世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

大晦日2023

2023年12月31日 | Weblog
12/30
大晦日。夕方、実家に帰省。
天気は曇天。父が迎えに来てくれた。車に乗った瞬間に雨が降り出して「嗚呼、やっぱり雨女なんだな」と自覚した。
夕食は私がパオパオで購入したシューマイ、母が作った春巻きなど。
お腹いっぱい!






一足早く帰省した妹も甥っ子も姪っ子も元気。両親も元気そうで安心した。

鬼怒川に行った妹からカレーを、関西に行った弟からクマをそれぞれもらう。ありがとう。



今年は久々に紅白をチラ見。
私が高校生ぐらいの時から父は紅白に出てる若者を見ると苛立ったようすで「わっかない」と不機嫌になる。
だからYOSHIKIが出た瞬間、父は「もう!!こういう子、わっかんない」と席を立った。
…あのう、私、高校時代よくXを聞いたりテレビで見たりしていたよね…?
っていうか「子」って。YOSHIKI、若く見えるからね。

私も若い出演者を見ると「誰?」って思うので父の気持ちもわからなくはないのだが。でも敢えて「わかんない」と言ってもしゃーないのにねとも思う。

23時45分ぐらいに母の横に敷かれた布団に潜った。

泣いても笑っても

2023年12月31日 | Weblog
大晦日。
泣いても笑ってもあと30分ぐらいで2023年が終わる。
さようなら。ありがとう。

実家なう。






皆様、良いお年を!!
🐻🩷



宮古島旅行2023

2023年12月31日 | Weblog
今年のことは今年のうちに。
書きかけの宮古島旅行のブログを書き終えた。

宮古島旅行 1日目(10/20)

宮古島旅行 2日目(10/21)

宮古島旅行 3日目(10/22)

宮古島旅行 4日目(10/23)

宮古島旅行 5日目(10/24)

入院手術の回想録

2023年12月31日 | Weblog
今年のことは今年のうちにパート2。
書いて保存したままだった入院記録を公開しようと思う。
誰得なのかはわからないし正直あまり思い出したくもないことだが、一応残しておく。


●8/9(水)入院。朝、母に付き添われて病院へ。ドナドナ状態…。
順天堂大学病院ロビーで早起きしてやってきた父と合流。
入院手続きを終え、休憩できるところで最後のお喋り。


11時前にお別れ。別れ際、母がローソンで水やら飴などを買ってくれた。
「もう一人で立ち向かうしかないんだな」と思う。
案内された病室は4人部屋でカーテンで仕切られており、どんな患者さんがいるのか不明。

看護師にガイダンスを受ける。ここの看護師は当番が変わると「名前」の自己紹介がある。名札を見てその名前が旧暦の名前だったので「〇月生まれなのですか?」と訊いたら違うらしい。「みんなに〇月生まれ?って訊かれるんですよ~」とその若い看護師は笑った。

そして「麻酔科がうるさいのでもう少し爪を短くしてほしい。ローソンで爪切りを買って切っておいてください」と言われた。
仕方がないので地下にあるローソンへ。ハイテンションになり、普段買わない高めのクレンジング(ファンケル)を買ってしまった。

12時に病院食。人生初。クリームシチューが美味しくて幸先よさそうだと感じた。



13時よりシャワー。通路にある鏡台で貸し出してもらったドライヤーを使い、髪を乾かす。

日中の病院で明るい時間からパジャマ姿の自分を見て「病人なんだな」と自覚。

術前の処置があるのでB棟へ。これが痛くて…。しばし放心状態。

病室に戻りぼんやりしていると執刀医の森先生が来た。
急いで正座をしたが、「明日よろしくね!」と言い残してマッハで去っていた。


18時に夕食。こちらも美味しい!もう食べることしか楽しみがない。明日は絶食になるはずだからローソンで買ってきたお菓子も食べた。食べては横になるので「退院後は太って帰るんだろうな」と確信。


21時に薬をもらって寝る。寝落ちする前「8月9日はglobeのデビュー日だったな。毎年この日はデビュー曲を聴きながらこのCDを買った日のこと、高校生活を思い出していたな。今年はこんなことになるだなんて」と苦笑した。

順天堂大学病院は御茶ノ水駅の前にある。ある程度予想していたけれど深夜まで電車の音が聞こえた。あと救急車のサイレン。
都心の病院を感じながら寝た。



●8/10(木)手術。
7時起床。絶食。
看護師に手術着などを渡される。8時になったら着替えて、8時20分になったら手術室に向かいましょう、とのこと。
割と冷静な気持ちで洗顔を終え、眼鏡を装着。
電話ができるエリアに籠り、家族に最後のLINE通話をする。
某くんからも着信があった。「もう頑張るしかない。応援するから頑張るんだよ。わかった?」とぶっきら棒に言われた。嬉しかった。
不織布でできた手術着とトランクス型のパンツ。パンツは両脇を紐で結ぶという複雑なもの。
手術着は浴衣タイプなのだがなかなか着られず、看護師に着せてもらう。もうなんだかどこかの国のお姫様、たとえばマリーアントワネットになった気分だ。
スリッパ厳禁とのことなので足元は、…ええ、ハイヒールですよ。シュールすぎて看護師さんとワロタ。
笑いながら5Fの手術室へ。明らかにテンションがおかしい。
エレベーターを降りると、右手に伸びた通路が見えた。
そして三味線先生が立ってらした。
手を振っている。
「お世話になります」とご挨拶をした。
前を歩く三味線先生についていく。
通路はやがて円の一部のように丸みを描き、その通路の右側にいくつか椅子が並んでいた。椅子の前には各手術の受付窓みたいなものがある。患者、医師、看護師…とにかく人が多くて、函館の市場を思い出した。「え?私、解体されるまぐろなの?」と思ってしまうほど。

受付窓の前で帽子を渡されて被る。髪が長いので大変。
そして麻酔科の人に「爪が光っているのはなぜ?」「本当のことを言ってください。まつエクしてませんか?」と囲まれた…。
爪はもともと綺麗で、まつ毛は緑内障の目薬の副作用で、などと言わなくてはならず霹靂した。
受付窓の中から三味線先生が心配そうに見つめていた。
やっと麻酔科の人がGOサインを出したので中に入る。
部屋に案内されて「ここに寝て」と部屋の中央にあるベッドを指差す三味線先生に促された。
汗ばんだ素足に張り付く革靴を脱ぐのが大変でここでも姫は看護師に靴を脱がしてもらう。

林真理子先生の「愉楽にて」で主人公が術前に「フルネイムは?」と訊かれるシーンがあり、それを楽しみにしていたのであるが、私の場合はなかった。
フェスで装着されるような腕のリストバンドでの確認だけであった。

横になった途端、パルスオキシメーターやら心電図の機械などを5人ぐらいの人が急いで付け始めるので目を白黒させてしまう。

三「ごめんね。びっくりしちゃうよね。一斉に装着するからね」
私「先生、こわいです(白目)」

三味線先生は両手で私の手を握り、「ハンドボールぐらいの大きさかな」とか言っていた。

三「スポーツする?」
私「中高帰宅部です。先生、三味線好きなんですよね。ネットで見ましたよ」
三「そうなんですよ…(以下、津軽じょんがら節の話で盛り上がる)」

せっかく盛り上がっているのに横の研修医か看護師が無情にも「じゃあマスク付けますね」とか言てきて猿轡みたいなものを嵌めてきた。
姫、話を遮られて不快。

三味線先生や研修医や看護師に「いってらっしゃ~い」と見送られたのが最後。

暗い穴に落ちていく浮遊感を感じた。3秒ぐらい甘い夢を見たなと思っていたら「成功したよ」という男性の声で覚醒した。
今思えば執刀医の森先生だと思う。
「よかったです。ありがとうございます」と言って意識が落ちた。
しばらく部屋で横たわっていたが、「このまま病室に戻りますね」と看護師が搬送してくれた。
「私、麻酔から覚めた後、変なことを叫んでいませんでしたか?」と看護師に尋ねたら「大丈夫でしたよ」と笑われた。
瀬戸内寂聴先生が列挙していた「全身麻酔から覚めて配偶者以外の名前を叫んじゃう」という事例が頭にあり、「私も変なことを叫ばないかな、大丈夫かな」と不安だったのである。社外秘のこととか、預金額とか。

酸素マスク、点滴、尿管、足のマッサージャーを装着されていたので動けず。二日酔いのような頭痛とほてりにぐったり。
看護師が検温したら37.8℃だったのでロキソニンをくれた。
病室の棚の中でスマホがブルブルいっているが、この状態では返信できないだろう。
それより吉熊はどこ?
タイミングよく来てくれた看護師さんに吉熊をあてがわれ、しばし目を閉じる。

足元が熱いので下半身だけ布団をはがしてもらい、熱が下がらないのでアイスノンをもらった。

18時、他の患者さんに提供される病院食の匂い(カレーっぽかった)に、お腹が鳴る。点滴されていて空腹は感じないはずなのに。
もう起き上がれるのでフットマッサージャーを外してもらった。睡眠の邪魔になるので無い方がありがたい。

ここでやっと上司や家族にLINEで帰還したことを報告。
頭痛を堪えて、一文字一文字打つのに吐きそうになって…。
まるで「タイタニック」のローズがジャックの死を確認した後、必死で助けを呼ぼうと笛を鳴らすシーンのよう。ほんと必死。

家族LINEで確認すると、執刀医から母へ「手術成功しました」という連絡は11時15分にあったらしい。
3秒ぐらいに感じた手術が3時間弱行われていたことに吃驚した。時空のゆがみを感じた。


20時半、尿管を外してもらう。ずっと膀胱に違和感を覚えていたので開放感がぱねぇ!
点滴台とともにトイレへ。患部が痛んだが、なんとか歩いて行けた。

看護師さんが蒸しタオルで顔などを拭いてくれた。またしても姫体験を味わう。そして嗽の介助もしれくれた。ありがたくて泣きそうだった。

21時、消灯。
看護師さんに導入剤を没収されているので眠れず。
30分後、巡回に来た看護師さんに「眠れません」と伝え、なんとかしてハルシオンとマイスリーをゲット。

同室の人の何かのアラームが鳴り響く(何かがずれると鳴る)。
患者さんが都度、申し訳なさそうにしてて心が痛んだ。
「大丈夫。お互い様だよ」と心の中で言った。

●8月11日
7時に起床。
8時に病院食。
ごぼうの何かを大量に残してしまう。元々ごぼうはあまり好きではない。
まだ熱があるので牛乳を美味しく感じた。

お医者さんの回診。「傷口が安定しているのでシャワーに入れます」「明日、退院できますね」とOKをもらう。わ~い!!

そういえば隣のベッドの患者さんが昨日から変わった。声からして若い女の子のようだ。看護師さんに「アルバイトが楽しいのでできれば早く退院したい」と言っていて心がキュッとした。


暇なので地下にあるローソンへ。
文春を立ち読み。でもお盆休みなので新しくない。先週のままだ。


12時に昼食。
昼食は完食。いぇ~い!カレー南蛮じゃん!

13時にシャワー。そしてドライヤー。

のどが渇いたので地下のローソンに行く途中で妹と母と遭遇。
妹は私を見るや否や泣き出した。「怖かったね。よく頑張ったね」と。
妹とは一緒にコロナワクチンを打ちに行った。その際、注射が苦手な私が横になって打ってもらっている姿を知っている。「痛いの苦手な亮ちゃんが…」という憐憫が涙になったとのこと。


18時に夕食。やっぱり美味いよ、病院食!ごはんが余ったのでふりかけで対処。



お魚は鰆。

21時に消灯。
夜になると熱が出るのでロキソニンを処方。創部が熱っぽいのでアイスノンももらった。



●8月12日退院。

7時に起床。
最後の病院食。はちみつとバターなんて小学校の給食以来だ。美味しい。


通路の洗面台で化粧をして退院の準備を始める。
すぐそばの窓を見ると夏の光が降り注いでて暑そうだ。


11時には会計が終わるだろうと思っていたのだが、この日は土曜日で会計できないという。なんだかすごく待たされて、げんなりした。次回診察時に払う予定。飲み屋のツケ状態である。太っ腹だな、順天堂。

なんとか11時過ぎに釈放。
「おつとめご苦労様でした」状態で娑婆に出る。
両親が迎えに来てくれた。

傷口が痛むし暑いので早く帰りたかったのだが、どこかでご飯を食べる心づもりだった父が途中で拗ねて大変だった。でも荷物を運んでくれてとても助かった。

4日ぶりの我が家はひどく懐かしく感じた。
母が料理を作ってくれ、父は孫に会うべく妹宅へ。
ロキソニンを飲んで母と横になった。
今まで入院したことも手術をしたこともなかった私にはなかなかヘビーな4日間だった。


いや~、生々しい。
色々思い出してしまった。
でも2023年を語るうえでは欠かせない出来事。
病気のお陰で色々な出会いもあったし強くなった気もするし。

結果オーライ!!

2023年を振り返る

2023年12月31日 | Weblog
今年も色々あったけど、良い一年だった。

母校・石橋高校の甲子園出場に同窓生と盛り上がった春。
今から思えば、幸せな一年の序章のようであった。

あと弟のお陰でディズニーシーのミラコスタに家族で泊まれたし、誕生日には伊豆テディベアミュージアムにも行けた。


宮古島にも行けた。


地元の友達にも会えたし、疎遠になっていたいとこにも会ったり連絡を取り合ったりできた。



壮絶なパワハラにも耐え、手術の5日前には宇宙イベントに行っちゃうし。
自分、もしかしてメンタル強めなのでは?と訝しく思う。

入院前のアンケートで壮大にヲタってたし。


心身共に病を患うという辛い一年であったはずなのに、振り返ると「幸せ」という二文字しか思い浮かばない。
むしろ病気になり生きることの実感と充実感を味わえた。そんなスウィートな一年だった。
無論、告知後は虚ろであったことは事実。夏は、死の香りを放埓に撒き散らしている自分が気持ち悪くて吐きそうだった。

やがて手術と治療(通院)という一山を越え、やっぱり私のメンタルは強くなったのだと思う。
強くなる=心が柔軟、なのか、一気に幸せを感じる能力が高まった。

新しい部署で毎日笑える幸せ。
医師や看護師の献身的なサポートを受けられる幸せ。
見守ってくれる家族がいる幸せ。
友達と楽しい遣り取りができる幸せ。
野ばら先生の新作を待てる幸せ。
副作用はドイヒーだが治療法がある幸せ。


何度も書くが本当に幸せな一年だった。
だから今年が終わるのが少し寂しい。

来年も良い一年になると良い。


来年も、よろしくま。