげてもきたのでした。
結局このあと4分台のラップを刻むことは一度もありませんでした。後から思えば確実に脚に来てたんでしょうね。
最初の急坂でペースダウンするも気持ちは折れていなかった。
28~29kmで一気に5分30秒台までラップが落ちました。いよいよ後半最初の急坂。坂が見えて「きたなあ」と思いましたが、昇りでタイムが落ちるのはやむをえないと考え、がんばりました。この時点では「まだいけるぞ」と気持ちは折れていませんでした。
29~30㎞。5分40秒にラップが落ちたものの、次の30~31㎞の下りで5分9秒とタイムを戻してます。
32㎞のスプリットが2時間38分17秒。
「残り10㎞を50分で走れば3時間30分切れるぞ!」という強い気持ちと「50分はきついなあ」という弱気が同時に交錯しました。
33km地点。3つ目のフルーツステーションでのメロンを走りながらうまく食べることができて、少し元気が復活。
持参したSAVASのピットインリキッドを、これまでより早めの15㎞から5㎞ごとに摂っていましたし、特にエネルギー不足は感じてませんでした。給水も前半1度摂り損ねた以外はすべてスムーズに摂取できていましたし、これまでのレースに比べると汗もかいてない感じ。
スポンジは20kmすぎから使ってましたが、首まわりと腕と太腿を軽く湿らす程度で十分でした。ラスト10㎞。正午。日差し
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がますます強くなり、暑さが気になってきました。いったい何度だったんでしょう?
第2、第3の急坂に挑むも・・・
後半2つ目の坂を上った
32~34kmのペースは再び5分30秒/㎞。そのあとの下り34~36㎞は5分10秒前後のラップに戻したとはいえ、すでに脚がきついと感じていました。ただ、
初フル以来歩いたことはないという自信がどこかにあって歩くという考えはまったく頭にありませんでした。歩幅を狭めてとにかくピッチを落とさないように意識してました。
36kmからの3つ目の坂、ここからはホントにつらかった。
「歩かないで走り切る」ということにこだわらないなら、
少し歩くなり止まるなりした方が回復が早いのは経験上わかってました。しかし自分としては「マラソンは歩かない」というこだわりがある。遅くてもいいからどうしても走りぬきたかった。村上春樹の言うとおり
「歩くために参加してるわけじゃない」から。がんばって走っているとそのうち楽になる瞬間が訪れることも知ってましたし。
37~38㎞でラップが6分台に入り、想像はついていたとはいえがっかりしました。長い急坂を登り切り、今度は下り。この辺は一番きつかった。何度か
「歩きたいなあ」という誘惑が頭に浮かび、そのたびに必死でかき消しました。
40km目前、悪魔のささやきに屈する
最後のフルーツステーションが近づいてきました。下見もしてないし、コースは全然頭に入ってなかったので、このあとゴールに向けてほぼひたすら登りであることなど知る由もありません。スタートから下りだったことも忘れてました。
フルーツステーションにたどり着いたとき、それまでの何倍も魅惑的な悪魔のささやきが耳に聴こえ、なんなく屈するに至りました。
「フルーツをしっかり食べて元気を出そう。そのために止まって少し休んだっていいんじゃないか」
キウイ、オレンジ、バナナとここだけ3種類のフルーツが並んでいました。キウイを3切れ、オレンジを1切れ食べたのち、バナナも1切れ手に取りました。
イチゴと、メロンを合わせて、これで5種類完食。
フルーツ完食は、実は「タイムをあきらめた時」の第2の目標でした。
そしてゆっくり走り始めたのでした。
ところがなんだかちょっと気持ちが悪い。
吐きたいような感じ。マラソンでは初めての経験です。あとから思えばフルーツを3種類も食べた後だからかもしれないと思わないでもないんですが、このときはそういうふうには考えませんでした。
すでに相当に暑さも感じていて、身体のきつさと合わさって
「こんなところで無理して死ぬわけにいかない」という考えが頭に浮かびました。
岩本能文氏言うところの「脳にだまされた」ってやつかもしれません。
逡巡の末、再び悪魔の誘いに乗ることにしました。「歩こう」
どのくらい歩いたでしょう。100m?200m? 正直ホッとしました。
39~40kmのラップは7分43秒。後ろから来たランナーに次々抜かれ、「歩いたらおしまいだよなあ」と屈辱感にさいなまれながら歩きました。あとたった2kmしかないのに歩いている自分が腹だたしいやら情けないやら。
※その後読んだ鏑木毅氏の本に「マラソンランナーは歩くのはいけないと考えるようなまじめすぎる人が多い」というようなことが書いてあり、「そうかもなあ」とちょっと思いました。トレイルでは昇りは歩いて積極的に体力を温存するというのが常識らしいです。
そのうちに気持ち悪いのも収まってきたので、「とにかくもう一度走ってみよう」と脚に力を込め走り始めました。少しずつ脚が動くようになったものの、ここからゴールまでほぼずっと続く長い上り坂。なんとサディスティックなコース!
いつもなら最後の3㎞はペースアップして何十人かは先行するランナーを抜いて順位を上げるパターン。
一人でもいいから抜き返そうとラストの1㎞ちょっとは、それこそ歯を食いしばって走りました。もうホントにいっぱいいっぱい。先行する1人の女性ランナーに狙いを定め、いったんは追い抜き、後方に置き去りにしたつもりでしたが、最後の直線で抜き返されました。それでも彼女をもう一度追いかけたおかげでラスト195mは猛ダッシュして53秒(4分32秒/㎞)でフィニッシュラインを踏み越えたのでした。
後ろを走っていたランナーがゴール手前で「やったあ、40分切った!」と叫んだのが聴こえました。電光掲示板は3時間39分を超えたところでした。
全力は出し切った、そう思いました。
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レース後】
見事な連携で心停止のランナーを蘇生
先にゴールしたら、つま恋の中にある温泉施設に行くつもりでした。しかし、地図を見ると2kmくらいはありそうです。バスか何か使えるんじゃないかと思ってはいたんですが、案内も見かけなかった。何より、身体のダメージもそれなりにあるし、ストレッチをしようとしたらふくらはぎがつりそうになる。芝生に寝転がってしばらく目を閉じてました。
結局ダラダラと休んでいるうちに時間もたってしまい、温泉はやめてゴールでカメラを構えて家人を待つことにしました。ゴールタイムを5時間と予想。あと30分くらいでした。
15分ばかりゴール正面で待ったけれど家人はやって来ない。
2時15分くらいでしょうか、関係者らしい人がコースの中に入ってきて
「AED持ってきて! 早く! 緊急事態!」と叫んでます。ゴールの手前100mほどのところに人が集まってきました。
身体を乗りだして様子をうかがっていたんですがわたしのいる場所からはよく見えない。
最も調子よく走ればもう家人がゴールしてもおかしくない時間です。だんだん心配になってきて、「まさか」と思いながらもちょっとあわてて人だかりのほうへ向かいました。
倒れていたのはかなり年配の男性でした。現場は緊迫した感じでしたが、AEDによる蘇生が試みられ、運よく心臓が動き出したようです。安堵感が一気に広がりました。じきに救急車
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も到着(なぜか消防車
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も到着)。ストレッチャーに乗せられた男性は酸素マスクをしていましたが、意識はしっかりしているようでした。無事助かったに違いありません。二重の意味でホッとしました。
ちなみにわたしの隣にいた若い男性が「やあー、おれもさあ本当に怖くなっちゃった」と言ってたのが印象的でした。
5時間10分ごろ家人がやってくるのを見つけました。名前を呼ぶ声にも気づかないくらい楽しんでたようで元気に両腕を突きあげてフィニッシュしました。今年に入ってからほとんど走っていないにもかかわらず。ちゃんと練習したら、ひょっとしてすごいタイムで走りやしないかと実は思ってるんですけど。
静岡といえば・・・
結局温泉はやめて、ざっと会場を回りソフトクリーム(コルネの形をした変わったソフトクリームでした。パンは熱々でチョコクリームの代わりに冷たいアイスが入ってます)を食べただけで、駐車場へ向かいました。
出口付近には募金箱を持った方が並んで義援金を募っていました。「ご苦労様です」と心から声をかけ、わずかですが協力させていただきました。
帰りもほとんど混雑もなく高速に乗れました。せっかく浜名湖近くまで来たのだからどこかで
ウナギを食べたいと思ってました。大会に協賛するうなぎ屋さんが会場近くに何軒かあったようですが、高速の渋滞状況がわからないので、とにかく早めに家に近付くことを優先しました。
浜名湖SAの浜名亭で念願のうな重をいただきました。ここのは「背開きだけど、蒸しは入っていない」という東西折衷の焼き方。わたしは蒸しを入れたふんわりやわらかな関東流のほうが好みではありますが、ここのもパリパリとした食感でまずまずおいしかったです。
<おしまい>