介護施設への見舞い

2010年06月23日 | 自分 -

私と同じ境遇で、「ひとりっ子」の女友達がいて、母親の介護をしている。
看護婦さんだった彼女の母親は、38歳で彼女を産んだというバイタリティあふれる人。

数年前までは、一緒に、よくご飯を食べたりもしていたが・・・・・
私の介護人生活のヘビーな始まりと共に、幕を閉じてしまった。

その彼女のお母さんが、この年末年始に「介護施設」に入居した。
今日は、友人と共に、その施設に、お母さんの面会に出向いた。
その施設は、3年前に建設された新しい施設で、建物も今風にゆったりと空間をとり、
スタッフも若い人が多いようだが・・・・・印象として、暖かいものを感じなかった。

脳細胞と内臓の丈夫な、彼女のお母さんからすれば、今は「話し相手がいない」らしい。
認知症の人や、耳の遠い人が多く、気の合う“話し相手”がいないようである。
だから、個室にこもってばかりで、かえって「うつ的症状」を併発しているようだった。

そういえば、皆で集う場所では、無表情のおばあちゃんが数人座っていただけだった。
スタッフはと言えば、奥の台所に3人ほど固まって、立ち話(?)状態のようだった。


彼女のお母さんは二時間半以上もお話しても、びくともしない強靭さを持っている。
まだまだ長生きしそうな勢いだった。
他の入居者よりも、お元気そうだ。
ただ、足がたたず、一人で生活が出来るようなレベルではないのが、残念なところだ。



彼女は、仕事を持っていて、だから動けなくなった時点で、すぐに「施設入居」の選択を
したようだが・・・、実際、後からついてくる経済的な締め付けには不安を感じていた。
私よりも(はるかに)財産を持っているし、私よりも第一線の仕事で活躍しているので、
何の心配もないと思ったが、本人自身は「自分の最期まで気にするようになった」ようだ。
それが、介護をしている人の(たどり着く)精神的現実かもしれない。
「死」というものと、将来の選択が、よりリアルに押し寄せてくるからなのだろう。

誰もが通る道――。
誰もが悩む事――。

自分の親のことだから放っておけないし、「ひとりっ子」の性(境遇:責任)も手伝って、
抱え込みがちになってしまう。

彼女が、別れ際に聞いてきた質問は、より具体的だった。
「誰が頼りになるの? どうしたらいいんだろう。
 いざという時、親戚って助けてくれるものなの?」
親戚を当てにしないで――とは伝えたが、其々の人間関係があるので一概には言えない。
だが、彼女の境遇も・・・・・・これまでの情報によれば、なかなか厳しい環境になって
しまっていることは、なんとなく想像ができていたので、あえてそう伝えた。
(お母さんも、母屋の親戚の家とはお付き合いをしていない―と言っていた)

しかし、もっとシリアスな状況になった時、全てを選択して、判断するのは・・・・
誰でもない、彼女しかいないのだ。
今はまだ、流れにまかせて様子を見る時期ではないかとも感じたし、今から早々に、
あらゆることを考えつくす必要もないようには思うが、それもまたケースバイケース!
結局、私は、部外者である。 ヘルプすることしかできない。


私は、とにかく、彼女の「不安を取り除いてあげること」「気分を楽にしてあげること」に
終始つとめたようなものである。
そして、何よりも、今日は、おしゃべり好きなお母さんの話し相手になること!


お母さんに歩行訓練をすすめ、明るい展望をイメージさせてあげたら・・・・最後は、
「玄関までおくるから」と、歩行器を使って見送ってくれた。
「歩けるのよ、それを見せたかったのよ」と、別れ際まで、明るいお母さんだった。
握手して、抱きしめて、別れたが・・・・なんとなく複雑な想いが駆け巡る一日だった。