とても、とても、懐かしい人に会った。
とても、とても、懐かしい空気に触れた。
懐かしい人から、メールをもらって、時間を飛び越えて、「昔」が懐かしくなった。
そういう「懐かしいこと」が、この二~三日、続いたために・・・・
私は(ちょっぴり)「おセンチさん」になっている。
より一層“自分を見つめること”ができたりもしたが、
その一方で、過去という世界に縛られている自分を感じたりもした。
※縛られているというよりも、憧れているというべきだろう。
ただ・・・自分が、若い頃に、同じ時間を過ごしただけなのに、
その人に対して、特別の感情がわいてくるのは何故だろう。
自分が未熟だったために、精一杯生きていたからだろうか。
何故、「今、一緒にいる人」よりも、身近に感じられ、愛しさが湧いてくるのだろう。
それだけ、その当時が、私にとってスペシャルだったということ・・・・なのだろうか。
15年以上も会っていないのに、また新しい関係が構築できるものなのかと疑問に思い、
その反面、新しい関係をつむぎだしたい強い衝動にかられる自分もいる。
不思議なものである。
自分も変わり、相手も変わっているし、時間は膨大にすぎており、その間の経緯など
全く知識(情報)としては、皆目ないのに・・・。
お互いにふけた二人が、目の前に対峙しているだけである。
それなのに・・・である。
ただ、最近、しみじみ感じることは、「素の自分」が、その人の前でさらけ出せて、
本当の気持ちが分かち合えるかどうかということが・・・・どんなことよりも、
とてもシンプルで大切なことだと思う。
誰ともそうだし、私以外の人にも同様に言えることかもしれないけれど・・・・
「濃密で、気楽な関係でいられる人」は、何よりも「大切にしたい人」だ。
でなければ、数十年もたっているのに、「会いたい」とも思わないし・・・・
街角で偶然に会ったりもしないだろう。
また、会ってもいないのに、年賀状を途切れることなく、送り合い続けてきたことが、
何よりも(お互いの)“心の奥底”を物語っている。
自分の心が欲しているのか、何か「大いなる力」に呼ばれたのか、
それとも、単なる「気まぐれ」なのか。
たとえば、偶然という機会を与えられ、街角で久しぶりに会うたびに、
当時 「その人が、自分にとってどのような存在だったのか」が、
非常に冷静に感じられることがある。
魅力を感じない人とは、新しい関係を構築したい欲求にはかられない。
実際、そういう人とは、年賀状のやりとりも、していなかった・・・。
時を経て、私の中に芽生える不可思議な「感情」。
誰も止めることも、コントロールすることもできない「感情」。
興味深いものである。