昼休み、マイミクであり中学時代からの友達あやみちゃんからのメールをキャッチする。
あやみちゃんは地元在住。
そんな彼女は自転車を漕いでいる母ヨーコたんを某公民館付近で目撃したとのこと。
なんだかウケてしまった。
暑かったので、ゼイゼイ…と安塚街道を必死で行く母ヨーコたんの姿を思ってしまった。
退社後、母ヨーコたんに電話をする。
これから友達と飲むらしく、その声はうきうきるんるんと弾んでいた。
母ヨーコたんは優雅なマダムである。
家事をこなしながら、庭の花を愛で、友達と飲食をし、挙げ句は海外旅行などに行く。
一人でマチュピチュなんぞに行くんである。
「いーなー。ヨーコたん、優雅で羨ましいな」
と羨望をぶつける私に彼女は言った。
言ったのである!
「それは庶民の偏見よぉ~!」
…お見それしました。
今、私は33歳。
母が33歳のとき、私は7歳、妹は5歳、弟は3歳だった。
母の人生と自分の人生をトレードする?と訊かれたら、断る。
無理だと思う。
羨ましいという言葉は、そこに行き着くまでの努力をも買う意気込みがないと使ってはならぬと誰かが述べていた。
今の優雅な生活に行き着くまで、母も育児の他に飲兵衛の夫の世話と無駄に多い親戚(1クラス分ぐらいいる。しかも保守的)との付き合いなどで苦労してきたのを長女の私は知っている。
今もスーパーで安売りがあれば、自転車でえっちらおっちらと馳せ参じる母。
私には絶対にできない。
だから、羨ましいという表現はしてはならぬと思い直した。
でも、やっぱり、いいなあ。

あやみちゃんは地元在住。
そんな彼女は自転車を漕いでいる母ヨーコたんを某公民館付近で目撃したとのこと。
なんだかウケてしまった。
暑かったので、ゼイゼイ…と安塚街道を必死で行く母ヨーコたんの姿を思ってしまった。
退社後、母ヨーコたんに電話をする。
これから友達と飲むらしく、その声はうきうきるんるんと弾んでいた。
母ヨーコたんは優雅なマダムである。
家事をこなしながら、庭の花を愛で、友達と飲食をし、挙げ句は海外旅行などに行く。
一人でマチュピチュなんぞに行くんである。
「いーなー。ヨーコたん、優雅で羨ましいな」
と羨望をぶつける私に彼女は言った。
言ったのである!
「それは庶民の偏見よぉ~!」
…お見それしました。
今、私は33歳。
母が33歳のとき、私は7歳、妹は5歳、弟は3歳だった。
母の人生と自分の人生をトレードする?と訊かれたら、断る。
無理だと思う。
羨ましいという言葉は、そこに行き着くまでの努力をも買う意気込みがないと使ってはならぬと誰かが述べていた。
今の優雅な生活に行き着くまで、母も育児の他に飲兵衛の夫の世話と無駄に多い親戚(1クラス分ぐらいいる。しかも保守的)との付き合いなどで苦労してきたのを長女の私は知っている。
今もスーパーで安売りがあれば、自転車でえっちらおっちらと馳せ参じる母。
私には絶対にできない。
だから、羨ましいという表現はしてはならぬと思い直した。
でも、やっぱり、いいなあ。

