「没後400年 特別展 長谷川等伯」を観に上野の東京国立博物館に行ってきた。先週、マイミクのゆざわちゃん殿の日記を読んで興味が湧いた。
「等伯ったらアレでしょ?」と、社会の資料集の「松林図屏風」しか思い浮かばなかった私。ゆざわちゃん殿は社会の先生であるからに、深い知識と教養をお持ちだ。日記には等伯について深く書かれていた。触発されてGO!
今日の東京も雨降り。まるで「松林図屏風」のようである。
上野動物園の看板、クマで萌え。
寒緋桜も蕾を開けそうにない。
開花した桜は生憎の雨に濡れていて可愛そう。
【今回の見所】博物館HPより
水墨画の最高峰 「松林図屏風」(国宝 東京国立博物館蔵)、金碧障壁画の至宝「楓図」(国宝 京都・智積院蔵)を描き、あの狩野永徳をも脅かした桃山絵画の巨匠、長谷川等伯(1539~1610)。能登七尾(石川県)に生を受けた等伯は、はじめ「信春」と名乗り主に仏画を描きました。30代で上洛すると画題を肖像画、花鳥画 などにも拡げています。豊臣秀吉や、千利休らに重用され、一躍時代の寵児となりました。時に精緻に、時に豪放に描きわけられた作品群は、今もなお我々を魅了し続けます。
2010年は、等伯没後400年の節目の年です。この記念すべき年に、国内に存在するほぼすべての等伯の作品を、一挙に公開する史上最大規模の大回顧展を開催します。空前絶後とも言えるこの機会に、長谷川等伯の全貌をぜひご堪能ください。
堪能すっぞ~!
夕方からの入館であったにもかかわらず、館内大混雑。
数々の絵を観ていて思ったことは、「この人、描くことが本当に好きなんだな」ということだ。筆遣い一つ一つに描くことを楽しんでいる気持ちが宿っている(あくまで私の想像で、実際はプレッシャーなどに苦しみながら描いたのかもしれないけれども)。
「松に秋草図屏風」
3歳で夭折した豊臣秀吉の長男、鶴松の菩提を弔うために建立された京都の祥雲禅寺に描かれた障壁画。天下人の注文を受ける…それは絵師の頂点に立ったことを意味する。芙蓉、菊、ススキなどの草木は、幼くして亡くなった鶴松を包み込むように優しく画面を彩っていた。
ダイナミックかつ繊細さを備えた作品。
草木の息遣いが聞こえてきそうだった。
「仏涅槃図」
巨大な絵。横6×縦10メートル。私の部屋より大きい…。
右腕だった息子を26歳という若さで亡くしたあとに描かれた絵。等伯の悲しみが、画面いっぱいに広がっていた。絵の中で仏様の死を嘆き悲しむ人々や動物たちから貰い泣きしそうだった。出口に近づいては、何度も何度もこの絵を観るために戻ってしまった。
「善女龍王像」
小さな絵。
観ているとほっこりとする。
「竹虎図屏風」(左双)
仕草が愛らしい。尻尾の先端まで丁寧に描かれていた。
「枯木猿猴図 」
『モンキー・マジック』(ゴダイゴ)が頭の中に流れた。とめどなく。ええ、前奏部分から。
この猿の愛らしさはいったい何なんだろう。ユニークな顔、ふわふわの毛並み、観ていると幸せな気持ちになれる絵だった。左双の猿はお父さん猿らしい。
「松林図屏風」
最後の最後に「ジャジャーン!」と展示されていた。別にどうってことのない風景。ぶっちゃけ、松林。どこにでもありそう。しかし、この絵は、松林に漂う湿った空気までも感じさせる不思議な作品だ。観ていると雨の松林を歩いている気がしてくる。頬に細やかな水滴が着く錯覚に陥る。息をするのも苦しくなるぐらいの濃霧をよくぞここまで表現したなと思った。この絵は描かれた年代が不明だとのこと。息子が亡くなった直後に描かれたとする説が濃厚で、もしそうだとしたら、霧雨は等伯の流した涙に見えなくもない。
社会の資料集で眺めていた絵が自分の僅か目の前にあるという興奮は、落ち着いた画風とは対照的だったかもしれない。
近くにあった椅子に腰かけて20分ぐらい、この絵を眺めた。
今回も音声ガイドを利用した。あの松平定知アナウンサーの語り口調が大変分かりやすくて良かった。体感型「その時歴史が動いた」とでも言おうか。
帰りにアトレに入っている「日本橋屋 長兵衛」で吾妻路を購入。
ブログを書きながら美味しくいただいた。
さて、明日から仕事。
リフレッシュした分、頑張ろう!!
「等伯ったらアレでしょ?」と、社会の資料集の「松林図屏風」しか思い浮かばなかった私。ゆざわちゃん殿は社会の先生であるからに、深い知識と教養をお持ちだ。日記には等伯について深く書かれていた。触発されてGO!
今日の東京も雨降り。まるで「松林図屏風」のようである。
上野動物園の看板、クマで萌え。
寒緋桜も蕾を開けそうにない。
開花した桜は生憎の雨に濡れていて可愛そう。
【今回の見所】博物館HPより
水墨画の最高峰 「松林図屏風」(国宝 東京国立博物館蔵)、金碧障壁画の至宝「楓図」(国宝 京都・智積院蔵)を描き、あの狩野永徳をも脅かした桃山絵画の巨匠、長谷川等伯(1539~1610)。能登七尾(石川県)に生を受けた等伯は、はじめ「信春」と名乗り主に仏画を描きました。30代で上洛すると画題を肖像画、花鳥画 などにも拡げています。豊臣秀吉や、千利休らに重用され、一躍時代の寵児となりました。時に精緻に、時に豪放に描きわけられた作品群は、今もなお我々を魅了し続けます。
2010年は、等伯没後400年の節目の年です。この記念すべき年に、国内に存在するほぼすべての等伯の作品を、一挙に公開する史上最大規模の大回顧展を開催します。空前絶後とも言えるこの機会に、長谷川等伯の全貌をぜひご堪能ください。
堪能すっぞ~!
夕方からの入館であったにもかかわらず、館内大混雑。
数々の絵を観ていて思ったことは、「この人、描くことが本当に好きなんだな」ということだ。筆遣い一つ一つに描くことを楽しんでいる気持ちが宿っている(あくまで私の想像で、実際はプレッシャーなどに苦しみながら描いたのかもしれないけれども)。
「松に秋草図屏風」
3歳で夭折した豊臣秀吉の長男、鶴松の菩提を弔うために建立された京都の祥雲禅寺に描かれた障壁画。天下人の注文を受ける…それは絵師の頂点に立ったことを意味する。芙蓉、菊、ススキなどの草木は、幼くして亡くなった鶴松を包み込むように優しく画面を彩っていた。
ダイナミックかつ繊細さを備えた作品。
草木の息遣いが聞こえてきそうだった。
「仏涅槃図」
巨大な絵。横6×縦10メートル。私の部屋より大きい…。
右腕だった息子を26歳という若さで亡くしたあとに描かれた絵。等伯の悲しみが、画面いっぱいに広がっていた。絵の中で仏様の死を嘆き悲しむ人々や動物たちから貰い泣きしそうだった。出口に近づいては、何度も何度もこの絵を観るために戻ってしまった。
「善女龍王像」
小さな絵。
観ているとほっこりとする。
「竹虎図屏風」(左双)
仕草が愛らしい。尻尾の先端まで丁寧に描かれていた。
「枯木猿猴図 」
『モンキー・マジック』(ゴダイゴ)が頭の中に流れた。とめどなく。ええ、前奏部分から。
この猿の愛らしさはいったい何なんだろう。ユニークな顔、ふわふわの毛並み、観ていると幸せな気持ちになれる絵だった。左双の猿はお父さん猿らしい。
「松林図屏風」
最後の最後に「ジャジャーン!」と展示されていた。別にどうってことのない風景。ぶっちゃけ、松林。どこにでもありそう。しかし、この絵は、松林に漂う湿った空気までも感じさせる不思議な作品だ。観ていると雨の松林を歩いている気がしてくる。頬に細やかな水滴が着く錯覚に陥る。息をするのも苦しくなるぐらいの濃霧をよくぞここまで表現したなと思った。この絵は描かれた年代が不明だとのこと。息子が亡くなった直後に描かれたとする説が濃厚で、もしそうだとしたら、霧雨は等伯の流した涙に見えなくもない。
社会の資料集で眺めていた絵が自分の僅か目の前にあるという興奮は、落ち着いた画風とは対照的だったかもしれない。
近くにあった椅子に腰かけて20分ぐらい、この絵を眺めた。
今回も音声ガイドを利用した。あの松平定知アナウンサーの語り口調が大変分かりやすくて良かった。体感型「その時歴史が動いた」とでも言おうか。
帰りにアトレに入っている「日本橋屋 長兵衛」で吾妻路を購入。
ブログを書きながら美味しくいただいた。
さて、明日から仕事。
リフレッシュした分、頑張ろう!!