高橋大輔さんの足 祈願

2010年06月18日 | マイブーム -

善光寺さんに行ってきた。

善光寺さんは、日本最古の霊場で、宗派に関係なく、日本中の全ての人々を受け容れる。

我が故郷、四国の人々は、四国八十八箇所をまわり、それが終わったら高野山へ出向き、
最後に「善光寺」さんに詣でて、人生の幕をひくのがよいという―勝手な論法(持論)を
持っている人もいる。我がおばさんが、その典型である。

その影響があってのことだと思うが、善光寺さんは、私にとって特別な霊場となっている。



このたび、マイブームの「高橋大輔さん」が、まだ膝のボルト除去手術をしていないので、
今後、彼の身に「禍ごと」がおこらないように、仁王門にお願いをしてきた。
善光寺さんの仁王門は、人々の足や腰などの回復を願い、それをかなえてくれると言う。
そのため、わらじをお供えして、自分の願い事を書いたりしている人々が多い。
私も、「おばさんの腰」と、「おじさんの足」と、「高橋大輔さんの足」のお願いをして、
帰ってきた。

今年は、全日本フィギアが長野であり、ワールドが東京(来年3月)で開催されると言う。
もし、それが間違いでなければ、年末の全日本のスケジュールが、ゆるされるのであれば、
長野で(生でリアルタイムに)応援したいものだ。
もちろん、その前には、また、善光寺の仁王門に、お願いしてこようと思う。


私の場合、いつも、こういう願いは、(これまで)かなったことがない。
いつも仕事優先で、仕事の予定で、自由がきかなくなるからだ。
しかし、もうそろそろ・・・・・そういう生活から解放されたくなった。
今年は、「流れに身を任せる自分」から、高橋さんのように「自分から取りにいく!」と
宣言したような姿勢に、変えていきたいと思うようになった。
重要なことは、自分の意志力だと、心から感じるようになった。



今は、彼の精神的支柱が、私に与えてくれたものは、意外と大きいような気がしている。

ある日、突然、私の心に突き刺さるものがあり、それがタイムリーな出来事として、
彼の存在がそこにあっただけではあるが・・・・
人生の選択をするうえで、大きな影響を与えてくれたような力強さを、彼から感じた。

   「人は、ひとりぼっちじゃない」
   「人は、目標があれば耐え抜いていける」
   「人は、自分だけのために、生きているんじゃない!」
   そんな簡単で、大切なことを・・・・。



毎年の先祖供養

2010年06月18日 | 出来事 -

四国生まれの私は、無宗教。
だけれども、先祖を供養したり、思いを忘れないようにはしている。
地元には、それぞれの家に宗派があって、その決め事に則って、法要などは行われる。

私は、両親を送って以来、法要などをはじめとした祭事は、欠かしたことがない。
今年も、母の13回忌を執り行う予定である。

それ以外に、頻繁に帰らない私を(私自身が)攻め立てる気持ちがあって、自宅で両親を
供養しつつも、菩提寺さんにお願いするよりも、自分の手でおまつりしたい気持ちがあり、
毎年、長野県長野市にある「善光寺」さんに詣でている。


善光寺さんは、日本最古の霊場であり、宗派に関係ない霊場として有名である。
四月の父の命日と、八月の母の命日の間に、毎年、善光寺詣でをする。
今年も、行ってきた。

やることは、「先祖供養」のお願いと、自分できちんと一年間のおまいりをしてくる。
そして、最後に、いつものように「おみくじ」をひいて、一年間そのおみくじは、
財布に忍ばせて、翌年、善光寺に返している。


「何も意味がない」と言えば何もない。
ただ、私の中に、徳島に頻繁に帰れない事情からくる「気持ち」が、このような慣習を
執り行わせている。
いただいた先祖供養のお札は、私とともに、我が家に連れてこられている「お位牌」の
後に(いつも)飾られている。

宗教なんて、わからない。
宗派なんて、余計にわからない。
ただ、死者を愛する気持ちは変わりなく、我が家の先祖となる人々の供養も大切だ―と
心から思っている。
ただ、それだけである。



善光寺さんでひく「おみくじ」には、事業が成功して、お金がはいるようなことが、
いつも謳われているが・・・・生活が豊かになったことはないし、お金に対して、
(私個人が)大きな執着もない。
ただ、生活に困らないのは、有難いことだと、いつも感謝している。

いつも、一番の不安を払拭させてくれる「おみくじ」を与えてくださり、有難いと思う。
子供だましのようではあるものの、こういう「おみくじ」で、心模様は変化する。
気分も気楽になるのは、確固たる事実である。